>Re: 現代の価値観で過去を
投稿者: hidarino5 投稿日時: 2005/12/24 22:47 投稿番号: [93189 / 99628]
私も無学でして、「ポストモダン以降の相対主義」って知りません。ご説明願います。
で、
>結論から言いますと、そのように歴史を読んだところで、「現代の価値観」から逃れることは出来ない、と私は考えます。
そうですか。
これで「現代の価値観」か「過去の価値観」かは話は終了です。あなたが「出来ない」というのなら出来ないのでしょう。出来るか出来ないかなんてこういうことって「証明のしようがない」からです。ですからこれ以上は「不毛」です。
>と、「ナルシズム的合理化を植え付ける」ような「韓国国定教科書」そっくりな「自己愛史観」賛同者なのか? これはまたまた自家撞着ではないか? といった意地悪な疑問
意地悪な疑問でもなんでもないですよ。
日本の場合「数多くの観方」が提示されている中で僕の史観は自らが選択しました。韓国の場合「それしかない」わけです。
もっとも、「植えつける」のはどの「史観」でも同じなんですけどね。マルクス主義も自虐史観も同じ。僕は自虐史観という表現は好きではないので「東京裁判史観」という用語を使いますが「東京裁判史観」のひとも「アジアとは共生して隣国と仲良くしなければいけない」という史観を植えつけるわけです。命題ではないですが「なんで戦争がいけないんですか? 戦争はいいことだ」という立場に立てば「隣国と仲良くしろ」というのは「植え付け」でしかないわけです。
立場が違うというだけで「植え付け」という用語を軽がるしく用いるのは論法としては破綻を招くだけです。
こういうのは「意地悪な質問」ではなく、民主主義、言論の自由、思想信条の自由がある場合に於いては「視野が狭い質問」といえます。申し訳ないですが、それは認識して下さい。
「植えつける」という行為は立場が違えばまた「植えつけられる」ものなのです。それとも「戦争賛美者」に対し、「東京裁判史観者」は「植え付け」を行っていないというのですかね?「戦争はいけない」という思想も厳密に言えば「植え付け」に他ならないことを民主主義国家に生きるのなら充分認識しなければいけません。
「植えつける」は行き着くと「暴力」にもなるんですよ。
議論は終わりと書いておきながら失礼しますが・・・
>わかりやすく長い時間差を設けますが、例えば、1000年前、500年前、そして今、この三つを比べてみて下さい。これらの時代に生きた人間がそれぞれ同じ感性であるわけないのです。
「同じ感性」の部分はあると思いますよ。例えば、「女性は美しい」とか「富士山は綺麗」だとかですね。
もちろん「全部が全部」ではないですけどね。
まぁあなたが「出来ない」というのならそれでいいでしょう。自分も厳密に全てかといえばそうですからね。
>、というのであれば、ひとまず「自己愛史観」は「史観」として成立はしますね。ですが、私は相対主義を無視できないので、「自己愛史観」は、そもそも「史観」としての基盤を失っている、と考えてます。
相対主義、期待しています。まぁ相対主義に立てば立つほど「韓国は劣っている」という理屈をご理解いただけるとは思うんですけどね。
もしかして左翼のよく用いる「都合のいいとこは絶対で、都合の悪いところは相対で」というようなことはないとは思いますが。
で、
>結論から言いますと、そのように歴史を読んだところで、「現代の価値観」から逃れることは出来ない、と私は考えます。
そうですか。
これで「現代の価値観」か「過去の価値観」かは話は終了です。あなたが「出来ない」というのなら出来ないのでしょう。出来るか出来ないかなんてこういうことって「証明のしようがない」からです。ですからこれ以上は「不毛」です。
>と、「ナルシズム的合理化を植え付ける」ような「韓国国定教科書」そっくりな「自己愛史観」賛同者なのか? これはまたまた自家撞着ではないか? といった意地悪な疑問
意地悪な疑問でもなんでもないですよ。
日本の場合「数多くの観方」が提示されている中で僕の史観は自らが選択しました。韓国の場合「それしかない」わけです。
もっとも、「植えつける」のはどの「史観」でも同じなんですけどね。マルクス主義も自虐史観も同じ。僕は自虐史観という表現は好きではないので「東京裁判史観」という用語を使いますが「東京裁判史観」のひとも「アジアとは共生して隣国と仲良くしなければいけない」という史観を植えつけるわけです。命題ではないですが「なんで戦争がいけないんですか? 戦争はいいことだ」という立場に立てば「隣国と仲良くしろ」というのは「植え付け」でしかないわけです。
立場が違うというだけで「植え付け」という用語を軽がるしく用いるのは論法としては破綻を招くだけです。
こういうのは「意地悪な質問」ではなく、民主主義、言論の自由、思想信条の自由がある場合に於いては「視野が狭い質問」といえます。申し訳ないですが、それは認識して下さい。
「植えつける」という行為は立場が違えばまた「植えつけられる」ものなのです。それとも「戦争賛美者」に対し、「東京裁判史観者」は「植え付け」を行っていないというのですかね?「戦争はいけない」という思想も厳密に言えば「植え付け」に他ならないことを民主主義国家に生きるのなら充分認識しなければいけません。
「植えつける」は行き着くと「暴力」にもなるんですよ。
議論は終わりと書いておきながら失礼しますが・・・
>わかりやすく長い時間差を設けますが、例えば、1000年前、500年前、そして今、この三つを比べてみて下さい。これらの時代に生きた人間がそれぞれ同じ感性であるわけないのです。
「同じ感性」の部分はあると思いますよ。例えば、「女性は美しい」とか「富士山は綺麗」だとかですね。
もちろん「全部が全部」ではないですけどね。
まぁあなたが「出来ない」というのならそれでいいでしょう。自分も厳密に全てかといえばそうですからね。
>、というのであれば、ひとまず「自己愛史観」は「史観」として成立はしますね。ですが、私は相対主義を無視できないので、「自己愛史観」は、そもそも「史観」としての基盤を失っている、と考えてます。
相対主義、期待しています。まぁ相対主義に立てば立つほど「韓国は劣っている」という理屈をご理解いただけるとは思うんですけどね。
もしかして左翼のよく用いる「都合のいいとこは絶対で、都合の悪いところは相対で」というようなことはないとは思いますが。
これは メッセージ 93175 (parkavenuecanada さん)への返信です.
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