金正日体制2
投稿者: ditgtedgbbdc 投稿日時: 2002/07/27 21:04 投稿番号: [61001 / 99628]
1994年10月のジュネーブ合意のもとですすめられてきた朝米協議は、97年3月、朝鮮戦争で行方不明になったアメリカ兵の遺骨収集について共同調査をおこなうことを合意した。98年8月、平壌とワシントンに政府連絡事務所を相互に開設することで協議をすすめたが、北朝鮮はアメリカが約束した重油供給が遅延したことを理由として核凍結合意を破棄すると警告した。8月末の人工衛星打ち上げのあと、ヨンビョン(寧辺)地域で核関連施設が建設されているという新たな核疑惑が浮上し、アメリカ議会内でも、北朝鮮に対する経済制裁解除問題や、テロ国家リストから北朝鮮を除外する問題の見直しをもとめる声が高まった。
1999年3月、アメリカの食糧援助と地下核施設への立ち入りで合意が成立し、5月には米調査団が疑惑施設の立ち入り調査をおこなうとともに、ペリー米政策調整官(前国防長官)が北朝鮮を訪問した。アメリカは6月に北朝鮮のミサイル再発射準備を確認したが、9月の朝米協議で再発射一時停止が合意され、アメリカは経済制裁一部緩和を表明した。9月、アメリカは対北朝鮮政策の見直しを内容とするペリー報告書を公表したが、日本、韓国と協調して長期的には朝鮮半島の冷戦終結をめざすものであった。
5 諸国との関係改善 1999年には、そのほかの諸国との間でも関係改善にむけて積極的な取り組みがなされた。1月にブルネイと国交を樹立。3月にはロシアとの間で新条約を締結し、従来の軍事同盟条項を削除した。一方、フランス、カナダ、フィリピンなどと国交正常化の協議を開始し、2000年1月、イタリアとの国交を樹立した。これは主要7カ国(G7)とのはじめての国交樹立となった。5月にはオーストラリアとも国交を回復している。さらに同月、金正日総書記が中国を訪問し、江沢民主席らと会談した。総書記就任後はじめての外国訪問だった。
韓国に対しては、1998年8月に朝鮮労働党機関紙が金大中(キム・デジュン)大統領の「陽光(太陽)政策」は対北対決論の裏返しであると非難したが、一方では、民族資本の交流促進をめざし、10月、金正日総書記は訪朝した韓国の鄭周永(チョン・ジュヨン)現代グループ名誉会長と会見し、金剛山観光事業、自動車組立工場や平壌火力発電所の建設、石油開発の合弁事業、北朝鮮西海岸での大規模工業団地の造成などを現代グループがおこなうことで合意した。金剛山への大型観光船は、11月に第1回往来をおこなった。2000年4月、金正日総書記と金大中大統領の首脳会談を6月に開催することに合意した。
日朝関係では、1997年8月に外務省審議官級の予備会談がおこなわれ、日本人妻の里帰り問題や、国交正常化交渉の早期再開について合意した。59年以来、北朝鮮にわたった日本人女性は約1800人といわれる。11月、里帰りの第1陣15人が北京経由で成田に到着、1週間の日本滞在が実現した。同月、与党の自民・社民・さきがけ代表団(森喜朗団長)が訪朝し、朝鮮労働党の金容淳(キム・ヨンスン)書記と会談した。98年1月には里帰りの第2陣12人が日本に入国した。
1998年8月のテポドン発射を契機にして日朝関係は悪化し、北朝鮮は、日本がTMD(戦域ミサイル防衛)構想の日米共同研究や、米日韓軍事協調態勢などの検討に入り、さらに国連安保理で北朝鮮非難決議の採択をよびかけたことに反発した。99年12月、社民党の村山富市(元首相)を団長とする国会議員団が北朝鮮を訪問し、日朝国交正常化交渉の早期再開を合意した。
ついで2000年4月には、日朝国交正常化交渉第9回本会談が平壌でおこなわれた。北朝鮮側は、日本が植民地支配時代など過去の清算と補償に応じることが前提であると主張し、日本側は1995年に当時の村山首相が談話で表明した反省とおわびが政府の立場でありそれ以上の謝罪は考えていない、補償には応じられず個々の請求権で処理すべきであると主張した。日本人拉致(らち)疑惑の解明にむけて誠実な対応をもとめる日本側に対して、北朝鮮側は拉致事実の存在そのものを否定した。
1999年3月、アメリカの食糧援助と地下核施設への立ち入りで合意が成立し、5月には米調査団が疑惑施設の立ち入り調査をおこなうとともに、ペリー米政策調整官(前国防長官)が北朝鮮を訪問した。アメリカは6月に北朝鮮のミサイル再発射準備を確認したが、9月の朝米協議で再発射一時停止が合意され、アメリカは経済制裁一部緩和を表明した。9月、アメリカは対北朝鮮政策の見直しを内容とするペリー報告書を公表したが、日本、韓国と協調して長期的には朝鮮半島の冷戦終結をめざすものであった。
5 諸国との関係改善 1999年には、そのほかの諸国との間でも関係改善にむけて積極的な取り組みがなされた。1月にブルネイと国交を樹立。3月にはロシアとの間で新条約を締結し、従来の軍事同盟条項を削除した。一方、フランス、カナダ、フィリピンなどと国交正常化の協議を開始し、2000年1月、イタリアとの国交を樹立した。これは主要7カ国(G7)とのはじめての国交樹立となった。5月にはオーストラリアとも国交を回復している。さらに同月、金正日総書記が中国を訪問し、江沢民主席らと会談した。総書記就任後はじめての外国訪問だった。
韓国に対しては、1998年8月に朝鮮労働党機関紙が金大中(キム・デジュン)大統領の「陽光(太陽)政策」は対北対決論の裏返しであると非難したが、一方では、民族資本の交流促進をめざし、10月、金正日総書記は訪朝した韓国の鄭周永(チョン・ジュヨン)現代グループ名誉会長と会見し、金剛山観光事業、自動車組立工場や平壌火力発電所の建設、石油開発の合弁事業、北朝鮮西海岸での大規模工業団地の造成などを現代グループがおこなうことで合意した。金剛山への大型観光船は、11月に第1回往来をおこなった。2000年4月、金正日総書記と金大中大統領の首脳会談を6月に開催することに合意した。
日朝関係では、1997年8月に外務省審議官級の予備会談がおこなわれ、日本人妻の里帰り問題や、国交正常化交渉の早期再開について合意した。59年以来、北朝鮮にわたった日本人女性は約1800人といわれる。11月、里帰りの第1陣15人が北京経由で成田に到着、1週間の日本滞在が実現した。同月、与党の自民・社民・さきがけ代表団(森喜朗団長)が訪朝し、朝鮮労働党の金容淳(キム・ヨンスン)書記と会談した。98年1月には里帰りの第2陣12人が日本に入国した。
1998年8月のテポドン発射を契機にして日朝関係は悪化し、北朝鮮は、日本がTMD(戦域ミサイル防衛)構想の日米共同研究や、米日韓軍事協調態勢などの検討に入り、さらに国連安保理で北朝鮮非難決議の採択をよびかけたことに反発した。99年12月、社民党の村山富市(元首相)を団長とする国会議員団が北朝鮮を訪問し、日朝国交正常化交渉の早期再開を合意した。
ついで2000年4月には、日朝国交正常化交渉第9回本会談が平壌でおこなわれた。北朝鮮側は、日本が植民地支配時代など過去の清算と補償に応じることが前提であると主張し、日本側は1995年に当時の村山首相が談話で表明した反省とおわびが政府の立場でありそれ以上の謝罪は考えていない、補償には応じられず個々の請求権で処理すべきであると主張した。日本人拉致(らち)疑惑の解明にむけて誠実な対応をもとめる日本側に対して、北朝鮮側は拉致事実の存在そのものを否定した。
これは メッセージ 1 (magekuri さん)への返信です.
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