金正日体制1
投稿者: ditgtedgbbdc 投稿日時: 2002/07/27 21:02 投稿番号: [61000 / 99628]
4 金正日体制 1994年7月8日、金日成が死去した。後継者である金正日は服喪と称して公の場に姿をあらわすことが少なくなり、動静が注目されていたが、3年間の服喪期間が明けた97年10月、朝鮮労働党総書記に就任した。
1998年7月、最高人民会議代議員選挙がおこなわれ、3分の2が新顔となった。9月、最高人民会議第10期第1回会議が、94年4月以来約4年5カ月ぶりに開かれた。同時に発表された修正憲法で国家主席制が廃止され、金正日総書記が国防委員長に再任されて名実ともに国家元首の座についた。また、最高人民会議の中に常任委員会が新設され、金永南(キム・ヨンナム)外相が委員長となって外交儀礼面の役割をはたすことになった。さらに、政務院にかわって内閣制を復活させ、洪成南(ホン・ソンナム)首相、趙昌徳(チョ・チャンドク)、郭範基(カク・ポムギ)両副首相がひきいることになった。
1999年4月に開かれた最高人民会議第10期第2回会議では、5年ぶりで予算が審議されたが、99年予算は94年決算の半分の規模であった。2000年4月に開かれた第10期第3回会議で提示された2000年予算もほぼ前年並みであった。
1995年と96年の記録的な水害によって表面化していた食糧難は、97年に入ってさらに深刻になり、2月には世界食糧計画(WFP)が、4160万ドルの緊急食糧援助をおこなうよう各国にアピールを出した。アメリカは1000万ドルの拠出を約束し、5月には援助第1便となる貨物船がトウモロコシなど1万4000tをつんでナンポ港(南浦港)に到着。中国も6月、トウモロコシ7万tを支援した。
北朝鮮の食糧不足は1998年も穀倉地帯の洪水、降雹(こうひょう)により深刻さをまし、世界食糧計画など国際機関が緊急食糧援助を各国に要請した。アメリカは人道的見地から30万tの支援を約束した。99年1月発表の韓国統一教育院の資料では、国際社会から北朝鮮への援助物資は95年6月〜98年末で計10億8000万ドル相当で、内訳は韓国の政府・民間団体3億2000万ドル相当、国連機関4億2000万ドル相当、その他各国やNGO(非政府組織)3億1000万ドル相当となっている。
1999年11月のFAO(国連食糧農業機関)総会で、北朝鮮代表は99年の穀物生産量を428万tと報告したが、これは食糧危機のピークはこえたものの、約50万tの不足と推定される。他方、世界食糧計画と国連食糧農業機関は、約130万t不足という推計を発表した。
1996年9月、韓国カンウォン道(江原道)カンヌン(江陵)の海岸で北朝鮮の潜水艦侵入事件が発生し、双方の兵士、民間人が死傷した。97年には朝鮮労働党の幹部である黄長菀(ファン・ジャンヨブ)書記が韓国に亡命した。また98年6月には北朝鮮の潜水艇が国境近海で漂流、沈没し、艇内に9人の遺体が発見された。さらに12月には、対馬沖の韓国領海に侵入した北朝鮮潜水艇を韓国海軍が撃沈するという事件がおきた。
1998年8月、北朝鮮はテポドンとみられるロケットを日本海にむけ発射し、弾頭部分が日本上空を通過して太平洋の三陸沖に着弾した。日本政府はミサイル実験とみて、日朝国交正常化交渉の凍結、人道的食糧支援と軽水炉供給の見合わせ、高麗民航の名古屋へのチャーター便の中止など、対北朝鮮制裁策をうちだした。北朝鮮側は、人工衛星の打ち上げに成功したと発表した。その後、米韓両国もミサイル説を修正して小衛星の打ち上げと結論した。また99年3月には、北朝鮮の工作船とみられる船舶2隻が日本の領海を侵犯、海上自衛隊機による警告砲撃、爆弾投下で逃走する事件が発生した。
1996年4月、アメリカのクリントン大統領と韓国の金泳三(キム・ヨンサム)大統領が、朝鮮半島の和平のための北朝鮮、韓国、アメリカ、中国による4者会談を提案した。数度の予備会談をへて、97年12月、ジュネーブで4者会談の第1回本会談がおこなわれた。朝鮮戦争休戦以来、44年ぶりの和平の枠組みづくりだった。99年8月までに6回の本会談が開かれたが、具体的な成果はみられなかった。
1998年7月、最高人民会議代議員選挙がおこなわれ、3分の2が新顔となった。9月、最高人民会議第10期第1回会議が、94年4月以来約4年5カ月ぶりに開かれた。同時に発表された修正憲法で国家主席制が廃止され、金正日総書記が国防委員長に再任されて名実ともに国家元首の座についた。また、最高人民会議の中に常任委員会が新設され、金永南(キム・ヨンナム)外相が委員長となって外交儀礼面の役割をはたすことになった。さらに、政務院にかわって内閣制を復活させ、洪成南(ホン・ソンナム)首相、趙昌徳(チョ・チャンドク)、郭範基(カク・ポムギ)両副首相がひきいることになった。
1999年4月に開かれた最高人民会議第10期第2回会議では、5年ぶりで予算が審議されたが、99年予算は94年決算の半分の規模であった。2000年4月に開かれた第10期第3回会議で提示された2000年予算もほぼ前年並みであった。
1995年と96年の記録的な水害によって表面化していた食糧難は、97年に入ってさらに深刻になり、2月には世界食糧計画(WFP)が、4160万ドルの緊急食糧援助をおこなうよう各国にアピールを出した。アメリカは1000万ドルの拠出を約束し、5月には援助第1便となる貨物船がトウモロコシなど1万4000tをつんでナンポ港(南浦港)に到着。中国も6月、トウモロコシ7万tを支援した。
北朝鮮の食糧不足は1998年も穀倉地帯の洪水、降雹(こうひょう)により深刻さをまし、世界食糧計画など国際機関が緊急食糧援助を各国に要請した。アメリカは人道的見地から30万tの支援を約束した。99年1月発表の韓国統一教育院の資料では、国際社会から北朝鮮への援助物資は95年6月〜98年末で計10億8000万ドル相当で、内訳は韓国の政府・民間団体3億2000万ドル相当、国連機関4億2000万ドル相当、その他各国やNGO(非政府組織)3億1000万ドル相当となっている。
1999年11月のFAO(国連食糧農業機関)総会で、北朝鮮代表は99年の穀物生産量を428万tと報告したが、これは食糧危機のピークはこえたものの、約50万tの不足と推定される。他方、世界食糧計画と国連食糧農業機関は、約130万t不足という推計を発表した。
1996年9月、韓国カンウォン道(江原道)カンヌン(江陵)の海岸で北朝鮮の潜水艦侵入事件が発生し、双方の兵士、民間人が死傷した。97年には朝鮮労働党の幹部である黄長菀(ファン・ジャンヨブ)書記が韓国に亡命した。また98年6月には北朝鮮の潜水艇が国境近海で漂流、沈没し、艇内に9人の遺体が発見された。さらに12月には、対馬沖の韓国領海に侵入した北朝鮮潜水艇を韓国海軍が撃沈するという事件がおきた。
1998年8月、北朝鮮はテポドンとみられるロケットを日本海にむけ発射し、弾頭部分が日本上空を通過して太平洋の三陸沖に着弾した。日本政府はミサイル実験とみて、日朝国交正常化交渉の凍結、人道的食糧支援と軽水炉供給の見合わせ、高麗民航の名古屋へのチャーター便の中止など、対北朝鮮制裁策をうちだした。北朝鮮側は、人工衛星の打ち上げに成功したと発表した。その後、米韓両国もミサイル説を修正して小衛星の打ち上げと結論した。また99年3月には、北朝鮮の工作船とみられる船舶2隻が日本の領海を侵犯、海上自衛隊機による警告砲撃、爆弾投下で逃走する事件が発生した。
1996年4月、アメリカのクリントン大統領と韓国の金泳三(キム・ヨンサム)大統領が、朝鮮半島の和平のための北朝鮮、韓国、アメリカ、中国による4者会談を提案した。数度の予備会談をへて、97年12月、ジュネーブで4者会談の第1回本会談がおこなわれた。朝鮮戦争休戦以来、44年ぶりの和平の枠組みづくりだった。99年8月までに6回の本会談が開かれたが、具体的な成果はみられなかった。
これは メッセージ 1 (magekuri さん)への返信です.
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