>希望
投稿者: ojin_8823 投稿日時: 2003/02/05 09:07 投稿番号: [1438 / 2453]
>>>「同情されながら死ぬよりも、世界を敵に回して生き延びる」
ゴルダ・メイヤ(イスラエル首相)
>だから、アラブは第2回ロンドン会議の決裂以降、統一アラブ国家創設には力の行使しかないと認識した
>>
>>▲ソースを希望。特に第二回ロンドン会議の開催年と参加国の顔ぶれが判るものをお願いします。『これで良いと思うよ』と一つの結論を出されている以上、メイヤ首相の発言内容とアラブ指導者の方針決断との因果関係に於いても説明していただく必要が有りそうです。
>
>・因果関係はオースティン発言とメイヤ発言のようなものです、詳しくはojin_8823さんに聞いて下さい。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1834682&tid=4hda5a4la5a4a59a5ia5a8a5ka1aa&sid=1834682&mid=1227
▲ご指名のようですから所見を。
1) 「パレスチナ・アラブ、ユダヤ両代表欠席」のまま始まった当事者不在の会議。
(普通は、当事者がいないと話し合いにならないのは常識なところですが、正規の会議であると思っている誰かさんとパレスチナ周辺アラブ諸国の皆さま、ってところです。)
2) 「参加したアラブ国家は州提案に反対し、独自案を英国政府に提出した」というアラブ側の奇案。
(それを、「*アラブ指導部はこの統合案を受け入れ、アラブ機関に英国当局との交渉権限を与えた」と発言するも、自身の提案を拒否するバカがいないのは、これ常識(笑)。)
3) 「英国政府は1947年2月に、後から代表に加わったパレスチナ・アラブ執行部および英国政府と非公式交渉を始めたユダヤ機関に英国案を提示した。両者は提案を拒絶した」ということで、英国がパレスチナにサジを投げ、国連に委ねることになったアラブ諸国のワガママ会議。
(この「両者が英国の提案を拒否した」ことと、このロンドン会議で出された奇案とを同一のものと思い込んでおられるところが最大の特徴です(爆))
4) そして結局、1947 年 2 月 18 日に英国はサジを投げることになった会議。
Faced with this situation, Great Britain decided to relinquish its mandatory role and to hand over the Palestine problem, created over three decades by the Balfour Declaration and the Palestine Mandate, to the United Nations. On 18 February 1947, the Foreign Secretary stated in the House of Commons:
http://domino.un.org/UNISPAL.NSF/561c6ee353d740fb8525607d00581829/aeac80e740c782e4852561150071fdb0!OpenDoc ument
(国連の、続くこの文章を省かなければ、前のめりはないのだが(苦笑))
▲総じて、同年 1947 年 11 月 29 日の国連パレスチナ分割決議のトンデモ起案の基となった会議であった。 世界の潮流を読み違えた未開の砂漠の民人を証明したみせた華々しい当事者抜きの会議♪
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1834682&tid=4hda5a4la5a4a59a5ia5a8a5ka1aa&sid=1834682&mid=1433
>だから、アラブは第2回ロンドン会議の決裂以降、統一アラブ国家創設には力の行使しかないと認識した
>>
>>▲ソースを希望。特に第二回ロンドン会議の開催年と参加国の顔ぶれが判るものをお願いします。『これで良いと思うよ』と一つの結論を出されている以上、メイヤ首相の発言内容とアラブ指導者の方針決断との因果関係に於いても説明していただく必要が有りそうです。
>
>・因果関係はオースティン発言とメイヤ発言のようなものです、詳しくはojin_8823さんに聞いて下さい。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1834682&tid=4hda5a4la5a4a59a5ia5a8a5ka1aa&sid=1834682&mid=1227
▲ご指名のようですから所見を。
1) 「パレスチナ・アラブ、ユダヤ両代表欠席」のまま始まった当事者不在の会議。
(普通は、当事者がいないと話し合いにならないのは常識なところですが、正規の会議であると思っている誰かさんとパレスチナ周辺アラブ諸国の皆さま、ってところです。)
2) 「参加したアラブ国家は州提案に反対し、独自案を英国政府に提出した」というアラブ側の奇案。
(それを、「*アラブ指導部はこの統合案を受け入れ、アラブ機関に英国当局との交渉権限を与えた」と発言するも、自身の提案を拒否するバカがいないのは、これ常識(笑)。)
3) 「英国政府は1947年2月に、後から代表に加わったパレスチナ・アラブ執行部および英国政府と非公式交渉を始めたユダヤ機関に英国案を提示した。両者は提案を拒絶した」ということで、英国がパレスチナにサジを投げ、国連に委ねることになったアラブ諸国のワガママ会議。
(この「両者が英国の提案を拒否した」ことと、このロンドン会議で出された奇案とを同一のものと思い込んでおられるところが最大の特徴です(爆))
4) そして結局、1947 年 2 月 18 日に英国はサジを投げることになった会議。
Faced with this situation, Great Britain decided to relinquish its mandatory role and to hand over the Palestine problem, created over three decades by the Balfour Declaration and the Palestine Mandate, to the United Nations. On 18 February 1947, the Foreign Secretary stated in the House of Commons:
http://domino.un.org/UNISPAL.NSF/561c6ee353d740fb8525607d00581829/aeac80e740c782e4852561150071fdb0!OpenDoc ument
(国連の、続くこの文章を省かなければ、前のめりはないのだが(苦笑))
▲総じて、同年 1947 年 11 月 29 日の国連パレスチナ分割決議のトンデモ起案の基となった会議であった。 世界の潮流を読み違えた未開の砂漠の民人を証明したみせた華々しい当事者抜きの会議♪
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1834682&tid=4hda5a4la5a4a59a5ia5a8a5ka1aa&sid=1834682&mid=1433
これは メッセージ 1421 (marchingpeople さん)への返信です.
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