リスク論について:損失余命の問題(2)
投稿者: hechiko 投稿日時: 2006/05/30 18:16 投稿番号: [1477 / 1694]
さて、前回「人の命は有限で、その価値は初めは皆同じだが、使っていくうちに(年を重ねるごとに)だんだん減っていく」という法則の導入を試みましたが、今回早くも問題に直面します。
それは、人の命の価値はそんなに線形性があるものなのか?という疑問です。もちろんこれは、損失余命というものさしにも直接関わる問題です。
たとえば、人の寿命を80年とします。もし70歳で死亡したら損失余命は10年、40歳で死亡したら損失余命は40年です。このような場合、両者を比較してどちらの命の価値が高いか、どちらの命を優先して救うべきかについてさほど異論はなかろうかと思います。
では、20歳で死亡した場合の損失余命60年と0歳で死亡した場合の損失余命80年を比較するとどうでしょう。0歳児の命の方が価値が高い、と単純に結論づけることは難しいのではないでしょうか。
少なくとも社会的な貢献度という観点から見た場合、これから教育を受ける必要のある0歳児よりも、教育期間が終了しこれから存分に働くことができる20歳の方が価値が高いとは言えるでしょう。
もちろん、このような見方が全てではありませんが、損害賠償額の算出ではこのような考え方に基づいて命の価値を見積もっているようです。
この他にも出生前と出生後の比較においてほころびが明らかになります。
出生したばかりの0歳児の損失余命は80年となり、もっとも価値が高い一方で、出生前の胎児の価値は算出されません。出産の前後でこれほど価値が激変するというのは常識的に考えてかなり奇妙です。そこで、仮にこの問題を解消するために出生前の胎児にもある程度の価値を認めるとしましょうか。この場合、出産直前の胎児より受精卵の方が価値が高いというのはおかしいので、胎児が成長するにつれて価値が高くなるような評価になるでしょう。そうすると、命の価値は受精からだんだん上昇し、出生でピークを迎え、その後下降するという山型の折れ線を描くでしょう。となると、20歳の若者と妊娠中後期の胎児の命の価値が等しい、という結論が導かれます。これも常識的に考えればかなり奇妙です。
これに対する解決方法は私にもわかりません。ただ、この問題を考えていくうちに気づいたのは、人の命の価値には誰が見るか、どのような点について見るかで多様性を持つであろうこと、そしてそれゆえに誰もが納得できる唯一のものさしを作ることはできないであろうことです。ただし、これは損失余命、あるいはそれの代わりになるようなものさしを作るのは無意味だ、ということを意味しません。誰もが納得できるものさしを作るのは無理でも、多くの人がそれなりに納得できるものであれば、そのものさしはそれなりに有用であるでしょう。損失余命というものさしがそれなりに有用であるように。だからこそ、この問題は専門家だけの議論にとどめるのではなく、社会全体で考えるべきではないでしょうか。
なんだかまとめのようになってしまいましたが、まだ続きます。
それは、人の命の価値はそんなに線形性があるものなのか?という疑問です。もちろんこれは、損失余命というものさしにも直接関わる問題です。
たとえば、人の寿命を80年とします。もし70歳で死亡したら損失余命は10年、40歳で死亡したら損失余命は40年です。このような場合、両者を比較してどちらの命の価値が高いか、どちらの命を優先して救うべきかについてさほど異論はなかろうかと思います。
では、20歳で死亡した場合の損失余命60年と0歳で死亡した場合の損失余命80年を比較するとどうでしょう。0歳児の命の方が価値が高い、と単純に結論づけることは難しいのではないでしょうか。
少なくとも社会的な貢献度という観点から見た場合、これから教育を受ける必要のある0歳児よりも、教育期間が終了しこれから存分に働くことができる20歳の方が価値が高いとは言えるでしょう。
もちろん、このような見方が全てではありませんが、損害賠償額の算出ではこのような考え方に基づいて命の価値を見積もっているようです。
この他にも出生前と出生後の比較においてほころびが明らかになります。
出生したばかりの0歳児の損失余命は80年となり、もっとも価値が高い一方で、出生前の胎児の価値は算出されません。出産の前後でこれほど価値が激変するというのは常識的に考えてかなり奇妙です。そこで、仮にこの問題を解消するために出生前の胎児にもある程度の価値を認めるとしましょうか。この場合、出産直前の胎児より受精卵の方が価値が高いというのはおかしいので、胎児が成長するにつれて価値が高くなるような評価になるでしょう。そうすると、命の価値は受精からだんだん上昇し、出生でピークを迎え、その後下降するという山型の折れ線を描くでしょう。となると、20歳の若者と妊娠中後期の胎児の命の価値が等しい、という結論が導かれます。これも常識的に考えればかなり奇妙です。
これに対する解決方法は私にもわかりません。ただ、この問題を考えていくうちに気づいたのは、人の命の価値には誰が見るか、どのような点について見るかで多様性を持つであろうこと、そしてそれゆえに誰もが納得できる唯一のものさしを作ることはできないであろうことです。ただし、これは損失余命、あるいはそれの代わりになるようなものさしを作るのは無意味だ、ということを意味しません。誰もが納得できるものさしを作るのは無理でも、多くの人がそれなりに納得できるものであれば、そのものさしはそれなりに有用であるでしょう。損失余命というものさしがそれなりに有用であるように。だからこそ、この問題は専門家だけの議論にとどめるのではなく、社会全体で考えるべきではないでしょうか。
なんだかまとめのようになってしまいましたが、まだ続きます。
これは メッセージ 1471 (hechiko さん)への返信です.