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リスク論について:損失余命の問題(1)

投稿者: hechiko 投稿日時: 2006/05/15 19:04 投稿番号: [1471 / 1694]
前回紹介した損失余命ですが、いくつかの問題をはらんでいるように思います。

一つめは、差別との関係。
損失余命で人の命を比較するということは、人の命の価値を年齢で差別化するということと同じです。

以下、環境リスク学、中西準子著より引用(以下の引用は同著より引用する)
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  もちろん、損失余命でも差別問題が噴出することはあるのです。大気汚染によって主として老人が命を失う場合と、事故などで若者も含めて命を失う二つの場合を考えます。大気汚染だと、若者の被害者は少ないが、老人の被害者は多いのです。そこで、大気汚染の対策と、事故の対策を比べる必要があるとします。死の数では一緒だとしても、損失余命で考えたら、若者は三十何年から五十年の生命を失うから、年寄り一人より若者一人を救う政策の方がいいということになります。つまり、損失余命で年寄りは六年だが、若者は四十年から五十年ありますので、若者一人死ぬことは、年寄りが六〜七人死ぬのと同じ価値ですよ、ということになります。だから、損失余命だけを使うと、若者を救うべきということになるのです。(p133)
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若者と老人が死亡したときの損失余命は異なるので、損失余命で見た場合、若者の方が命の価値が高いということになるのです。
これってなにか違和感を感じませんか?人間の命には同じ価値があると思っていた私にとって、この事実には考えされられました。だって、若者と老人にそれぞれ自分を当てはめてみると、確かにその価値が異なるのが理解できたからです。若いうちに死ぬよりは年をとってから死んだ方がマシですから。でも、若者と老人にそれぞれ別人を当てはめるとやはり違和感を感じるのです。「両者の命は同価値」と心の中で誰かが囁くのです。
しばらく考えて、ある一つの法則を導入することで解決を試みました。
その法則は以下のようなものです。

「人の命は有限で、初めは皆同じだが、使っていくうちに(年を重ねるごとに)だんだん減っていく」

こう考えることによって、なんとか折り合いをつけることに成功しました。若者も老人も元々の価値は同じだったけれど、老人は年を重ねて価値を減少させていったので両者の価値に差が出た、と考えるようにしたのです。

中西準子も同様の記述をしています。
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若い人が人生で、楽しいことを経験せずに死ぬ。年をとった人なら、これまでの社会の役割を果たしてきたし、人間にも寿命があるのだから、いいではないか。いいではないかというと不穏当かもしれませんが、私ももう歳なので、私の気持ちとして聞いてください。ここには、死という不連続なものを恐れるだけではないものが、人間にはあるということです。つまり、ある種平均寿命的なものを生きる覚悟と、そしてやがて死ぬ覚悟です。だから、損失余命は一つの尺度になるかと思います。そこまで私も考えて使うことにしました。最初に損失余命を認めるかどうかというときにさんざん考えて、これはいいだろうと。(p132)
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私が思うに、これは損失余命の「問題」というよりは「仕様」といったほうが適切なのかもしれません。なんとなくマイクロソフト的な匂いがしますが。
ただし、行政のようにリスクを管理する側はこういったことをきちんと認識して、適切に用いるおく必要があるように思います。人の命の価値を判断するのは私でも中西でもなく、社会なのですから。そして、差別的な使われ方がなされないよう十分注意して使っていく必要があるでしょう。
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