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つづき5

投稿者: crawlingchaos_g 投稿日時: 2005/09/26 21:41 投稿番号: [7674 / 62227]
3.シベリアの捕鯨文化
3.1.国営「先住民」捕鯨
  シベリア北部、チュコト半島においても2000年以上にわたって、ユピットとチュクチ(Chukchi)によって捕鯨が行われてきた(BOGOSLOVSKAYA et al.1982:395; KRUPNIK 1993: 186)。 1930年代まではホッキョククジラ捕鯨が中心で、コククジラ捕鯨は一部の地域に限られていたが、1940〜1950年代に大部分の地域では、ホッキョククジラの減少に応じてやむなくコククジラ捕鯨に移行していった(KRUPNIK 1987: 16; BOGOSLOVSKAYA et al.1982: 398)。さらに1969年以降、銛打ち亡失鯨の増大の結果、捕獲効率が悪い先住民自身による捕鯨は中止を余儀なくされ、国際捕鯨委員会の捕獲割当に応じてソ連邦政府の捕鯨船による「先住民のため」のコククジラ捕鯨が行われるようになった(KRUPNIK 1984: 106,1987: 28)。
  チュコトカの鯨捕りたちはホッキョククジラ捕鯨からコククジラ捕鯨への移行、さらには自らの手による捕鯨から政府の捕鯨船による捕鯨への転換によって多大な影響を被った。コククジラ捕鯨はボートからのライフルの一斉射撃によって行われるので、コククジラ捕鯨への移行と共に、ホッキョククジラ捕鯨における一番銛を打ち込んだキャプテンとクルーの優先権、威信およびそれに基づく社会的規範や慣習は変わらざるを得なかった(KRUPNIK 1987: 26,28)。
  老世代の住民によると、コククジラ捕鯨には何ら特別な儀礼的行為は伴わず、特にユピットの村では、それは伝統的文化の一要素としても考えられていなかった(KRUPNIK et al.1983: 561)。実際、1930年代の終わりに最後の鯨祭りがホッキョククジラ捕鯨に成功した3村落で実施されて以降、この種の祭りは行われていない。また、各村落の口誦伝承は、40〜50年前であるのにもかかわらず、最後にホッキョククジラの捕れた日のことを語り伝えている(KRUPNIK 1987: 26,28)。ホッキョククジラ捕鯨はまさしくユピットの人生であった。
  ホッキョククジラの肉と食用鯨皮はどこにおいても最も威厳があり、おいしい食料として考えられている。コククジラによるホッキョククジラの代替は、チュクチの村では人々にそれほど困難を与えなかったが、コククジラの肉を低級な食料とみなし、嫌悪していたユピットの村では人々に多大な苦痛を与えた   (KRUPNIK 1987: 28)。
  特に、チュコト半島におけるホッキョククジラ捕鯨の中心地であったシレニキ(ユピットが多数を占める村)ではコククジラによる代替は全く受け入れられておらず、村人は価値がなく不快であると考えているコククジラの肉と食用鯨皮は食べなかった(KRUPNIK et al.1983: 561)。いやいや食べるものはアラスカにおいてもシベリアにおいてもおいしくはないし、おいしくないものは食べたくもない。
  ホッキョククジラ捕鯨からコククジラ捕鯨に移行するにつれて、捕鯨道具も手投げ銛から高性能ライフルヘと変わっていった。1940年代の資料によれば、捕獲を試みたコククジラのうち30%が手負いで逃げ、30%が海中に没した(KRUPNIK et al.1983: 560)。さらに、1950年代の終わりに大口径ライフルが導入されると共に負傷、亡失する鯨が増加し、ついには先住民自身の手による捕鯨は中止を余儀なくされたのであった(IVASHIN and MINEEF 1981: 504)。
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