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投稿者: bbking2003jp 投稿日時: 2004/10/09 13:43 投稿番号: [4916 / 62227]
1984年10月、第三日新丸が横須賀から南氷洋へ向けて出港した。総トン数2万3千トンである。
乗員数は、国際監視員などを含めて総勢258人。
後発のキャッチャーボート4隻、合わせて79人。
総員337人が、第39次南氷洋捕鯨船団である。
捕獲数、クロミンク1941頭。(IWC決定捕獲枠)
事業員の南氷洋捕鯨の出漁回数は、少ない人で15回。多い人で34回。年齢も平均で45.9歳という構成だった。
前年までの操業は、4区から始まり、5区、6区へと移動していたのだが、これは海流や南極大陸の地形との関連から、この順番で漁場が形成されているためである。
しかし、今期の操業は通常の4区からではなく、IDCR(国際鯨類調査)のあおりで6区からとなったのだが、どこから始めるかで、その成果も違ったものになってくる。
39期の操業がそうであった。
操業開始前日、キャッチャーの探鯨報告でも、捕獲対象であるミンクの発見が13頭で、それまでの報告と合わせても40頭程度だった。通常ならば100頭程度の発見があってから操業に入るのだが、流氷帯が大きく張り出しているためにオキアミの大量発生が望めず、まだ漁場になっていないのである。
しかし、定められた漁期が短いために、無理を承知で操業を始めざるを得なかった。
「明朝から予想以上に複雑な流氷帯の張り出しと、かつてない寂しい魚場で操業せざるを得ず、ご苦労をおかけすると思います。操業開始時間は午前6時。各船2マイル(3.7キロ)の間隔で東進して下さい。基準コース110度、速度11ノット(時速20キロ)。ご健闘を祈ります」
11月26日から、母船は24時間体制、1当直12時間勤務。キャッチャーは午前6時から午後7時までの激務が始まった。
初日1頭。二日目1頭。三日目は2頭。四日目でも4頭しかスリップウェーに揚がらなかった。
こんなに苦労しながらも、何故毎年南氷洋捕鯨にやって来るのだろうか?
「はじめのころは、何度もやめようと思ったね。今度やめよう、もういやだと思ってる内に、ズルズルとなったとしか言いようがないなぁ」
「仲間に置いてけ堀になってしまうみたいで、つい乗ってしまう。いいところは、仕事さえやっておけば衣食住に心配がないということかなぁ」
「30年近くやってきてるんですよ。天職だからとしか返事のしようがない。」
そんな答えが返ってくる。
「一度休んだことがあったが、陸の仕事しとっても、今ごろ仲間が南氷洋でやってるだろうなぁと思うと、いても立ってもおれん気持ちで落ち着かなかったっスな。女房も、お父さんはクジラの仕事にホレとるんだから、行け行けと言うし」
「おやじ、いや、ずっと先代から鯨捕りをやっていたけん。他の仕事は考えられんとですよ。クジラとともに育ってきたとですよ」
「昔は鯨捕りといえば、一目も二目も置かれてですな、漁師の中じゃ最高の仕事じゃったとですバイ。今でも誇りがありますタイ」
こんな答えもある。
彼等の多くが鯨捕りに誇りを持ち、天職であると思っているのだ。
そんな彼等のグループ(出身地毎にグループがある)の一つ、長崎・五島出身者で作る会には「非行によって、郷土有川の名を汚すことがあったら、退職を勧告する」というような厳しい申し合わせがあったことからも、彼等の捕鯨に対する思い入れが分かる。
大晦日。普段は議論を好まない彼等だったが、今回は新聞記者の土井全二郎(わしらのクジラ筆者)が乗っているせいか、船内では捕鯨論争が繰り広げられた。
「だいたい、あのIWCってのは何だ?」と、IWC批判をする人もいる。
米国や英国、それに反捕鯨団体は、IWCでの票を増やすためにその影響下にあるカリブ海の小国や、インド洋の島国を動員し、その結果、捕鯨国は減少しているのにIWC加盟国が増えるという珍現象が起きていた。その代表も、その国の人間ではなく、米国や英国の息のかかった連中が着任している場合が多い。
この事を、彼等は知っているのだ。
「日本が真面目に論争しようとしても、難クセつけるばっかりじゃないか」
「捕獲頭数違反などいっさいなく、秩序正しくクリーンな操業をしている我々の実態を見ようともしないじゃないか」
こんな意見も出ている。
「米国は国際条約で認められた我々の正当な権利を、その国内法で報復しようとしている。こんな逆立ちした話はない」など、誰もが思う疑問を言う者もいた。
そんな言葉の中で、鯨捕り達ばかりではなく、日本人の切ない思いを込めた言葉が、母船、キャッチャー共にささやかれることがある。
「日本は敗戦国なんだよ。植民地なんだよ」
昭和59年12月31日。南緯65度38分、西経167度11分。気温0.3度、海水温マイナス0.1度。
乗員数は、国際監視員などを含めて総勢258人。
後発のキャッチャーボート4隻、合わせて79人。
総員337人が、第39次南氷洋捕鯨船団である。
捕獲数、クロミンク1941頭。(IWC決定捕獲枠)
事業員の南氷洋捕鯨の出漁回数は、少ない人で15回。多い人で34回。年齢も平均で45.9歳という構成だった。
前年までの操業は、4区から始まり、5区、6区へと移動していたのだが、これは海流や南極大陸の地形との関連から、この順番で漁場が形成されているためである。
しかし、今期の操業は通常の4区からではなく、IDCR(国際鯨類調査)のあおりで6区からとなったのだが、どこから始めるかで、その成果も違ったものになってくる。
39期の操業がそうであった。
操業開始前日、キャッチャーの探鯨報告でも、捕獲対象であるミンクの発見が13頭で、それまでの報告と合わせても40頭程度だった。通常ならば100頭程度の発見があってから操業に入るのだが、流氷帯が大きく張り出しているためにオキアミの大量発生が望めず、まだ漁場になっていないのである。
しかし、定められた漁期が短いために、無理を承知で操業を始めざるを得なかった。
「明朝から予想以上に複雑な流氷帯の張り出しと、かつてない寂しい魚場で操業せざるを得ず、ご苦労をおかけすると思います。操業開始時間は午前6時。各船2マイル(3.7キロ)の間隔で東進して下さい。基準コース110度、速度11ノット(時速20キロ)。ご健闘を祈ります」
11月26日から、母船は24時間体制、1当直12時間勤務。キャッチャーは午前6時から午後7時までの激務が始まった。
初日1頭。二日目1頭。三日目は2頭。四日目でも4頭しかスリップウェーに揚がらなかった。
こんなに苦労しながらも、何故毎年南氷洋捕鯨にやって来るのだろうか?
「はじめのころは、何度もやめようと思ったね。今度やめよう、もういやだと思ってる内に、ズルズルとなったとしか言いようがないなぁ」
「仲間に置いてけ堀になってしまうみたいで、つい乗ってしまう。いいところは、仕事さえやっておけば衣食住に心配がないということかなぁ」
「30年近くやってきてるんですよ。天職だからとしか返事のしようがない。」
そんな答えが返ってくる。
「一度休んだことがあったが、陸の仕事しとっても、今ごろ仲間が南氷洋でやってるだろうなぁと思うと、いても立ってもおれん気持ちで落ち着かなかったっスな。女房も、お父さんはクジラの仕事にホレとるんだから、行け行けと言うし」
「おやじ、いや、ずっと先代から鯨捕りをやっていたけん。他の仕事は考えられんとですよ。クジラとともに育ってきたとですよ」
「昔は鯨捕りといえば、一目も二目も置かれてですな、漁師の中じゃ最高の仕事じゃったとですバイ。今でも誇りがありますタイ」
こんな答えもある。
彼等の多くが鯨捕りに誇りを持ち、天職であると思っているのだ。
そんな彼等のグループ(出身地毎にグループがある)の一つ、長崎・五島出身者で作る会には「非行によって、郷土有川の名を汚すことがあったら、退職を勧告する」というような厳しい申し合わせがあったことからも、彼等の捕鯨に対する思い入れが分かる。
大晦日。普段は議論を好まない彼等だったが、今回は新聞記者の土井全二郎(わしらのクジラ筆者)が乗っているせいか、船内では捕鯨論争が繰り広げられた。
「だいたい、あのIWCってのは何だ?」と、IWC批判をする人もいる。
米国や英国、それに反捕鯨団体は、IWCでの票を増やすためにその影響下にあるカリブ海の小国や、インド洋の島国を動員し、その結果、捕鯨国は減少しているのにIWC加盟国が増えるという珍現象が起きていた。その代表も、その国の人間ではなく、米国や英国の息のかかった連中が着任している場合が多い。
この事を、彼等は知っているのだ。
「日本が真面目に論争しようとしても、難クセつけるばっかりじゃないか」
「捕獲頭数違反などいっさいなく、秩序正しくクリーンな操業をしている我々の実態を見ようともしないじゃないか」
こんな意見も出ている。
「米国は国際条約で認められた我々の正当な権利を、その国内法で報復しようとしている。こんな逆立ちした話はない」など、誰もが思う疑問を言う者もいた。
そんな言葉の中で、鯨捕り達ばかりではなく、日本人の切ない思いを込めた言葉が、母船、キャッチャー共にささやかれることがある。
「日本は敗戦国なんだよ。植民地なんだよ」
昭和59年12月31日。南緯65度38分、西経167度11分。気温0.3度、海水温マイナス0.1度。
これは メッセージ 4915 (bbking2003jp さん)への返信です.
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