BEKOFF「倫理と海洋哺乳類」5
投稿者: aplzsia 投稿日時: 2010/09/17 16:35 投稿番号: [47826 / 62227]
このテーマは規範科学に属するテーマで、海洋哺乳類エンサイクロペディアの
他の実証科学的な項目ほど、専門家の間での意見の一致が得られにくい
ところですが、一応2002年の初版以後、非常に多くの人の目に触れて
更新されたものなので、それなりの意義はあるでしょう。
続けます。
Encyclopedia of Marine Mammals, 2nd Edition
Edited by William F. Perrin, J. G.M. Thewissen and Bernd Wursig
2009
398ー402頁
【Ethics and Marine Mammals】by Marc BEKOFF
第2章 動物のモラル上の地位:動物権と動物福祉
動物のモラル上の地位に関する現在の議論では、野生動物と囚われている動物を
より広く保護しようという「進歩的」傾向が明瞭である。(これはある部分、
より多くの人々が農村、地方部から都市化された地域へ移動したことによる
と解釈しうる。)
米国で海洋哺乳類に関する意識を調査すると、アンケート回答者の最大多数は
商業捕鯨に反対しており、倫理的な理由がしばしばあげられる。アザラシ、
ラッコ(Enhydra lutris)、セイウチ、ホッキョクグマの商業的開発収奪
(commercial exploitation)に憂慮を表明する人も多い。
原住民による捕鯨やコククジラ(Eschrichtius robustus)の捕鯨再開に反対する
人々もアメリカ人の最大多数を形成する。
成立にはいたらなかったが、1988年の海洋哺乳類保護法再承認以前に、
海洋哺乳類に対する侵害的研究調査を禁止しようという立法化の試みも
あった。侵害的調査が研究目的に直接益するものでない限り禁止するという
条件付きではあったが。
近年、哲学者や科学者の間で、動物のモラル上の地位に関する関心が
高まっている。多くの人々が権利の視点(rights view)と呼ばれる立場を
支持している。
どういうことかというと、ある動物が保護された権利を持つということは、
動物が請求権あるいは(法的)資格を持つということであり、もしわれわれ
にとってそうではないほうが有益であるとしても、彼らはこの保護された
権利を持つということを意味する。
人間は他の動物のこの請求権を尊重する義務を負う(これは人間が、
みずからの権利を保護することのできない他の人間に対してすること
と同じである)。
従ってもし野生のイルカが餌を食べる権利を持っているならば、人間は
彼らがそうすることを許容する義務を負っているのであり、イルカの
摂餌行動に干渉してはならない。同じようにイルカに生きる権利がある
ならば、彼らを戦争ゲーム、戦闘行為その他、死ぬ可能性のある行為
に用いてはならない。
動物権(アニマルライツ)の推奨者は動物の生命そのものが価値を有する
(彼らは固有の価値あるいは内在的な価値を持つ)ということを強調し、
彼らの生命に価値があるのは彼らが人間にとって何かをもたらすから(彼らの効用)
でもなければ、彼らがわれわれのように見えたりわれわれのように行動する
からではないと論ずる。
動物はプロパティー(所有権設定の対象)や「モノ」ではない。
彼らはわれわれの共感や尊敬、友好、支援を向けるに値するものなのである。
動物は人間より「劣った価値」や「同等ではない価値」を持つというわけ
ではない。彼らは浪費したり支配したりしてよい所有物件ではない。
動物がどのように扱われるべきかということを決めるにあたって、
人間の側の便益は重要な意味をもたない。
(つづく)
他の実証科学的な項目ほど、専門家の間での意見の一致が得られにくい
ところですが、一応2002年の初版以後、非常に多くの人の目に触れて
更新されたものなので、それなりの意義はあるでしょう。
続けます。
Encyclopedia of Marine Mammals, 2nd Edition
Edited by William F. Perrin, J. G.M. Thewissen and Bernd Wursig
2009
398ー402頁
【Ethics and Marine Mammals】by Marc BEKOFF
第2章 動物のモラル上の地位:動物権と動物福祉
動物のモラル上の地位に関する現在の議論では、野生動物と囚われている動物を
より広く保護しようという「進歩的」傾向が明瞭である。(これはある部分、
より多くの人々が農村、地方部から都市化された地域へ移動したことによる
と解釈しうる。)
米国で海洋哺乳類に関する意識を調査すると、アンケート回答者の最大多数は
商業捕鯨に反対しており、倫理的な理由がしばしばあげられる。アザラシ、
ラッコ(Enhydra lutris)、セイウチ、ホッキョクグマの商業的開発収奪
(commercial exploitation)に憂慮を表明する人も多い。
原住民による捕鯨やコククジラ(Eschrichtius robustus)の捕鯨再開に反対する
人々もアメリカ人の最大多数を形成する。
成立にはいたらなかったが、1988年の海洋哺乳類保護法再承認以前に、
海洋哺乳類に対する侵害的研究調査を禁止しようという立法化の試みも
あった。侵害的調査が研究目的に直接益するものでない限り禁止するという
条件付きではあったが。
近年、哲学者や科学者の間で、動物のモラル上の地位に関する関心が
高まっている。多くの人々が権利の視点(rights view)と呼ばれる立場を
支持している。
どういうことかというと、ある動物が保護された権利を持つということは、
動物が請求権あるいは(法的)資格を持つということであり、もしわれわれ
にとってそうではないほうが有益であるとしても、彼らはこの保護された
権利を持つということを意味する。
人間は他の動物のこの請求権を尊重する義務を負う(これは人間が、
みずからの権利を保護することのできない他の人間に対してすること
と同じである)。
従ってもし野生のイルカが餌を食べる権利を持っているならば、人間は
彼らがそうすることを許容する義務を負っているのであり、イルカの
摂餌行動に干渉してはならない。同じようにイルカに生きる権利がある
ならば、彼らを戦争ゲーム、戦闘行為その他、死ぬ可能性のある行為
に用いてはならない。
動物権(アニマルライツ)の推奨者は動物の生命そのものが価値を有する
(彼らは固有の価値あるいは内在的な価値を持つ)ということを強調し、
彼らの生命に価値があるのは彼らが人間にとって何かをもたらすから(彼らの効用)
でもなければ、彼らがわれわれのように見えたりわれわれのように行動する
からではないと論ずる。
動物はプロパティー(所有権設定の対象)や「モノ」ではない。
彼らはわれわれの共感や尊敬、友好、支援を向けるに値するものなのである。
動物は人間より「劣った価値」や「同等ではない価値」を持つというわけ
ではない。彼らは浪費したり支配したりしてよい所有物件ではない。
動物がどのように扱われるべきかということを決めるにあたって、
人間の側の便益は重要な意味をもたない。
(つづく)
これは メッセージ 47478 (aplzsia さん)への返信です.
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