近代捕鯨史第3章:捕鯨産業2a
投稿者: aplzsia 投稿日時: 2010/08/27 19:45 投稿番号: [47072 / 62227]
<The shore station
/地上基地
>つづき
ボイラーの設計は皮脂、肉、骨など熱処理する対象によっていろいろ
異なったデザインになっていた。皮脂ボイラーはオープン型で、その上端は
二階の床にまで達しており、そこから皮脂が入れられた。ボイラー側面には
高さの違う複数段にドレン排出口がつけられている。
各ボーラーの下の部分に蒸気配管がつながれており、蒸気パイプは
ボイラー内部で螺旋状に配置されていた。この種のボイラーで
もっとも大きなものは60バレル分の容量をもっていた。
ボイラーが皮脂で満たされると蒸気が流されて、8時間から10時間加熱
される。ほとんどの油分は皮脂から分離するが、このとき同時にニカワ質の
液体も出てくる(これは油分がドレン排出口から出てもボイラーの中に
残っている)。ニカワ質の液体、グリューウォーターはボイラーの底に
集められ、そこから排出される。
ボイラーの上のほうのドレン排出口から出た大きな分離容器に導かれ、
1日か2日おくと沈殿物が沈んで澄んだ油がえられる。これをオークの
木でできた桶に入れるが、この桶は一つ160リットルの大きさである
(桶6つで1トンになる)。グリューウォーターはボイラーで濃縮し、
粘つくニカワ分として残る。
骨および肉用ボイラーも多かれ少なかれ似たようなものだが、違いが
あるのは骨肉用にはスクリュー式の上蓋で圧力がかけられていた
ということである。各ボイラーの基底部にはハッチがついていて、
搾油作業が終わったあと、ここから残った原材料を掻き出す。
いくつかの処理場ではこの異臭のする残滓(graxと呼ばれていた)を
特別なボイラーあるいは再クッカーに入れてまだ残っている油分を
搾油した。他のところではこれを廃物とみなし、海に捨てたが、
これは大部分、海鳥の餌となった。
グラックスを掻き出す仕事は捕鯨者たちが最も嫌がる作業だった。
たいていの場合、まだ余熱の残るボイラーにかがんで這い込まなければ
ならなかった。ボイラーを空にするのは捕鯨者集団の中でもっとも
少なく尊敬される人物の仕事であり、彼の給与もこの尊敬度を反映
していた。
肉部分の残滓から肥料(guano)や鯨肉をつくるさまざまな試みが数多く
行われた。ほとんどの場合、供給可能な製品を作ることは実際にできたが
生産費用、特に石炭代がかさむため、利益を出すことは困難だった。
ごく少数の沿岸基地にだけ肥料工場が併設されていた。このうちの
一つが1870年にフォインの開設したヴェドセ基地である。その後、
この近くの彼の二つの別基地でも肥料工場は造られた。
フォインの計算によると、肥料の生産は特に利益を上げていなかった
ようである。彼がこの生産を続けたのは、おそらく神からの贈り物を
無駄にするのは罪だと考えたからであろう。
いくらかの廃棄物は出たが、フィンマルクでの捕鯨はほとんど完全な
原材料からの搾取が達成できたと言える。これは古いスタイルの捕鯨と
違うところであり、南極海捕鯨および遠洋捕鯨の第一期に見られた
捕鯨史上最悪の廃棄物事例とも大きく異なる。
ボイラーの設計は皮脂、肉、骨など熱処理する対象によっていろいろ
異なったデザインになっていた。皮脂ボイラーはオープン型で、その上端は
二階の床にまで達しており、そこから皮脂が入れられた。ボイラー側面には
高さの違う複数段にドレン排出口がつけられている。
各ボーラーの下の部分に蒸気配管がつながれており、蒸気パイプは
ボイラー内部で螺旋状に配置されていた。この種のボイラーで
もっとも大きなものは60バレル分の容量をもっていた。
ボイラーが皮脂で満たされると蒸気が流されて、8時間から10時間加熱
される。ほとんどの油分は皮脂から分離するが、このとき同時にニカワ質の
液体も出てくる(これは油分がドレン排出口から出てもボイラーの中に
残っている)。ニカワ質の液体、グリューウォーターはボイラーの底に
集められ、そこから排出される。
ボイラーの上のほうのドレン排出口から出た大きな分離容器に導かれ、
1日か2日おくと沈殿物が沈んで澄んだ油がえられる。これをオークの
木でできた桶に入れるが、この桶は一つ160リットルの大きさである
(桶6つで1トンになる)。グリューウォーターはボイラーで濃縮し、
粘つくニカワ分として残る。
骨および肉用ボイラーも多かれ少なかれ似たようなものだが、違いが
あるのは骨肉用にはスクリュー式の上蓋で圧力がかけられていた
ということである。各ボイラーの基底部にはハッチがついていて、
搾油作業が終わったあと、ここから残った原材料を掻き出す。
いくつかの処理場ではこの異臭のする残滓(graxと呼ばれていた)を
特別なボイラーあるいは再クッカーに入れてまだ残っている油分を
搾油した。他のところではこれを廃物とみなし、海に捨てたが、
これは大部分、海鳥の餌となった。
グラックスを掻き出す仕事は捕鯨者たちが最も嫌がる作業だった。
たいていの場合、まだ余熱の残るボイラーにかがんで這い込まなければ
ならなかった。ボイラーを空にするのは捕鯨者集団の中でもっとも
少なく尊敬される人物の仕事であり、彼の給与もこの尊敬度を反映
していた。
肉部分の残滓から肥料(guano)や鯨肉をつくるさまざまな試みが数多く
行われた。ほとんどの場合、供給可能な製品を作ることは実際にできたが
生産費用、特に石炭代がかさむため、利益を出すことは困難だった。
ごく少数の沿岸基地にだけ肥料工場が併設されていた。このうちの
一つが1870年にフォインの開設したヴェドセ基地である。その後、
この近くの彼の二つの別基地でも肥料工場は造られた。
フォインの計算によると、肥料の生産は特に利益を上げていなかった
ようである。彼がこの生産を続けたのは、おそらく神からの贈り物を
無駄にするのは罪だと考えたからであろう。
いくらかの廃棄物は出たが、フィンマルクでの捕鯨はほとんど完全な
原材料からの搾取が達成できたと言える。これは古いスタイルの捕鯨と
違うところであり、南極海捕鯨および遠洋捕鯨の第一期に見られた
捕鯨史上最悪の廃棄物事例とも大きく異なる。
これは メッセージ 47071 (aplzsia さん)への返信です.
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