近代捕鯨史第3章:捕鯨産業3
投稿者: aplzsia 投稿日時: 2010/08/27 19:46 投稿番号: [47073 / 62227]
<Floating factories
/浮かぶ工場=母船>
「遠洋捕鯨」という言葉でわれわれが連想するのは、1920年代に開始された
南極海捕鯨であるのが一般的である。しかしこれには技術の進歩以外、何も
新しいものはない。
古いヨーロッパ人の捕鯨でも、アメリカ人の捕鯨でも、近代捕鯨でも、すべての
捕鯨は3つの発展段階をたどるという点で同じことである。
(1)定置型、母港捕鯨
(2)拡大された定置型、遠隔地での沿岸捕鯨
(3)公海捕鯨
である。
フィンマルクでの捕鯨は一般的に言って、近代捕鯨の中での発展の第一段階
である。近代捕鯨は旧式捕鯨のマッコウクジラ漁、セミクジラ漁が主として
遠洋ベースで行われていた時代に発生した。(#ヤンキー捕鯨の)ロイズと
リリエンダールは、彼らが彼らの近代捕鯨を開始した時に、発展の第一段階に
戻った。ただし水上に浮く工場(母船)というアイデアを放棄したわけではない。
ロイズが北方水域での一隻の船による捕鯨を10年間続けた後、1865年にアイス
ランドで地上基地を開設したとき、彼は基地近くに繋留した帆船を搾油工場
として使用していた。
新たに建造された二隻の蒸気船船上で、公海での搾油作業をしようという
試みは失敗に終わった。これに続く年(1866年)のほぼすべての捕獲量は
岸辺で処理された。
フォインの日記を見ると、彼は二隻の蒸気船上のボイラー設備について
知らせを受けていたことがわかる。これが彼の浮かぶ工場の実験計画に
勇気を与えたと思われる。特にフィンマルク沿岸の鯨ストックが
減少していることが明らかとなり、沿岸の処理場に十分な原料が供給
できなくなってきているという状況においてである。
1890年の夏、フォインはビョルノヤ(ベア島)とスピッツベルゲン周辺
へ捕獲船団を派遣した。これは捕鯨船一隻とアザラシ猟船一隻から
なっており、船の舷側ではがされた皮脂層を搾油する装置を備えていた。
6週間の遠征団は60バレルの鯨油と200トンの皮脂、2−3トンの髭板
(whalebone)とともに帰還した。持ち帰った皮脂を沿岸で搾油したところ、
970バレルがえられた。
定置沿岸基地に結びついていなくても操業ができるという点で、この実験は
いくらかの注目を浴びた。1891年には悪天候のために捕獲量が少なく、
この海域での操業は停止されたが、1892年にアイスランド周辺で操業が
再開され、結果は良好だった。鯨14頭で700バレルの鯨油がえられた。
しかし1893年には鯨が10頭しかとれず、経費をカバーすることが
ほとんど不可能だったので、この海域も放棄された。
それにかわって、もう84歳になっていたフォインは、かつてのアザラシ猟船
を南極のロス海に派遣した。セミクジラを探索するためである。
「遠洋捕鯨」という言葉でわれわれが連想するのは、1920年代に開始された
南極海捕鯨であるのが一般的である。しかしこれには技術の進歩以外、何も
新しいものはない。
古いヨーロッパ人の捕鯨でも、アメリカ人の捕鯨でも、近代捕鯨でも、すべての
捕鯨は3つの発展段階をたどるという点で同じことである。
(1)定置型、母港捕鯨
(2)拡大された定置型、遠隔地での沿岸捕鯨
(3)公海捕鯨
である。
フィンマルクでの捕鯨は一般的に言って、近代捕鯨の中での発展の第一段階
である。近代捕鯨は旧式捕鯨のマッコウクジラ漁、セミクジラ漁が主として
遠洋ベースで行われていた時代に発生した。(#ヤンキー捕鯨の)ロイズと
リリエンダールは、彼らが彼らの近代捕鯨を開始した時に、発展の第一段階に
戻った。ただし水上に浮く工場(母船)というアイデアを放棄したわけではない。
ロイズが北方水域での一隻の船による捕鯨を10年間続けた後、1865年にアイス
ランドで地上基地を開設したとき、彼は基地近くに繋留した帆船を搾油工場
として使用していた。
新たに建造された二隻の蒸気船船上で、公海での搾油作業をしようという
試みは失敗に終わった。これに続く年(1866年)のほぼすべての捕獲量は
岸辺で処理された。
フォインの日記を見ると、彼は二隻の蒸気船上のボイラー設備について
知らせを受けていたことがわかる。これが彼の浮かぶ工場の実験計画に
勇気を与えたと思われる。特にフィンマルク沿岸の鯨ストックが
減少していることが明らかとなり、沿岸の処理場に十分な原料が供給
できなくなってきているという状況においてである。
1890年の夏、フォインはビョルノヤ(ベア島)とスピッツベルゲン周辺
へ捕獲船団を派遣した。これは捕鯨船一隻とアザラシ猟船一隻から
なっており、船の舷側ではがされた皮脂層を搾油する装置を備えていた。
6週間の遠征団は60バレルの鯨油と200トンの皮脂、2−3トンの髭板
(whalebone)とともに帰還した。持ち帰った皮脂を沿岸で搾油したところ、
970バレルがえられた。
定置沿岸基地に結びついていなくても操業ができるという点で、この実験は
いくらかの注目を浴びた。1891年には悪天候のために捕獲量が少なく、
この海域での操業は停止されたが、1892年にアイスランド周辺で操業が
再開され、結果は良好だった。鯨14頭で700バレルの鯨油がえられた。
しかし1893年には鯨が10頭しかとれず、経費をカバーすることが
ほとんど不可能だったので、この海域も放棄された。
それにかわって、もう84歳になっていたフォインは、かつてのアザラシ猟船
を南極のロス海に派遣した。セミクジラを探索するためである。
これは メッセージ 47072 (aplzsia さん)への返信です.
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