近代捕鯨史第3章:捕鯨産業2
投稿者: aplzsia 投稿日時: 2010/08/27 19:30 投稿番号: [47071 / 62227]
<The shore station
/地上基地
>
フォインと捕鯨により、フィンマルク(Finnmark#ノルウェー北岸)に
近代産業が進出した。正確に言うと、フォインが鯨油抽出工場と肥料工場
を造ったヴァドセという小さな町の近くにはすでに魚の肝臓から肝油を
採る工場があったが、ここは1年のうちの4ヶ月間に17人を雇用するだけ
だった。
1870年にフォインは彼の海上と陸上の全操業のために、約6ヶ月間
46名を雇用し、さらにヴァドセから時々6名ないし18名の臨時雇用を
採用した。
15年後にはノルウェー北岸の沿岸沿いに20カ所、ムルマンスク沿岸に
3カ所、この種の工場基地ができていた。しかし地元には期待された
ほどの利益はもたらされなかった。ほとんどの労働者はノルウェーの
別の地方から来た人々であり、資本の本拠地も別のところにあったから、
利益のほとんどはそこへ行った。
フィンマルク基地で1880年代の後期に一頭の鯨を処理する手順はおおまかに
説明すると以下のようなものだった。
まず鯨は捕殺されると陸上基地まで曵いてゆかれ、満潮の時に平坦な浜の
可能な限り高い位置にまで引き揚げられる。北極捕鯨の全期間を通じて
引き揚げ用のスリップウェイがつくられたことはない。おそらく100トンか、
時としてそれを越える重量を牽引するウィンチが無かったからであろう。
(これから50年たっても、捕鯨母船の解体作業甲板へと、傾斜したスリップ
ウェイで鯨を引き揚げる作業が最も困難な仕事だった。)
鯨体は引き潮の時に解体された。作業は次の上げ潮がくるまでの間に急いで
行われなければならなかった。解体にはやや湾曲した1フィート半の長さの
刃物が使用され、これには長さ4フィート半の柄がついていた。
皮脂層は鯨体の体長方向に従って幅約1フィート半の帯状に切られる。
脂肪帯の端に穴があけられ、ここにフックがかけられてウィンチに繋がる
ワイヤーで引っ張られ、解体人が皮脂をはがすのに従って鯨体から引き
離される。ウィンチははじめは手動で巻かれていたが、蒸気動力のウィンチが
初めて使われたのは1895年のことだと考えられている。
皮脂と髭板(whalebone)が取り除かれたあと、鯨体の残ったもの、
すなわち肉と骨は建物の中に引き入れられてここで裁断される。
骨を割ったり粉砕するためにさまざまな機械が試されたが、ほんとうに
満足のゆく成果をあげたものはなく、骨は鋸で裁断されたがこれは
時間と手間のかかる厄介な作業だった。
分割された各部分はレール上を走るワゴンに乗せられ、搾油工場に
運ばれる。これは中央に長い通路をもった納屋のような建物で、通路の
両側に16器の大きな縦型円筒形ボイラーが両側に並んでいた。この
ボイラーは「クッカー」とも呼ばれていた。
(つづく)
フォインと捕鯨により、フィンマルク(Finnmark#ノルウェー北岸)に
近代産業が進出した。正確に言うと、フォインが鯨油抽出工場と肥料工場
を造ったヴァドセという小さな町の近くにはすでに魚の肝臓から肝油を
採る工場があったが、ここは1年のうちの4ヶ月間に17人を雇用するだけ
だった。
1870年にフォインは彼の海上と陸上の全操業のために、約6ヶ月間
46名を雇用し、さらにヴァドセから時々6名ないし18名の臨時雇用を
採用した。
15年後にはノルウェー北岸の沿岸沿いに20カ所、ムルマンスク沿岸に
3カ所、この種の工場基地ができていた。しかし地元には期待された
ほどの利益はもたらされなかった。ほとんどの労働者はノルウェーの
別の地方から来た人々であり、資本の本拠地も別のところにあったから、
利益のほとんどはそこへ行った。
フィンマルク基地で1880年代の後期に一頭の鯨を処理する手順はおおまかに
説明すると以下のようなものだった。
まず鯨は捕殺されると陸上基地まで曵いてゆかれ、満潮の時に平坦な浜の
可能な限り高い位置にまで引き揚げられる。北極捕鯨の全期間を通じて
引き揚げ用のスリップウェイがつくられたことはない。おそらく100トンか、
時としてそれを越える重量を牽引するウィンチが無かったからであろう。
(これから50年たっても、捕鯨母船の解体作業甲板へと、傾斜したスリップ
ウェイで鯨を引き揚げる作業が最も困難な仕事だった。)
鯨体は引き潮の時に解体された。作業は次の上げ潮がくるまでの間に急いで
行われなければならなかった。解体にはやや湾曲した1フィート半の長さの
刃物が使用され、これには長さ4フィート半の柄がついていた。
皮脂層は鯨体の体長方向に従って幅約1フィート半の帯状に切られる。
脂肪帯の端に穴があけられ、ここにフックがかけられてウィンチに繋がる
ワイヤーで引っ張られ、解体人が皮脂をはがすのに従って鯨体から引き
離される。ウィンチははじめは手動で巻かれていたが、蒸気動力のウィンチが
初めて使われたのは1895年のことだと考えられている。
皮脂と髭板(whalebone)が取り除かれたあと、鯨体の残ったもの、
すなわち肉と骨は建物の中に引き入れられてここで裁断される。
骨を割ったり粉砕するためにさまざまな機械が試されたが、ほんとうに
満足のゆく成果をあげたものはなく、骨は鋸で裁断されたがこれは
時間と手間のかかる厄介な作業だった。
分割された各部分はレール上を走るワゴンに乗せられ、搾油工場に
運ばれる。これは中央に長い通路をもった納屋のような建物で、通路の
両側に16器の大きな縦型円筒形ボイラーが両側に並んでいた。この
ボイラーは「クッカー」とも呼ばれていた。
(つづく)
これは メッセージ 47070 (aplzsia さん)への返信です.
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