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Re: 近代捕鯨史第3章:捕鯨産業1

投稿者: aplzsia 投稿日時: 2010/08/27 19:28 投稿番号: [47070 / 62227]
(つづき)

1865年と1866年にロイズとリリエンダールが手漕ぎボートで比較的良い
収穫をあげたのでフィオンは彼のボート、Spes et Fidesが正しいサイズ
なのかどうか疑問を抱き始めた。大きすぎるのではないかと。
1868年に彼は長さ58フィート半という非常に小さな蒸気船を造った
(Spes et Fides は 94フィート3/4)。サイズは小さかったが、エンジンは
より強力なもの、図示出力約100馬力のものを取り付けた。
この近代捕鯨史でもっとも小さなキャッチャーボートはよく働いたらしく、
フィンマーク捕鯨でその後20年間使われていた。

1876年にフォインは3番目の捕鯨ボートを買い入れた。サイズはこれまでの
二隻の中間程度だった。1883年には当時として最大のボートで指示馬力190 i.h.p.
のものを注文するに至った。これは10ノット半の速力が出せた。

比較的強力なこのボートはこの年に始まった発展の兆候となるものだった。
この発達とはよりパワフルで丈夫な船への需要だったが、必ずしもトン数が
より大きいという必要はなかった。その理由は3つある。

まず第一に、鯨をめぐる競争が激しくなってきたため、より速い船を持つ
ものが勝利するチャンスを最大化するという傾向である。これと同じことは
1950年代に起きている。この時にはシロナガスクジラ換算16,000頭分の
国際捕獲枠の中で競争に勝ち、最大のシェアを獲得するために最大級の
キャッチャーボートを建造するという競争になった。

第二に、鯨を探して遠出をするようになり、鯨を陸上基地へ持ち帰るまで
より長い区間を曳航するようになった。鯨油の質はある程度、鯨が死んでから
原料として煮出されるまでの時間に影響を受ける。

第三に世界的な展開が始まり、より大きく頑丈な船が必要になった。
遠隔地で捕鯨し、厳しい気候条件に耐えるためである。1904年の遠征で
南極捕鯨が始まった時には積載重量トン150dwt.。エンジン出力350 i.h.p.,
速度12ノットの船が使われた。

Spes et Fidesの進水以来45年間、ノルウェーの造船所が捕鯨船の建造で
支配的な位置を占め、世界のすべての捕鯨漁場へキャッチャーボート
を供給した。言うまでもないことだが、船殻、エンジン、捕鯨船装具
などは一般的な造船およびエンジン技術の発達に影響を受けた。

1880年代のおわりには、捕鯨装具を除いた捕鯨船本体価格は60,000-
80,000 クローネ(£3,300-£4,400)だった。捕鯨装具のうちで最も高価だった
のは捕鯨砲(gun)で、約110英ポンドだった。これは鋳鉄製でピボットする
フォークに取り付けられる。捕鯨船は通常15本のハプーンを積載しており、
これは1.67mの長さだが、1本4.10英ポンドした。ロープは最上級の
大麻製で300mの長さがあり、価格はほとんど捕鯨砲と同じぐらい高価
だった。捕鯨船は普通2本のロープを積んでいた。

(つづく)
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