動物油は北欧州食文化/ナチスと日新丸1
投稿者: aplzsia 投稿日時: 2010/08/23 19:13 投稿番号: [46986 / 62227]
なんか、私がノルウェー(および英国)の母船式大規模捕鯨を擁護してる
みたいな誤解が生じてますので、時代の枠組み全体を示しておきます。
基本的に、19世紀末期以降のノルウェー式近代捕鯨も、日本開国後の
南北戦争期にほぼ終了したヤンキー捕鯨(主としてマッコウクジラ漁)も、
9世紀〜17世紀のバスク捕鯨も、17ー18世紀英蘭北大西洋捕鯨も、
「古式捕鯨」と名付けられた江戸時代日本の商業捕鯨も、商業捕鯨である
以上かならず成長率の遅い天然資源を枯渇させるというのが私の理解する
現代資源管理論です。単に1972年以前の人々はそれに気がつくのがいつも
遅すぎたというだけ。
従って、1000年以上、資源を枯渇させない形で継続している「原住民
生存捕鯨」以外は全部ダメというのが現在のEUその他先進国の基本
見解です。
そのネガティブな商業捕鯨の歴史の中でも、そろそろ世界のはての南極海
まで怪しくなってきたという時期に、老舗の二大捕鯨国、英国と
ノルウェーが捕獲抑制の談合に向かおうとしていたところ、新興捕鯨国、
日本とドイツが野心的というか、向こう見ずというか、とにかく公海の自由
原則を錦の御旗に「南氷洋遠洋捕鯨」に乗り出して来て、奈落への扉を
開けたというのが以下のノルウェー製『近代捕鯨史』の引用部分です。
老舗の自由主義国が協定で生産調整に傾斜し、新興の反自由主義国が
自由競争を喧伝するという、なんかデジャビュの光景だな。
とにかく、もう商業捕鯨に赤ランプがつき始めた時代に、日本のやり方は
無駄が無く優れていて、旧守的な欧米は油を搾ってあとは捨てていた
みたいな言い方は、「目くそ鼻くそを嗤う」型のディベートだし、
「絞った鯨油は街灯で燃やしていた(池上彰)」に至っては国民の
低能化教育だということです。
J. N. TONNESSEN & A.O. JOHNSEN著『THE HISTORY OF MODERN WHALING』
367ページ以下
【第21章/1927-1931年の拡大】
捕鯨の歴史上最大で、最後から2番目のこの拡大は二つの時期に分けられる。
1927-31年のノルウェー-英国期と1934-9年の日本−ドイツ期である。
この二期の間に世界大恐慌がはさまり、鯨油市場の崩壊が起っている。
鯨油市場の崩壊と並行して、われわれは最初の国際管理のための合意を
試みたのだった。
このような理由から、遠洋捕鯨の黄金時代の記述は、その歴史上の欠点をも
含めて、おのずと4つの節目による構成となる:
1927年から1931年にかけての拡大、
1931−4年の恐慌、
1932−6年のノルウェー・英国合意、
1937−9年の新遠洋捕鯨国および国際合意である。
1927年に始まる拡張の主要因は1926年に始まる世界市場の一般的な
改善、好況であり、これは1929年秋までつづく。この期間、多かれ
少なかれ世界は政治的、経済的な安定の時代を享受し続けるかのように
見えた。国際連盟や数々の国際合意が、世界に平和と平穏な発展を
もたらすと信じられていた。国際的な為替と通貨の混乱を経験した
年月をあとにして、各国は金本位制に復帰し、為替相場は安定した。
生活水準と購買力は向上し、世界市場では消費材産業原料への需要が
高まった。油脂類への需要増加もこの例外ではなかった。
この需要をまかなうため、植物性および動物性の原材料が集中的に
採取された。植物性原料の増加は1920年代に50%から60%の上昇率
だったが、鯨油は1926−7年と1930−1年の間で3倍に増加した。
この大部分はヨーロッパ市場で吸収された。
1924年の計算によると、ヨーロッパに供給された鯨油の84パーセントが
マーガリン用だった。この利用法での消費が欧州油脂市場の決定的な
要因だった。
(つづく)
みたいな誤解が生じてますので、時代の枠組み全体を示しておきます。
基本的に、19世紀末期以降のノルウェー式近代捕鯨も、日本開国後の
南北戦争期にほぼ終了したヤンキー捕鯨(主としてマッコウクジラ漁)も、
9世紀〜17世紀のバスク捕鯨も、17ー18世紀英蘭北大西洋捕鯨も、
「古式捕鯨」と名付けられた江戸時代日本の商業捕鯨も、商業捕鯨である
以上かならず成長率の遅い天然資源を枯渇させるというのが私の理解する
現代資源管理論です。単に1972年以前の人々はそれに気がつくのがいつも
遅すぎたというだけ。
従って、1000年以上、資源を枯渇させない形で継続している「原住民
生存捕鯨」以外は全部ダメというのが現在のEUその他先進国の基本
見解です。
そのネガティブな商業捕鯨の歴史の中でも、そろそろ世界のはての南極海
まで怪しくなってきたという時期に、老舗の二大捕鯨国、英国と
ノルウェーが捕獲抑制の談合に向かおうとしていたところ、新興捕鯨国、
日本とドイツが野心的というか、向こう見ずというか、とにかく公海の自由
原則を錦の御旗に「南氷洋遠洋捕鯨」に乗り出して来て、奈落への扉を
開けたというのが以下のノルウェー製『近代捕鯨史』の引用部分です。
老舗の自由主義国が協定で生産調整に傾斜し、新興の反自由主義国が
自由競争を喧伝するという、なんかデジャビュの光景だな。
とにかく、もう商業捕鯨に赤ランプがつき始めた時代に、日本のやり方は
無駄が無く優れていて、旧守的な欧米は油を搾ってあとは捨てていた
みたいな言い方は、「目くそ鼻くそを嗤う」型のディベートだし、
「絞った鯨油は街灯で燃やしていた(池上彰)」に至っては国民の
低能化教育だということです。
J. N. TONNESSEN & A.O. JOHNSEN著『THE HISTORY OF MODERN WHALING』
367ページ以下
【第21章/1927-1931年の拡大】
捕鯨の歴史上最大で、最後から2番目のこの拡大は二つの時期に分けられる。
1927-31年のノルウェー-英国期と1934-9年の日本−ドイツ期である。
この二期の間に世界大恐慌がはさまり、鯨油市場の崩壊が起っている。
鯨油市場の崩壊と並行して、われわれは最初の国際管理のための合意を
試みたのだった。
このような理由から、遠洋捕鯨の黄金時代の記述は、その歴史上の欠点をも
含めて、おのずと4つの節目による構成となる:
1927年から1931年にかけての拡大、
1931−4年の恐慌、
1932−6年のノルウェー・英国合意、
1937−9年の新遠洋捕鯨国および国際合意である。
1927年に始まる拡張の主要因は1926年に始まる世界市場の一般的な
改善、好況であり、これは1929年秋までつづく。この期間、多かれ
少なかれ世界は政治的、経済的な安定の時代を享受し続けるかのように
見えた。国際連盟や数々の国際合意が、世界に平和と平穏な発展を
もたらすと信じられていた。国際的な為替と通貨の混乱を経験した
年月をあとにして、各国は金本位制に復帰し、為替相場は安定した。
生活水準と購買力は向上し、世界市場では消費材産業原料への需要が
高まった。油脂類への需要増加もこの例外ではなかった。
この需要をまかなうため、植物性および動物性の原材料が集中的に
採取された。植物性原料の増加は1920年代に50%から60%の上昇率
だったが、鯨油は1926−7年と1930−1年の間で3倍に増加した。
この大部分はヨーロッパ市場で吸収された。
1924年の計算によると、ヨーロッパに供給された鯨油の84パーセントが
マーガリン用だった。この利用法での消費が欧州油脂市場の決定的な
要因だった。
(つづく)
これは メッセージ 46944 (aplzsia さん)への返信です.
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