対照的な乗組員証人の証言(後編)(1)
投稿者: r13812 投稿日時: 2010/03/23 00:14 投稿番号: [43127 / 62227]
「グリーンピースのクジラ肉裁判」傍聴報告(3)
2010年03月22日
佐久間淳子
3月9日の第3回公判は、これまでの2回とは異なる始まり方をした。開廷の5分前まで、法廷への立ち入りが止められたのである。ようやく中に入ると、証言台の回りに3枚の衝立が巡らされている。この日の証人は共同船舶の元社員なのだが、傍聴席・記者席からはその姿が見えないように配慮がなされ、あらかじめ証言席に座り、その後に傍聴者を入廷させたのである。
衝立のおかげで声が若干聞き取りにくかったが、証言内容は前日の証人とは対照的にかなり明瞭だった。ここでは仮にA氏としておく。
A氏は昭和40年ごろ大手捕鯨会社に就職し、その後大洋漁業・日本水産・極洋捕鯨の捕鯨部門だけを統合した日本共同捕鯨、さらにモラトリアム受け入れと同時に同社が共同船舶と社名変更した後まで捕鯨に従事した。現在の調査捕鯨母船・日新丸にも乗務したことがある。商業捕鯨時代から調査捕鯨にかけての捕鯨母船内のことを知る人物がグリーンピース側の証人として出廷したのである。
■製品の一部で土産を作っていたはず
A氏によれば、商業捕鯨時代にも会社が船員に振る舞う「土産品」の鯨肉はあったという。やはり塩蔵畝須(うねす)2本と赤肉のブロックが2個。それらは製品として整形・冷凍され製品用の箱に梱包されたものを、操業の暇なときや操業を終えて帰途につく頃以降に解凍して塩蔵していた。空き箱は不要なので焼却処分した。これは、いったん鯨肉の全生産量を集計し、水産庁に報告することになっているためにこのようにしたというのだ。
したがってもし、現在の日新丸船上で作られている土産品が水産庁への報告から漏れているとすればそれはおかしい、と指摘した。
土産品の一人あたりの分量については、15kg詰めの製品を分けて作るため、赤肉は20等分で1ブロック750g、畝須はだいたい製品一箱の1/3程度、つまり5kg前後だったという。
■私も持ち出していた
会社からの「土産品」以外に船員たちが持ち出していたかという質問に対しては、「はい」と一言。デッキでクジラを解体する担当や、階下のパン立て場で冷凍直前の整形・計量作業をする要員ももとより、その他の部署の者も持ち帰っていたが、一応人目を避けるようにして自分の分を確保していたということだ。
じつはA氏本人も、商業捕鯨時代には一箱程度の畝須肉を持ち帰っていたという。塩蔵やボイル・紅付けは製造部員に頼んでいたが、調査捕鯨に切り替わって以降は、自身は持ち帰りをやめたという。そこが商業捕鯨再開を願う捕鯨船乗りの矜持ということだろう。
だが、彼が捕鯨船を降りた後、日新丸の中では新たな動きがあった。商業捕鯨時代を知る古株が次第に減り、補うようにトロール船に乗って来た者が入ってくるようになった。
「以前は船員の間に親分子分の関係がしっかりしていたから、持ち出すにしても歯止めが利いていたのだと思うが、トロールから人が入ってくるようになってタガが外れたように思う」
鯨肉の勝手な私物化・持ち出しがほどほどでは済まなくなったということだろうか。いずれにせよグリーンピースに内部告発する者が現れるほどの事態にはなったわけだ。
2010年03月22日
佐久間淳子
3月9日の第3回公判は、これまでの2回とは異なる始まり方をした。開廷の5分前まで、法廷への立ち入りが止められたのである。ようやく中に入ると、証言台の回りに3枚の衝立が巡らされている。この日の証人は共同船舶の元社員なのだが、傍聴席・記者席からはその姿が見えないように配慮がなされ、あらかじめ証言席に座り、その後に傍聴者を入廷させたのである。
衝立のおかげで声が若干聞き取りにくかったが、証言内容は前日の証人とは対照的にかなり明瞭だった。ここでは仮にA氏としておく。
A氏は昭和40年ごろ大手捕鯨会社に就職し、その後大洋漁業・日本水産・極洋捕鯨の捕鯨部門だけを統合した日本共同捕鯨、さらにモラトリアム受け入れと同時に同社が共同船舶と社名変更した後まで捕鯨に従事した。現在の調査捕鯨母船・日新丸にも乗務したことがある。商業捕鯨時代から調査捕鯨にかけての捕鯨母船内のことを知る人物がグリーンピース側の証人として出廷したのである。
■製品の一部で土産を作っていたはず
A氏によれば、商業捕鯨時代にも会社が船員に振る舞う「土産品」の鯨肉はあったという。やはり塩蔵畝須(うねす)2本と赤肉のブロックが2個。それらは製品として整形・冷凍され製品用の箱に梱包されたものを、操業の暇なときや操業を終えて帰途につく頃以降に解凍して塩蔵していた。空き箱は不要なので焼却処分した。これは、いったん鯨肉の全生産量を集計し、水産庁に報告することになっているためにこのようにしたというのだ。
したがってもし、現在の日新丸船上で作られている土産品が水産庁への報告から漏れているとすればそれはおかしい、と指摘した。
土産品の一人あたりの分量については、15kg詰めの製品を分けて作るため、赤肉は20等分で1ブロック750g、畝須はだいたい製品一箱の1/3程度、つまり5kg前後だったという。
■私も持ち出していた
会社からの「土産品」以外に船員たちが持ち出していたかという質問に対しては、「はい」と一言。デッキでクジラを解体する担当や、階下のパン立て場で冷凍直前の整形・計量作業をする要員ももとより、その他の部署の者も持ち帰っていたが、一応人目を避けるようにして自分の分を確保していたということだ。
じつはA氏本人も、商業捕鯨時代には一箱程度の畝須肉を持ち帰っていたという。塩蔵やボイル・紅付けは製造部員に頼んでいたが、調査捕鯨に切り替わって以降は、自身は持ち帰りをやめたという。そこが商業捕鯨再開を願う捕鯨船乗りの矜持ということだろう。
だが、彼が捕鯨船を降りた後、日新丸の中では新たな動きがあった。商業捕鯨時代を知る古株が次第に減り、補うようにトロール船に乗って来た者が入ってくるようになった。
「以前は船員の間に親分子分の関係がしっかりしていたから、持ち出すにしても歯止めが利いていたのだと思うが、トロールから人が入ってくるようになってタガが外れたように思う」
鯨肉の勝手な私物化・持ち出しがほどほどでは済まなくなったということだろうか。いずれにせよグリーンピースに内部告発する者が現れるほどの事態にはなったわけだ。
これは メッセージ 43086 (r13812 さん)への返信です.
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