Re: 19世紀北太平洋ヤンキー捕鯨セミ鯨漁
投稿者: aplzsia 投稿日時: 2009/08/27 01:39 投稿番号: [37520 / 62227]
(1983年IWCセミクジラ・公開シンポジウム/科学委員会ワークショップ
総括論文附属書4、Richard C. Kugler報告つづき)
バハカリフォルニアと西部北極海(ベーリング海峡の北)での
捕鯨強度の例を除いて、1840年から1848年にかけて北西岸で
発揮された捕鯨努力量が、他の捕鯨漁場での努力量と比較される
ことは稀である。
この海域では、ボウルズがポリネシアン紙の記事(1845年)で
指摘している12年間という、他のセミクジラ漁場の高生産性期間
にすら及ばないのである。1848年以後、ほとんどの北西岸捕鯨船
群はホッキョククジラ漁場を目指してベーリング海峡を越えた。
1852年から1856年にかけてのスランプの時期にも、北西沿岸へ
もどった船はほとんど無い。オホーツクでの幸運を試すほうを
選んだ。1912年から1929年にかけてのアラスカ海域での記録は
セミクジラ18頭であり、半世紀以上の休止期間でも資源が回復
しなかったことを示している。
ボックストースやボトキンが西部北極海のホッキョククジラに
ついて行ったような緻密な分析が無いので、北大平のセミクジラ
系群に関するわれわれの知識は未熟であり、印象派風のもの
である。ヘンダーソンによるオホーツク捕鯨の研究はこの欠陥を
修正するだろう。しかし北西沿岸捕鯨のチャート化は、まだ
乏しいものである。サイズ、年齢、性別等の特性に関する証拠は
利用できる形で存在していない。この漁場での鯨油や髭板の
産出量という粗いデータでさえ、これから編成しなければなら
ない作業なのである。北西系群(あるいは複数系群)の出産海域
に関しては(非体系的に行われた)ログブックとその他の詳述の
検討から何も見いだされていない。
Contemporary accounts: 同時代の記述:
Friend (Honolulu), 24 September 1844:
'From what we can learn, the number of ships (on the Northwest
ground) must exceed two hundred. Many of these have already arrived
at the Islands. . . .
|フレンド紙(ホノルル)、1844年9月24日
|「われわれが知りうるかぎり、(北西漁場の)船は200隻を越えて
|いるに相違ない。この多くがすでに列島に到着している...」
1844年9月24日のフレンド紙は「中国周辺海域(Chinese Seas)での
捕鯨に関する報告、沿岸住民による操業」という記事を掲載し、以下の
内容を含んでいる。
'during the months of January and February, whales and their young
resort to the coast of China,... in great numbers;... The fish are, I
believe, what whalers call the right whale, and were calculated by those
on board to yield on an average of 50 barrels of oil each '.
|「1月と2月の期間、クジラとその幼獣が中国沿岸に多く集まっている。
|...膨大な数で...この魚は捕鯨者たちがセミクジラ(right whale)
|と呼んでいるものだと私は思うが、船上の彼らの計算によると、平均
|50バレルの油を一頭あたりで産出する。」
Friend, 2 June 1845:
, . . . of the total number of ships at Lahaina, 173 have sailed to cruise
on the Northwest, 8 on Japan and 1 on the Off Shore Ground'.
|フレンド紙、1845年6月2日
|「...ラハイナ(Lahaina;ハワイ)では、船の総数のうち173隻が
|北西へ航路を向け、日本へは8隻、1隻が沖合漁場へ向かった。」
Friend, 1 October 1845:
'.. .it appears that vessels on the N.W. cruised between 50 and 60°
North latitude and 139° West and 170° East longitude... The past
season on the N.W. has not been so favorable for taking oil, as some
former years have been. Some report that whales are becoming more
scarce, while others assert that there are now as many as formerly, but
that they are more difficult to capture'.
|フレンド紙、1845年10月1日
|「...北西航路の船は北緯50°と60°の間、西経139°と東経170°のへ
|向かっているようだ...昨シーズンの北西漁場で油の産出はそれ以前
|の数年に比べて芳しくなかった。いくつかの報告ではクジラが希少に
|なってきていると言い、他の主張だと、クジラは以前と同じぐらい
|いるけれど捕獲が難しくなっているとなっている。」
総括論文附属書4、Richard C. Kugler報告つづき)
バハカリフォルニアと西部北極海(ベーリング海峡の北)での
捕鯨強度の例を除いて、1840年から1848年にかけて北西岸で
発揮された捕鯨努力量が、他の捕鯨漁場での努力量と比較される
ことは稀である。
この海域では、ボウルズがポリネシアン紙の記事(1845年)で
指摘している12年間という、他のセミクジラ漁場の高生産性期間
にすら及ばないのである。1848年以後、ほとんどの北西岸捕鯨船
群はホッキョククジラ漁場を目指してベーリング海峡を越えた。
1852年から1856年にかけてのスランプの時期にも、北西沿岸へ
もどった船はほとんど無い。オホーツクでの幸運を試すほうを
選んだ。1912年から1929年にかけてのアラスカ海域での記録は
セミクジラ18頭であり、半世紀以上の休止期間でも資源が回復
しなかったことを示している。
ボックストースやボトキンが西部北極海のホッキョククジラに
ついて行ったような緻密な分析が無いので、北大平のセミクジラ
系群に関するわれわれの知識は未熟であり、印象派風のもの
である。ヘンダーソンによるオホーツク捕鯨の研究はこの欠陥を
修正するだろう。しかし北西沿岸捕鯨のチャート化は、まだ
乏しいものである。サイズ、年齢、性別等の特性に関する証拠は
利用できる形で存在していない。この漁場での鯨油や髭板の
産出量という粗いデータでさえ、これから編成しなければなら
ない作業なのである。北西系群(あるいは複数系群)の出産海域
に関しては(非体系的に行われた)ログブックとその他の詳述の
検討から何も見いだされていない。
Contemporary accounts: 同時代の記述:
Friend (Honolulu), 24 September 1844:
'From what we can learn, the number of ships (on the Northwest
ground) must exceed two hundred. Many of these have already arrived
at the Islands. . . .
|フレンド紙(ホノルル)、1844年9月24日
|「われわれが知りうるかぎり、(北西漁場の)船は200隻を越えて
|いるに相違ない。この多くがすでに列島に到着している...」
1844年9月24日のフレンド紙は「中国周辺海域(Chinese Seas)での
捕鯨に関する報告、沿岸住民による操業」という記事を掲載し、以下の
内容を含んでいる。
'during the months of January and February, whales and their young
resort to the coast of China,... in great numbers;... The fish are, I
believe, what whalers call the right whale, and were calculated by those
on board to yield on an average of 50 barrels of oil each '.
|「1月と2月の期間、クジラとその幼獣が中国沿岸に多く集まっている。
|...膨大な数で...この魚は捕鯨者たちがセミクジラ(right whale)
|と呼んでいるものだと私は思うが、船上の彼らの計算によると、平均
|50バレルの油を一頭あたりで産出する。」
Friend, 2 June 1845:
, . . . of the total number of ships at Lahaina, 173 have sailed to cruise
on the Northwest, 8 on Japan and 1 on the Off Shore Ground'.
|フレンド紙、1845年6月2日
|「...ラハイナ(Lahaina;ハワイ)では、船の総数のうち173隻が
|北西へ航路を向け、日本へは8隻、1隻が沖合漁場へ向かった。」
Friend, 1 October 1845:
'.. .it appears that vessels on the N.W. cruised between 50 and 60°
North latitude and 139° West and 170° East longitude... The past
season on the N.W. has not been so favorable for taking oil, as some
former years have been. Some report that whales are becoming more
scarce, while others assert that there are now as many as formerly, but
that they are more difficult to capture'.
|フレンド紙、1845年10月1日
|「...北西航路の船は北緯50°と60°の間、西経139°と東経170°のへ
|向かっているようだ...昨シーズンの北西漁場で油の産出はそれ以前
|の数年に比べて芳しくなかった。いくつかの報告ではクジラが希少に
|なってきていると言い、他の主張だと、クジラは以前と同じぐらい
|いるけれど捕獲が難しくなっているとなっている。」
これは メッセージ 37519 (aplzsia さん)への返信です.
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