さあ!諸君!捕鯨問題だ!

Yahoo! Japan 掲示板トピックビューアー

[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

Re: 「古式」捕鯨でも鯨は減る

投稿者: aplzsia 投稿日時: 2009/08/23 09:10 投稿番号: [37421 / 62227]
(IWC年報1981年版所載、アギラー論文つづき)
[北方への遠征]
14世紀の後半にはバスク人捕鯨者たちは鯨類を求めて北へ
移動し始める。これはスペイン漁業が拡大する一般的傾向と
一致している。彼らは英仏海峡やアイルランドに進出し、Teran (1949)
によると15世紀にはアイスランド周辺に頻繁に出現し、
ニューファウンドランドに永久基地を設置した (1497) 。

セミクジラが特に、15世紀と16世紀の北大西洋全域で集中的に
捕鯨された鯨だった。

バスク捕鯨者たちは毎年イングランド、アイスランド、グリーン
ランド、ニューファウンドランドへ遠征した。
他の国々もこの利益の多い産業に関心を示すようになった。

セミクジラの遺物がフィンマーク(#ノルウェー最北部)と
アイスランドの古い捕鯨サイトで見つかっているが、これら
かなり北の海域ではホッキョククジラが獲られていたという
のがもっともらしい(Allen, 1908)。

しかしカンタブリア海でも、フランスバスクからガリシアに
かけての多くの沿岸村落から盛んに捕鯨が行われており、
これは少なくとも17世紀までは続く。

ゴンザレス・エチェガライ(1978)は各捕鯨基地からの実効捕鯨
範囲は約10マイル(#陸上マイルか海里かわからないので、半径
17Km程度としておきましょう)、カンタベリア沿岸(=スペイン北岸)
は全体としてセミクジラ漁に貢献していたということになる。

この海域での捕鯨操業はおそらく非常に危険なものだったのだろう。
1555年に書かれた記述によると、捕鯨者のストラテジーはまず
子クジラに銛を撃ち、母クジラが子クジラを助けにきたところで
これに銛を撃つというものだった。

このことは小クジラを負傷させた船員がより多く利益の分け前を
得るという事実で裏書きされている。


CATCH STATISTICS FOR THE CANTABRIAN SEA
1500 -1800
[カンタブリア海の捕鯨統計1500−1800]
残されている記録が非常に少なく、不完全なので捕殺された
クジラの数を推定するのは不可能である。

にもかかわらず、過剰捕獲が行われており、系群/資源が
17世紀に減り始めているということは明らかである。

16、17世紀と18世紀のレキティオとゲタリアでの捕獲数
を第1表と第2表で示しているが、これは低めの数値
だろう。フェルナンデス・ドゥーロ (1881)は、16世紀には
毎年4頭から10頭のクジラが捕獲されていたが、これは
17世紀、18世紀には達成できなかった数値だと報告している。

付け加えておくと、16世紀に地域捕鯨産業を保護する新法
が制定されている。減少傾向の別の印である。

1521年と1530年に外国捕鯨者がスペイン沿岸で捕鯨する
ことを禁止している。17世紀はじめには、バスクの銛撃ち
が非スペインの船に乗船することを禁じられた(ケースに
より、罰則は死刑だった!)。1616年と1649年には
外国産クジラ製品をスペインの市場で販売することが
禁じられた(Ter?n, 1949; Ciriquiain,1979; Fern?ndez Duro, 1881)。
[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

Yahoo! Japan 掲示板 アーカイヴ

[検索ページ] (中東) (東亜) (捕鯨 / 捕鯨詳細)