野生生物と畜産生物、残酷の境目
投稿者: ts657738 投稿日時: 2004/08/19 20:34 投稿番号: [3478 / 62227]
・野生生物には尊厳が認められて、家畜は食べるためにある。野生は管理に失敗した歴史があるから信用ならない。
家畜とて生物であって、家畜が育つ為には餌が必要だし、水がないと駄目だし、屎尿処理をしないといけない。
家畜の餌なら穀物や牧草あるいは魚粉などだろうが、要するに自然の天候次第で入手性に変化がある。アメリカで大豆がピンチになったら、日本では豆腐が値上がりしたように農作物とて人間が管理しきれるものではない。畑の肥料や家畜の餌にも使う魚だって、これは天然ものであっていつでも絶対確実に一定であるというものではない。農業では灌漑のやりすぎで地下水を枯らしてしまえば、地盤沈下や塩害だって避けられない。アメリカだって灌漑の地下水は問題になってくる。(いる?)家畜に使った抗生物質が屎尿と一緒に土壌や河川に入り込めば環境破壊につながっていく。
家畜という動物は人間の管理下にあるけれど、自然から切り離されている存在ではなく、紛れもなく自然の一部の構成者という位置付けが必要だ。
それこそ管理の失敗という面ではBSEや鳥インフルエンザ。養殖魚の世界では赤潮などの発生の危険は常にはらんでいる。
家畜だから管理できて、野性だと管理できないという二元論は無意味だし間違い。
家畜も天然生物も自然の輪を構成するそれぞれの存在。両方ともないと人間は困る。
また、最近では家畜にも動物権が及ぶようで致死時間というものがやかましいようだ。畜産とて残酷だと批判されるケースは珍しくない。畜産動物にも尊厳を考慮しないと国際社会では野蛮人扱いされるようだ。気をつけたほうがいいだろう。
ちなみに捕鯨の捕殺時間は優等生の部類なのでこの面では問題は無い。
・「活き作り」や「丸焼き」がいやだという人間の存在。目の前で屠殺を見たくない。
前者は別にそういう所へ近づかなければいいだけのことで、それが好きな人間がいればやればいい話。他人様の嗜好にケチつける意味はない。
後者の目の前で屠殺を見たくないという考え。
これは都市生活者になってきた現代では当たり前かもしれない。例えば私が畜産農家に行って子豚を生きたまま買ってくる、それを自分で〆てトンカツにできるかとなると、これは無理。天然のアジか何かを自分で〆ろと言われればOKだ。
現代人ならスーパーなりで売っている加工済みのパックで入手するというのが大多数だろう。牛肉を食うようになったから、それぞれの家庭で牛の屠殺用の道具を備えて年中やっていますという事ではない。同様に、遠洋で行なわれている捕鯨を目前に見る機会というのはまず殆どないと考えていいだろう。特に南氷洋では海が荒れているから鯨を見に行くのは至難のワザだ。
家畜だって自然の利用無しには全く成立しない、畜産だって農業だって自然の恵みを利用していることの一形態に過ぎない。
目の前で屠殺されるのを見るのが嫌でも大丈夫だ。都会人の殆どは見た事無いから。私だって南氷洋まで捕鯨を見に行ったことなどない、”本物のニワトリ”の処理工場は見たことがあるけれど、牛や豚はない。殺すのを見る事はないけれど、スーパーで牛肉だって鯨肉だってあれば買う。畜産だろうが野生だろうが、両方共に自分の手を血に染めずにね。
家畜とて生物であって、家畜が育つ為には餌が必要だし、水がないと駄目だし、屎尿処理をしないといけない。
家畜の餌なら穀物や牧草あるいは魚粉などだろうが、要するに自然の天候次第で入手性に変化がある。アメリカで大豆がピンチになったら、日本では豆腐が値上がりしたように農作物とて人間が管理しきれるものではない。畑の肥料や家畜の餌にも使う魚だって、これは天然ものであっていつでも絶対確実に一定であるというものではない。農業では灌漑のやりすぎで地下水を枯らしてしまえば、地盤沈下や塩害だって避けられない。アメリカだって灌漑の地下水は問題になってくる。(いる?)家畜に使った抗生物質が屎尿と一緒に土壌や河川に入り込めば環境破壊につながっていく。
家畜という動物は人間の管理下にあるけれど、自然から切り離されている存在ではなく、紛れもなく自然の一部の構成者という位置付けが必要だ。
それこそ管理の失敗という面ではBSEや鳥インフルエンザ。養殖魚の世界では赤潮などの発生の危険は常にはらんでいる。
家畜だから管理できて、野性だと管理できないという二元論は無意味だし間違い。
家畜も天然生物も自然の輪を構成するそれぞれの存在。両方ともないと人間は困る。
また、最近では家畜にも動物権が及ぶようで致死時間というものがやかましいようだ。畜産とて残酷だと批判されるケースは珍しくない。畜産動物にも尊厳を考慮しないと国際社会では野蛮人扱いされるようだ。気をつけたほうがいいだろう。
ちなみに捕鯨の捕殺時間は優等生の部類なのでこの面では問題は無い。
・「活き作り」や「丸焼き」がいやだという人間の存在。目の前で屠殺を見たくない。
前者は別にそういう所へ近づかなければいいだけのことで、それが好きな人間がいればやればいい話。他人様の嗜好にケチつける意味はない。
後者の目の前で屠殺を見たくないという考え。
これは都市生活者になってきた現代では当たり前かもしれない。例えば私が畜産農家に行って子豚を生きたまま買ってくる、それを自分で〆てトンカツにできるかとなると、これは無理。天然のアジか何かを自分で〆ろと言われればOKだ。
現代人ならスーパーなりで売っている加工済みのパックで入手するというのが大多数だろう。牛肉を食うようになったから、それぞれの家庭で牛の屠殺用の道具を備えて年中やっていますという事ではない。同様に、遠洋で行なわれている捕鯨を目前に見る機会というのはまず殆どないと考えていいだろう。特に南氷洋では海が荒れているから鯨を見に行くのは至難のワザだ。
家畜だって自然の利用無しには全く成立しない、畜産だって農業だって自然の恵みを利用していることの一形態に過ぎない。
目の前で屠殺されるのを見るのが嫌でも大丈夫だ。都会人の殆どは見た事無いから。私だって南氷洋まで捕鯨を見に行ったことなどない、”本物のニワトリ”の処理工場は見たことがあるけれど、牛や豚はない。殺すのを見る事はないけれど、スーパーで牛肉だって鯨肉だってあれば買う。畜産だろうが野生だろうが、両方共に自分の手を血に染めずにね。
これは メッセージ 3428 (tome_koiy さん)への返信です.
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