さあ!諸君!捕鯨問題だ!

Yahoo! Japan 掲示板トピックビューアー

[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

Re: やはり高かったクジラ肉

投稿者: corax_lupus 投稿日時: 2008/02/01 15:55 投稿番号: [23592 / 62227]
>科学と言うものは、こういう意味では宗教と同じで、人間の感情のあり方を正当化する手段・・みたいな側面もありますよね。少なくとも感情が優先すると言うことを保証している場合も多くあるので、私もそれ(感情論による反捕鯨運動)は立派な理由になりうると思います。そして、この感情論だけだと、閉塞された空間の中では有効だけれど、「他」の感情に対して如何に共生して、折り合いをつけるか?と言うことが難しい訳ですけど、ここに、「科学的客観性」みたいなものを介入させる必要があるわけですよねえ?

そうですね.ただ,私は科学的裏付けは「根拠の正当性」を担保するけれども,「言っている事の正しさ」は必ずしも担保しないと思います.確かに科学のもつ客観性は強力ですが.
これはaguatibiapy氏にも述べたことですが,科学による保証というのは「この橋は人間の体重を支えられると計算される」といったものですよね.
「だから渡って『も』よい」であって,「渡れ」ではない.「支えられないと計算される」だったら「渡るな」なんですけどね.
従って,仮に「クジラを年間**頭捕っても個体群は維持されると考えられる」場合でも,
「だったら捕ってもいい」「でも捕らなくてもいいじゃん」という二つの意見は常にあるでしょう.これは科学的な結果を踏まえた上での,「ではどうするか」という議論です.そもそもの「考えるための資料」となる調査結果の段階で,客観的な結果と自分の主張をごちゃ混ぜにしてゴネていても始まらない.そこでゴネるなら科学としてやらなきゃ.
(一番ずるいと思うのは,「そんなの信用できないぞー」と野次るだけで内容には一切触れない,よって建設的な話は全く進まないが,進めないのが目的だからそれでいい・・という場合ですがね)

>「可哀相」と「食べたい」という、まともにぶつかればおそらくは永遠に解決のない泥仕合になっていくことが自明な懸案に対して、如何にして共存できるか?と言うのが、両方ともそのこと自体では否定できない、「人間の(おそらくは普遍的に承知されるであろう)内心の自由」感情に根ざしていることを考えれば、そこを取り持つ存在として、今のところ「科学的検証」以外にないと考えられているわけですよね。

恐らく,心情的に捕鯨に反対なだけでは説得力が不足しそうな場合に,「捕獲が危険な程度の数しかいない,これは科学的な根拠があるのだ」と本当は言いたい・・そういう人もいるのだろうと思います.が,その根拠となる調査を行っていないので「これが調査結果だ,見ろ,少ないじゃないか」と言えない.後は「お前らの調査なんか信用できるもんか」というやり方しか無い.ですが,これは二つの意味でおかしい.まず「科学の話をするなら論理的に反論しろ(できたら反証となるデータを示せ)」ということ,そして「心情的に反対するのに科学はいらないのに,本人が後ろ楯がなくて不安に思っている」ということです.
心情的な主張であっても,本人がちゃんと認識しているなら別に構わない(それが常識だとか科学的帰結だとか言い出すとモメるでしょうが).本人も堂々とそう主張すれば良いと思うのですが.
[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

Yahoo! Japan 掲示板 アーカイヴ

[検索ページ] (中東) (東亜) (捕鯨 / 捕鯨詳細)