Re: やはり高かったクジラ肉
投稿者: assaraamaaleicomnjp 投稿日時: 2008/02/01 14:24 投稿番号: [23590 / 62227]
もう一つ忘れていました。
>クジラが好き,だから殺してほしくない.それは立派な理由だと思います.
科学と言うものは、こういう意味では宗教と同じで、人間の感情のあり方を正当化する手段・・みたいな側面もありますよね。少なくとも感情が優先すると言うことを保証している場合も多くあるので、私もそれ(感情論による反捕鯨運動)は立派な理由になりうると思います。そして、この感情論だけだと、閉塞された空間の中では有効だけれど、「他」の感情に対して如何に共生して、折り合いをつけるか?と言うことが難しい訳ですけど、ここに、「科学的客観性」みたいなものを介入させる必要があるわけですよねえ?
「可哀相」と「食べたい」という、まともにぶつかればおそらくは永遠に解決のない泥仕合になっていくことが自明な懸案に対して、如何にして共存できるか?と言うのが、両方ともそのこと自体では否定できない、「人間の(おそらくは普遍的に承知されるであろう)内心の自由」感情に根ざしていることを考えれば、そこを取り持つ存在として、今のところ「科学的検証」以外にないと考えられているわけですよね。
おそらくは、こんなことを百も承知の人たちがなぜやらないのか?やろうとしないのか?と言うのは、やはり「自分達の主張を100%通したい。1匹たりとも捕鯨は許せない」と言う純粋な感情の妥協を拒否する主張(これは一般人の感情を代表して寄付を募る為の主張であり、国家的な主張とは別物であろうが、今回のオーストラリアは、与党政権の政治的推進力強化に利用している可能性がある))にこだわるあまり、それにおける「科学」の介入が自分達の主張に対して分が悪いと分かっているから、もう一方的な感情論を強行に押し通すしかないと言う状態なんでしょうね。
「敵を知り己を知れば、百戦危うべからず」でしたっけ?
※鯨のことを知ろうとしないままの反対運動なんて、偽物、偽善ですよ。
これは メッセージ 23569 (corax_lupus さん)への返信です.
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