反捕鯨の主張、その2
投稿者: thunnus_thynnus_mejimaguro 投稿日時: 2003/10/09 21:37 投稿番号: [2151 / 62227]
論争の核心
話をわかりやすくするため、最初に二つの点を明らかにしておこう。
第一は、今なぜこの問題が日英首脳会談で持ち出されたのかという必然性の問題。
第二は、海部首相の答弁に正当性はあるのかという問題である、
まず第一の点について、ポイントは次の二つである。
一つは、今年一九九〇年が、商業捕鯨を再開するか、それとも今のまま、”モラトリアム”を続けるかどうかを決める見直しの年に当たっており、それを審議する国際捕鯨会議が、七月にオランダで開かれること。
二つめは、鯨問題が一九七二年の国連環境会議以来、世界の自然環境保護のシンボル的課題となり、核兵器や原子力問題と並ぶ重要な国際的海洋環境問題の一環として、漁業資源保存等にかかわる重要課題とみなされていることである。
結論から言えば、この第二の問題点――海部首相の答弁の正当性について、私は”まちがいではないが正しいとはいえない”と考える。その理由をこれから明らかにしていくわけだが、その前に論点を整理すると、次のようになる。
一九八五年に世界の商業捕鯨が全面禁止になった。これは長年の捕鯨によって大型鯨類のほとんどにものに絶滅の危機が迫ったからだ。そこで捕鯨を五年間やめて、クジラ資源の再検討をおこなうことになった。調査捕鯨とはそのための科学的調査のことで、これは各国が必要だと認めた。しかし、そのやり方については意見が分かれたのである。クジラを殺して調査するという日本やアイスランドなどと、殺さないで調べるべきだというアメリカ、イギリスなどの国々だ。対立は解消されず、日本などは殺す調査を続けている。
クジラの科学調査について、国際捕鯨取締条約第八条第一項には次のように書かれている。
「この条約の規定にかかわらず、締約国政府は、同政府が適当と認める数の制限及び他の条件に従って自国民のいずれかが科学的研究のために鯨を捕獲し、殺し、処理すえうこと認可する特別許可書をこれに与えることができる。またこの条の規定による鯨の捕獲、殺害及び処理は、この条約の適用から除外する」
海部首相の言ったことは、この部分をもとにしていると思われるが、この項はさらにこう続く。
「各締約国政府は、その与えたすべての前記の認可を直ちに委員会に報告しなければならない」
日本政府は、これを守っている。問題は、このあとに続く次の文言だ。
「各締約国政府は、その与えた前記の特別許可書をいつても取り消すことができる」
つまり、日本のやり方に反対する国々は、日本政府が出している許可書の取り消しを迫っているとみることができる。では、何を根拠にしてのことなのか、それは、日本の調査は条文にある「科学的研究」とはいえないのだという主張なのである。この点が論争の核心であるとみていいだろう。
条約条文の解釈は法律論争の問題で、実際には海洋法や南極条約、ワシントン条約など多くの関連条約がからんでくる。、また、科学的研究とは何かという問題は、世紀の大論争――すなわち、科学的とは何かという巨大なテーマだ。これらの問題は、いずれも人間の文化、政治、経済、価値観などにかかわる問題で、捕鯨の文化的分野のテーマである。いっぽうクジラは何頭いるのか、殺しても絶滅しないのかという問題は計測、予測など数理的な理科的分野のテーマである。
この小論では、理科的分野の検討を中心に話を進め、文化的分野は一部にとどめておく、これは紙数の関係からであるが、捕鯨論争は、昔も今も、種の絶滅を重要課題とみる理数系の問題が中心であり、種を絶滅させてまで守らねばならぬ伝統や文化、経済活動などはないからである。
→ここで既に反捕鯨のお家芸ともいえる主張が出てきたが、このヒトの主張は、後々さらに支離滅裂なものになり、呆れ返ること間違いなしだ。
では、この文章の中にどんな欺瞞があるか?
話をわかりやすくするため、最初に二つの点を明らかにしておこう。
第一は、今なぜこの問題が日英首脳会談で持ち出されたのかという必然性の問題。
第二は、海部首相の答弁に正当性はあるのかという問題である、
まず第一の点について、ポイントは次の二つである。
一つは、今年一九九〇年が、商業捕鯨を再開するか、それとも今のまま、”モラトリアム”を続けるかどうかを決める見直しの年に当たっており、それを審議する国際捕鯨会議が、七月にオランダで開かれること。
二つめは、鯨問題が一九七二年の国連環境会議以来、世界の自然環境保護のシンボル的課題となり、核兵器や原子力問題と並ぶ重要な国際的海洋環境問題の一環として、漁業資源保存等にかかわる重要課題とみなされていることである。
結論から言えば、この第二の問題点――海部首相の答弁の正当性について、私は”まちがいではないが正しいとはいえない”と考える。その理由をこれから明らかにしていくわけだが、その前に論点を整理すると、次のようになる。
一九八五年に世界の商業捕鯨が全面禁止になった。これは長年の捕鯨によって大型鯨類のほとんどにものに絶滅の危機が迫ったからだ。そこで捕鯨を五年間やめて、クジラ資源の再検討をおこなうことになった。調査捕鯨とはそのための科学的調査のことで、これは各国が必要だと認めた。しかし、そのやり方については意見が分かれたのである。クジラを殺して調査するという日本やアイスランドなどと、殺さないで調べるべきだというアメリカ、イギリスなどの国々だ。対立は解消されず、日本などは殺す調査を続けている。
クジラの科学調査について、国際捕鯨取締条約第八条第一項には次のように書かれている。
「この条約の規定にかかわらず、締約国政府は、同政府が適当と認める数の制限及び他の条件に従って自国民のいずれかが科学的研究のために鯨を捕獲し、殺し、処理すえうこと認可する特別許可書をこれに与えることができる。またこの条の規定による鯨の捕獲、殺害及び処理は、この条約の適用から除外する」
海部首相の言ったことは、この部分をもとにしていると思われるが、この項はさらにこう続く。
「各締約国政府は、その与えたすべての前記の認可を直ちに委員会に報告しなければならない」
日本政府は、これを守っている。問題は、このあとに続く次の文言だ。
「各締約国政府は、その与えた前記の特別許可書をいつても取り消すことができる」
つまり、日本のやり方に反対する国々は、日本政府が出している許可書の取り消しを迫っているとみることができる。では、何を根拠にしてのことなのか、それは、日本の調査は条文にある「科学的研究」とはいえないのだという主張なのである。この点が論争の核心であるとみていいだろう。
条約条文の解釈は法律論争の問題で、実際には海洋法や南極条約、ワシントン条約など多くの関連条約がからんでくる。、また、科学的研究とは何かという問題は、世紀の大論争――すなわち、科学的とは何かという巨大なテーマだ。これらの問題は、いずれも人間の文化、政治、経済、価値観などにかかわる問題で、捕鯨の文化的分野のテーマである。いっぽうクジラは何頭いるのか、殺しても絶滅しないのかという問題は計測、予測など数理的な理科的分野のテーマである。
この小論では、理科的分野の検討を中心に話を進め、文化的分野は一部にとどめておく、これは紙数の関係からであるが、捕鯨論争は、昔も今も、種の絶滅を重要課題とみる理数系の問題が中心であり、種を絶滅させてまで守らねばならぬ伝統や文化、経済活動などはないからである。
→ここで既に反捕鯨のお家芸ともいえる主張が出てきたが、このヒトの主張は、後々さらに支離滅裂なものになり、呆れ返ること間違いなしだ。
では、この文章の中にどんな欺瞞があるか?
これは メッセージ 2149 (thunnus_thynnus_mejimaguro さん)への返信です.
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