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日本の恥ずべき捕鯨史(2)

投稿者: aguatibiapy 投稿日時: 2007/01/13 14:10 投稿番号: [17188 / 62227]
第2次大戦後も日本政府はその捕鯨業者に無条件の許可を与え続けていた。   日本は1951年、つまり成立後4年もたってから嫌々ながらIWCに加盟したが、政策決定は直ちに捕鯨会社の組織である日本捕鯨協会の手に委ねられた。   1965年に至るまでIWCでの日本代表は日本捕鯨協会の会長であった。

1951年から1964年迄、   日本の大捕鯨会社(日水、大洋、極洋)の利益を代弁するIWCの日本代表は、シロナガス鯨とザトウ鯨の破壊を防止しようとするIWCの企図を悉く阻んだ。   近代的な捕鯨産業を創設し、南極での捕鯨を主導したノルウェイすら日本の頑固さと強欲にはあっけにとられたものだ。

日本はIWCのシロナガスクジラ捕獲禁止案に合意したのは、彼等が展開した7船団の100隻のキャッチャーボートがたった1頭のシロナガスも発見できなかった1964年に至ってからである。   しかし(日本の)捕鯨業者たちはこの最大の動物が南部チリーの奥深い峡谷(fjord)に生き残っているのを知っていた。

だから、日本政府と捕鯨業者が恭しくシロナガス禁止の遵守を誓っている一方で、政府はずる賢くも業者達にチリーに陸上基地を設置する許可を与えた。   チリーはIWCのメンバーではなかったのだ。   1964年から1968年までの4年間に、日本の捕鯨業者はチリーの海域で690頭のシロナガスを殺した。彼等はしばしば母子連れの鯨を峡谷の最も深部まで追い詰めたので、静謐な海水はその血液で赤く染まった。

日本の強欲な捕鯨業者がチリーで狙った絶滅危惧種はそれだけではない。他にも(捕鯨禁止の)13頭のザトウ、3頭のセミも殺した。   そのほかにも1600頭のナガスとイワシ、1500頭のマッコウを殺した。   総ての肉と油は日本に送られたが、政府は頬かむりしていた。

多分捕鯨での最も酷い犯罪は日本の大洋漁業(株)によるものだ。   同社は1968年にノルウェイの捕鯨資本と合弁で海賊捕鯨に手を出した。   以前のオランダのキャッチャーボートであるAM   No4は改造され冷凍室とスリップウェイが付け加えられ母船/キャッチャー兼用船に仕立てられた。

シエラと改名されたこの海賊捕鯨船は、バハマやソマリアやキプロスの便宜的な旗を掲げて南北大西洋をうろつきまわった。   この船はIWCの規制外で多数のクジラを殺したが、その多くは捕鯨禁止となっていたシロナガスやザトウやセミクジラであった。   肉と油は大西洋の幾つかの港から大洋捕鯨の冷凍船で日本に送られた。

シエラの凶暴な行いは1979年にシーシェパードの行動によって漸く制止された。   このときシーシェパードはポルトガルのオポルト港外でこの船に突っかけたのだ。   この7ヵ月後シエラは何者かが仕掛けたリンペット爆雷によって不思議な沈没を遂げた。
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