打開して自存自衛を求める
投稿者: yamamotoiso7 投稿日時: 2004/01/05 12:11 投稿番号: [98802 / 232612]
杉山参謀総長と塚田次長は、南方問題に関する暫定協定が成立し、当面の衝突が回避されても、根本の支那問題が解決されない限り日米戦惹起は必至であり、その時は我が国の戦力が相対的に著しく低下しもはや勝算はない、との理由を挙げて、乙案に反対した。
だが東郷外相は、刻下外交の要は日米戦を回避するにあり、南方問題と石油問題とを解決し得れば、支那問題他は漸次解決されてゆくと主張し、参謀本部が乙案を認めなければ辞職することを示唆した。結局、東条首相と武藤軍務局長に説得された参謀本部は、乙案に「4、米国は日支両国の和平努力を妨げないこと」を加えることを条件に政府側に譲歩し、斯くして新「帝国国策遂行要領」が決定され、二日午前一時半、連絡会議は終了した。
帝国国策遂行要領
一、帝国は現下の危局を打開して自存自衛を全うし大東亜の新秩序を建設する為此の際対米英蘭戦争を決意し左記措置を採る。
1、武力発動の時機を十二月初頭と定め陸海軍は作戦準備を完整す。
2、対米交渉は別紙要領(甲乙案)に依り之を行う。
3、独伊との提携強化を図る。
4、武力発動の直前泰との間に軍事的緊密関係を樹立する。
二、対米交渉が十二月一日午前零時迄に成功せば武力発動を中止す。
二日午後五時、東条首相は、杉山、永野両総長と共に宮中に参内し、涙を流しながら昨日来の経過と国策遂行要領を内奏した。
昭和天皇は、沈痛な面持で始終を聴き取られ、「事態が今日のようになれば、作戦準備をさらに進めることは已むを得ないとしても、なんとか極力日米交渉の打開を図ってもらいたい。」と仰せられた。
四日陸相官邸にて、東条首相は、日本駐米大使、野村吉三郎を支援するため翌日渡米する特派大使、来栖三郎と懇談し、米国の両洋作戦準備未完成、世論未だ戦争を支持せず、ゴム・錫など軍需物資の不十分の三理由を挙げて、「今ならば、米国もみだりに戦争を望むまいと思われるから、成功三分、失敗七分と見てよかろう。困難は重々判っているが、くれぐれも妥結に努力を願いたい。ただ駐兵を譲ると、自分は靖国神社の方を向いて寝られないから、これだけは支那の実情を説いて承諾させてもらいたい。」と誠意を込めて激励した。
翌五日、御前会議にて甲乙案と「帝国国策遂行要領」が最終決定され、東郷外相は詳細な外交経過を述べた後、「日米交渉は時間的にも著しく制約され、外交的施策の余地に乏しく、交渉妥結は焦眉の急を要しますので、極めて困難なる状況の下に折衝を致さねばならず、その円満成立を期待し得る程度の少なきは甚だ遺憾であります。」と悲観的予測を述べたが、東条首相は原枢密院議長に対して、
「若干交渉成立の見込みはあると思う。米国にも多少の弱点はある。この案によって日本軍が展開位置につけば日本の決意も米国には判る。米国は元来日本が経済的に降伏するものと思っているのであろうが、いよいよ日本が決意したと認めれば、その時期こそ外交の手段を打つべき時と考えるものである。」と述べた。東条首相は、昭和天皇の聖慮に沿うべく和平交渉に一縷の希望を抱いていたのであった。
だが東郷外相は、刻下外交の要は日米戦を回避するにあり、南方問題と石油問題とを解決し得れば、支那問題他は漸次解決されてゆくと主張し、参謀本部が乙案を認めなければ辞職することを示唆した。結局、東条首相と武藤軍務局長に説得された参謀本部は、乙案に「4、米国は日支両国の和平努力を妨げないこと」を加えることを条件に政府側に譲歩し、斯くして新「帝国国策遂行要領」が決定され、二日午前一時半、連絡会議は終了した。
帝国国策遂行要領
一、帝国は現下の危局を打開して自存自衛を全うし大東亜の新秩序を建設する為此の際対米英蘭戦争を決意し左記措置を採る。
1、武力発動の時機を十二月初頭と定め陸海軍は作戦準備を完整す。
2、対米交渉は別紙要領(甲乙案)に依り之を行う。
3、独伊との提携強化を図る。
4、武力発動の直前泰との間に軍事的緊密関係を樹立する。
二、対米交渉が十二月一日午前零時迄に成功せば武力発動を中止す。
二日午後五時、東条首相は、杉山、永野両総長と共に宮中に参内し、涙を流しながら昨日来の経過と国策遂行要領を内奏した。
昭和天皇は、沈痛な面持で始終を聴き取られ、「事態が今日のようになれば、作戦準備をさらに進めることは已むを得ないとしても、なんとか極力日米交渉の打開を図ってもらいたい。」と仰せられた。
四日陸相官邸にて、東条首相は、日本駐米大使、野村吉三郎を支援するため翌日渡米する特派大使、来栖三郎と懇談し、米国の両洋作戦準備未完成、世論未だ戦争を支持せず、ゴム・錫など軍需物資の不十分の三理由を挙げて、「今ならば、米国もみだりに戦争を望むまいと思われるから、成功三分、失敗七分と見てよかろう。困難は重々判っているが、くれぐれも妥結に努力を願いたい。ただ駐兵を譲ると、自分は靖国神社の方を向いて寝られないから、これだけは支那の実情を説いて承諾させてもらいたい。」と誠意を込めて激励した。
翌五日、御前会議にて甲乙案と「帝国国策遂行要領」が最終決定され、東郷外相は詳細な外交経過を述べた後、「日米交渉は時間的にも著しく制約され、外交的施策の余地に乏しく、交渉妥結は焦眉の急を要しますので、極めて困難なる状況の下に折衝を致さねばならず、その円満成立を期待し得る程度の少なきは甚だ遺憾であります。」と悲観的予測を述べたが、東条首相は原枢密院議長に対して、
「若干交渉成立の見込みはあると思う。米国にも多少の弱点はある。この案によって日本軍が展開位置につけば日本の決意も米国には判る。米国は元来日本が経済的に降伏するものと思っているのであろうが、いよいよ日本が決意したと認めれば、その時期こそ外交の手段を打つべき時と考えるものである。」と述べた。東条首相は、昭和天皇の聖慮に沿うべく和平交渉に一縷の希望を抱いていたのであった。
これは メッセージ 1 (mitokoumon_2002 さん)への返信です.