>目の前の戦争と歴史
投稿者: moriya99 投稿日時: 2003/04/05 12:27 投稿番号: [60780 / 232612]
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日本国民として現代に生きる国民としてなにがしかの責任はあります。
どうか日本が選択を誤りませんように。
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そうですね。歴史を何のために学ぶか、研究し掘り下げるか。
多分、よりよい未来への進路を選択するためであり、現在直面している問題へのよりよい対応をするために知りたいのですよね。
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それらの中には、誰・国がどのようにしたかというような外交・戦争の事実・評価は既に定まっているわけですし、歴史のなかにあるわけです。
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確かにそうなんですね。結末が分かっている…。
だが、一方で、歴史も見る立場、時代によって歴史上の事象の評価も変ってきます。
評価が定まっているように見える戦争の事実・評価も、ある立場からの物である場合も多い。例えば西欧から見た評価であったりする訳です。非西欧の別の立場からみると、同じ事実、事象が別の顔を持っている可能性もありますね。歴史の面白いところです。
その中で、何が普遍的であり、何が一時的な事象、個別的な事象かを見分けて行くのは、これからという問題もありますね。
時代が変れば歴史も変ります。
例えば、戦争観。これは、第二次世界大戦以前と以後では、隔絶したものがあると思う。戦争の意味が全く変ってきています。
表面的には、それまでのように、戦争が物事を解決する。紛争を解決する。
それが誤りであることが見えてきた。
戦争に勝者はいない。まあ、いい物が出来たもんですね。核兵器。これを本気で使ったら、敵も味方もない。勝っても負けても廃墟の中か、放射能のなか…。
勝者がいないのを証明してくれたんですね。
もう一つの隔絶した事象。民間人の犠牲者が飛躍的に増加してしまっているのが第二次世界大戦の特長です。
それまでの戦争は、所詮、権力者同士の覇権争いであり、経済、治安などに酷い影響が出るとはいえ、一般の民衆に直接、襲いかかってくるものではなかった。戦闘行為に巻き込まれて民衆が死ぬということは少ない。出ても桁が違ったんですね。第二次世界大戦の特長は一般人に死者の多さです。多分それまでの20倍、30倍の多さです。
(過去の戦争。たとえば川中島の合戦。丁寧に記録を見ていくと、本当に武将同士だけの争い。一般の民衆は弁当を持って見物に行っている記録まであります。のどかなものです。ま、街全体が焼き討ちにあったり、青田刈りをされたり、戦争が民衆を苦しめるのは変りないのですが、直接の弓矢、弾薬の被害者は少ない。)
そして現在は国家、国境というものの持つ意味も変ってきています。インターネット時代になって更に加速して変化しているのじゃないでしょうか。
温知古新なんですけど、過去の歴史も別の視点で見直さないといけないですね。
普遍的な要素と、一時的な要素、地理的な要素、その時代の政治の要素などは、見る立場によって変化するものです。
そのなかから、普遍の要素をくみ取った時だけ、多分、未来の選択への有効な知識になるのでしょうね。
歴史を学ぶのは、未来に責任を持つためですし、現在の困難を放置しないためですけど、難しいです。
浮かび上がってくるのは、人間の度し難さです。
でも戦争は習慣です。本能じゃない。習慣と言う物は、非常に変えにくい。しかし、変えることは不可能じゃない。
絶望も希望も人間のなかにある。
戦争で紛争は解決しない。戦争で得た物は戦争で失う。過去の歴史に一貫して流れているものです。
このことが現在にどのように当てはまるでしょうか。
若い人の確かな感性だけが頼りなんですね。
日本国民として現代に生きる国民としてなにがしかの責任はあります。
どうか日本が選択を誤りませんように。
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そうですね。歴史を何のために学ぶか、研究し掘り下げるか。
多分、よりよい未来への進路を選択するためであり、現在直面している問題へのよりよい対応をするために知りたいのですよね。
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それらの中には、誰・国がどのようにしたかというような外交・戦争の事実・評価は既に定まっているわけですし、歴史のなかにあるわけです。
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確かにそうなんですね。結末が分かっている…。
だが、一方で、歴史も見る立場、時代によって歴史上の事象の評価も変ってきます。
評価が定まっているように見える戦争の事実・評価も、ある立場からの物である場合も多い。例えば西欧から見た評価であったりする訳です。非西欧の別の立場からみると、同じ事実、事象が別の顔を持っている可能性もありますね。歴史の面白いところです。
その中で、何が普遍的であり、何が一時的な事象、個別的な事象かを見分けて行くのは、これからという問題もありますね。
時代が変れば歴史も変ります。
例えば、戦争観。これは、第二次世界大戦以前と以後では、隔絶したものがあると思う。戦争の意味が全く変ってきています。
表面的には、それまでのように、戦争が物事を解決する。紛争を解決する。
それが誤りであることが見えてきた。
戦争に勝者はいない。まあ、いい物が出来たもんですね。核兵器。これを本気で使ったら、敵も味方もない。勝っても負けても廃墟の中か、放射能のなか…。
勝者がいないのを証明してくれたんですね。
もう一つの隔絶した事象。民間人の犠牲者が飛躍的に増加してしまっているのが第二次世界大戦の特長です。
それまでの戦争は、所詮、権力者同士の覇権争いであり、経済、治安などに酷い影響が出るとはいえ、一般の民衆に直接、襲いかかってくるものではなかった。戦闘行為に巻き込まれて民衆が死ぬということは少ない。出ても桁が違ったんですね。第二次世界大戦の特長は一般人に死者の多さです。多分それまでの20倍、30倍の多さです。
(過去の戦争。たとえば川中島の合戦。丁寧に記録を見ていくと、本当に武将同士だけの争い。一般の民衆は弁当を持って見物に行っている記録まであります。のどかなものです。ま、街全体が焼き討ちにあったり、青田刈りをされたり、戦争が民衆を苦しめるのは変りないのですが、直接の弓矢、弾薬の被害者は少ない。)
そして現在は国家、国境というものの持つ意味も変ってきています。インターネット時代になって更に加速して変化しているのじゃないでしょうか。
温知古新なんですけど、過去の歴史も別の視点で見直さないといけないですね。
普遍的な要素と、一時的な要素、地理的な要素、その時代の政治の要素などは、見る立場によって変化するものです。
そのなかから、普遍の要素をくみ取った時だけ、多分、未来の選択への有効な知識になるのでしょうね。
歴史を学ぶのは、未来に責任を持つためですし、現在の困難を放置しないためですけど、難しいです。
浮かび上がってくるのは、人間の度し難さです。
でも戦争は習慣です。本能じゃない。習慣と言う物は、非常に変えにくい。しかし、変えることは不可能じゃない。
絶望も希望も人間のなかにある。
戦争で紛争は解決しない。戦争で得た物は戦争で失う。過去の歴史に一貫して流れているものです。
このことが現在にどのように当てはまるでしょうか。
若い人の確かな感性だけが頼りなんですね。
これは メッセージ 60743 (sofiansky2003 さん)への返信です.