小泉首相の統治戦略②
投稿者: komash0427 投稿日時: 2005/08/27 13:50 投稿番号: [213212 / 232612]
2.短命政権の連続で「失われた10年」
このような小泉政権誕生の経緯を振り返る時、私自身の連想は、かつてドイツの社会科学者マックス・ヴェーバーが説いた「指導者民主主義」に傾いてゆく。
ヴェーバーの「指導者民主主義」論は、手っ取りばやく言えば、人民投票によって選出された指導者が強力なリーダーシップを発揮できる体制を確保しようとするものだった。もちろん、民主主義を称する以上、指導者は選挙を通じて選ばれるが、指導者は個々の政策について大衆を説得するよりも、演説の持つ情緒的な力(デマゴギー)に訴えて、自己の人格への信仰を大衆の間に呼び起こすべきものとされた。そして、議会の議員は、個々の政策について指導者に掣肘を加えるのではなく、指導者が大衆の信任を得ている限りは彼に追随するべきだと説かれた。
では、なぜヴェーバーは、このような指導者の強力なリーダーシップを重視し、そこに重点を置く特異な民主主義論を唱えたのか。それは、現代社会では多くの分野で官僚制化が抗し難い勢いで進行し、そのために社会全体が硬直化をきたすという深刻な恐怖心を抱いていたからである。この滔々たる官僚制化の流れに対抗して、多少ともそれを抑制しうるのは、大衆の信任をえたカリスマ的指導者のほかにはいないというのが、ヴェーバーの考え方だった。
彼がこの特異な民主主義論を抱くようになったのは、第1次世界大戦が終わる前後のことである。この異能のドイツの社会科学者は1920年に病没するが、それから10年あまりのちには、ドイツでヒトラーが政権を獲得して独裁制の樹立へと向かった。こうした歴史の経緯から、第2次世界大戦後に「ヴェーバーがヒトラー独裁の理論的な先駆者の役割を果たした」という主張が現れたのも、無理からぬことだった。
しかし、注意すべきは、現在のおもだった西欧民主主義国家の中には、ヴェーバーの説く「指導者民主主義」に呼応するかのように、強力な指導者の地位を体制の中に織り込んでいる国が少なくないことである。もともとヴェーバーの「指導者民主主義」論そのものが、米英の現実の政治体制に少なからず影響を受けて組みたてられたといわれる。従って、アメリカの大統領制もイギリスの議員内閣制も、実質的にはヴェーバーの説にかなり近い指導者本位の体制になっていることは、なんら不思議ではない。
また、ド・ゴールが作ったフランスの第5共和制における大統領の強力な地位こそは、ヴェーバーが目指した指導者像に最も近いと指摘する研究者もいる。
更に興味深いのは、ヒトラー独裁を生み出した当のドイツが、首相の地位を強化するための一連の条項を基本法の中に設けていることである。その代表的なものが「建設的不信任決議案」と呼ばれる条項であって、それによれば、連邦議会で選出される首相は、単に議会で不信任案が可決されただけでは罷免され得ないことになっている。連邦議会が過半数をもって後任の首相を選出するのでない限り、在任中の首相が議会の不信任によってその地位を失うことはないのである。
このように一瞥しただけでも、欧米の主要先進諸国は、大統領あるいは首相という最高指導者の地位を強固なものにする体制を意識的にとっている。そして実際にも、これらの国々では、政治の最高指導者が短期間で次々と交代するという弊は避けられ、最低でも4年ぐらいは政権を維持することを当然の前提として、政治が運営されている。ドイツ(西ドイツを含む)の場合には、アデナウアーは14年、コールにいたっては16年もの長きにわたって、首相の座に留まった。
それに比べると、特に小泉政権が登場するまでの十数年間というもの、日本では短命な政権が次々と交代し、その寿命はせいぜい2年も持てばよいとされる有様だった。そして、同じ議員内閣制ではあっても、イギリスやドイツのように総選挙で政党同士が首相候補を明示した上で戦うというルールが確立していないために、日本の一般有権者は自分たちの手で指導者を選んだという実感をもつことができなかった。
日本では、次期首相を誰にするかは、実質的には有権者のまったく手の届かない密室の中で、自民党の「実力者」たちによって派閥力学に基づいて決定されることが多かった。細川内閣の時代に小選挙区制を含む新しい選挙制度が導入されたことで、事態は少しは変わるかと期待された。だが、小渕内閣が急死したあとの森内閣誕生の経緯を見れば、その期待は見事に裏切られたのだった。
このような意味で、1990年代は、経済だけでなく政治に関しても「失われた10年」だったといわねばならない。
(続く)
このような小泉政権誕生の経緯を振り返る時、私自身の連想は、かつてドイツの社会科学者マックス・ヴェーバーが説いた「指導者民主主義」に傾いてゆく。
ヴェーバーの「指導者民主主義」論は、手っ取りばやく言えば、人民投票によって選出された指導者が強力なリーダーシップを発揮できる体制を確保しようとするものだった。もちろん、民主主義を称する以上、指導者は選挙を通じて選ばれるが、指導者は個々の政策について大衆を説得するよりも、演説の持つ情緒的な力(デマゴギー)に訴えて、自己の人格への信仰を大衆の間に呼び起こすべきものとされた。そして、議会の議員は、個々の政策について指導者に掣肘を加えるのではなく、指導者が大衆の信任を得ている限りは彼に追随するべきだと説かれた。
では、なぜヴェーバーは、このような指導者の強力なリーダーシップを重視し、そこに重点を置く特異な民主主義論を唱えたのか。それは、現代社会では多くの分野で官僚制化が抗し難い勢いで進行し、そのために社会全体が硬直化をきたすという深刻な恐怖心を抱いていたからである。この滔々たる官僚制化の流れに対抗して、多少ともそれを抑制しうるのは、大衆の信任をえたカリスマ的指導者のほかにはいないというのが、ヴェーバーの考え方だった。
彼がこの特異な民主主義論を抱くようになったのは、第1次世界大戦が終わる前後のことである。この異能のドイツの社会科学者は1920年に病没するが、それから10年あまりのちには、ドイツでヒトラーが政権を獲得して独裁制の樹立へと向かった。こうした歴史の経緯から、第2次世界大戦後に「ヴェーバーがヒトラー独裁の理論的な先駆者の役割を果たした」という主張が現れたのも、無理からぬことだった。
しかし、注意すべきは、現在のおもだった西欧民主主義国家の中には、ヴェーバーの説く「指導者民主主義」に呼応するかのように、強力な指導者の地位を体制の中に織り込んでいる国が少なくないことである。もともとヴェーバーの「指導者民主主義」論そのものが、米英の現実の政治体制に少なからず影響を受けて組みたてられたといわれる。従って、アメリカの大統領制もイギリスの議員内閣制も、実質的にはヴェーバーの説にかなり近い指導者本位の体制になっていることは、なんら不思議ではない。
また、ド・ゴールが作ったフランスの第5共和制における大統領の強力な地位こそは、ヴェーバーが目指した指導者像に最も近いと指摘する研究者もいる。
更に興味深いのは、ヒトラー独裁を生み出した当のドイツが、首相の地位を強化するための一連の条項を基本法の中に設けていることである。その代表的なものが「建設的不信任決議案」と呼ばれる条項であって、それによれば、連邦議会で選出される首相は、単に議会で不信任案が可決されただけでは罷免され得ないことになっている。連邦議会が過半数をもって後任の首相を選出するのでない限り、在任中の首相が議会の不信任によってその地位を失うことはないのである。
このように一瞥しただけでも、欧米の主要先進諸国は、大統領あるいは首相という最高指導者の地位を強固なものにする体制を意識的にとっている。そして実際にも、これらの国々では、政治の最高指導者が短期間で次々と交代するという弊は避けられ、最低でも4年ぐらいは政権を維持することを当然の前提として、政治が運営されている。ドイツ(西ドイツを含む)の場合には、アデナウアーは14年、コールにいたっては16年もの長きにわたって、首相の座に留まった。
それに比べると、特に小泉政権が登場するまでの十数年間というもの、日本では短命な政権が次々と交代し、その寿命はせいぜい2年も持てばよいとされる有様だった。そして、同じ議員内閣制ではあっても、イギリスやドイツのように総選挙で政党同士が首相候補を明示した上で戦うというルールが確立していないために、日本の一般有権者は自分たちの手で指導者を選んだという実感をもつことができなかった。
日本では、次期首相を誰にするかは、実質的には有権者のまったく手の届かない密室の中で、自民党の「実力者」たちによって派閥力学に基づいて決定されることが多かった。細川内閣の時代に小選挙区制を含む新しい選挙制度が導入されたことで、事態は少しは変わるかと期待された。だが、小渕内閣が急死したあとの森内閣誕生の経緯を見れば、その期待は見事に裏切られたのだった。
このような意味で、1990年代は、経済だけでなく政治に関しても「失われた10年」だったといわねばならない。
(続く)
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