小泉首相の統治戦略①
投稿者: komash0427 投稿日時: 2005/08/27 13:49 投稿番号: [213211 / 232612]
こちらに紹介するのは「諸君6月号」に掲載されたものです。タイトルは支持者に敬遠されるものかもしれませんが、それはさておき、首相の統治スタイル、政治手法の分析と日本型指導者のあるべき像について、ドイツやフランスなどの例を引きながら模索しています。
小泉ボナパルティズムの栄光と挫折 (by 歴史学者 野田宣雄)
独裁者ナポレオン、ヒトラーの統治戦略を模倣する小泉に郵政民営化の危機が乗り越えられるか
1.驚異的な高支持率
2001年4月に小泉政権が誕生してから半年余りのころ、自民党元幹事長の古賀誠は講演の中で「小泉内閣のポピュリズムがファシズムになっていく」危険性に警告を発した。この種の小泉政権にたいし警告や批判は、その後もことある後とに自民党内の反小泉派の人々によって繰り返されてきた。最近の郵政民営化をめぐる抗争に於いても、亀井静香はテレビの報道番組で小泉の政治手法を「独裁」と呼び、その独善ぶりは「まるで宗教的預言者のようだ」と非難した。
昨今は小泉政権誕生の当初に見られたフィーバーは完全に冷め切り、小泉首相の政治指導の限界ばかりが目につきがちである。しかし、小泉首相が過去4年間に展開してきた政治指導のあり方は、単にファシズムや独裁の危険をはらむと批判するだけで片づけられてよい問題ではない。
確かに、派手なパフォーマンスによって国民的人気を得ようとする小泉首相の政治手法は、19世紀半ばのフランスのナポレオン3世や1930年代のヒトラーの独裁政治を想起させる側面ももっている。しかし、そのような政治スタイルを小泉が取らねばならなかった背景には、小泉政権の誕生に先立つ日本の政治が大きな欠陥を孕んでいたという事情があった。この意味で、小泉の独自の政治手法が投げかける問題提起を、私たちは真剣に受けとめる必要がある。
試みに新聞の縮刷版でも開いて、小泉政権誕生のころの異常な熱気を改めて思い起こしてみるがいい。小泉政権の成立に先立って自民党総裁選挙が近づいたころ、新聞を含むメディアの多くは、最初のうち小泉純一郎の勝利をほとんど考慮に入れていなかった。自民党の過去の例に照らして、今回もまた派閥単位の組織選挙が行われ、最大派閥の候補・橋本龍太郎が他の3候補(小泉、亀井静香、麻生太郎)を抑えて勝利を収めるものとたかを括っていた。
ところが、都道府県レベルの予備選へ向けて各候補の運動が繰り広げられる中で、小泉フィーバーがごく短時日のうちに恐るべき勢いで膨れ上がって行った。そして、周知のとおり、小泉は予備選で圧倒的勝利を手にし、その勢いを駆って本選挙でも1回目の投票で過半数を制し、自民党総裁に選ばれた。しかも、この自民党員・党友の間でいったん燃え上がった小泉フィーバーは、たちまちのうちに全国民的規模に広がり、成立時の小泉内閣の支持率は、78%にも達した。田中内閣と細川内閣の最高支持率が、それぞれ62%と71%であったことを思えば、小泉内閣の支持率がいかに驚異的なものだったかが分かる(『知恵蔵・2005年』参照)。
自民党総裁選挙の予備選における圧勝、そして各種世論調査における記録的な高い支持率は、小泉が「人民投票によって選出された指導者」であるかのような趣を呈した。自民党の派閥政治に慣れ親しんできた人々からすれば、小泉の政権獲得は、その意外性と衝撃力の強さにおいて、まるでクーデタでも見る思いがしたであろう。
小泉自身も自らの政権獲得の衝撃力を最大限に利用し、組閣人事でも政策遂行でも、従来の自民党の派閥政治とはまったく異質な手法をうったえ、強力なリーダーシップを印象付けようとした。事実、最初の組閣にあたっても、慶応大学の竹中平蔵を経済財政大臣に据えるなど、従来の派閥論理を無視した大胆な人事が貫徹された。
(続く)
小泉ボナパルティズムの栄光と挫折 (by 歴史学者 野田宣雄)
独裁者ナポレオン、ヒトラーの統治戦略を模倣する小泉に郵政民営化の危機が乗り越えられるか
1.驚異的な高支持率
2001年4月に小泉政権が誕生してから半年余りのころ、自民党元幹事長の古賀誠は講演の中で「小泉内閣のポピュリズムがファシズムになっていく」危険性に警告を発した。この種の小泉政権にたいし警告や批判は、その後もことある後とに自民党内の反小泉派の人々によって繰り返されてきた。最近の郵政民営化をめぐる抗争に於いても、亀井静香はテレビの報道番組で小泉の政治手法を「独裁」と呼び、その独善ぶりは「まるで宗教的預言者のようだ」と非難した。
昨今は小泉政権誕生の当初に見られたフィーバーは完全に冷め切り、小泉首相の政治指導の限界ばかりが目につきがちである。しかし、小泉首相が過去4年間に展開してきた政治指導のあり方は、単にファシズムや独裁の危険をはらむと批判するだけで片づけられてよい問題ではない。
確かに、派手なパフォーマンスによって国民的人気を得ようとする小泉首相の政治手法は、19世紀半ばのフランスのナポレオン3世や1930年代のヒトラーの独裁政治を想起させる側面ももっている。しかし、そのような政治スタイルを小泉が取らねばならなかった背景には、小泉政権の誕生に先立つ日本の政治が大きな欠陥を孕んでいたという事情があった。この意味で、小泉の独自の政治手法が投げかける問題提起を、私たちは真剣に受けとめる必要がある。
試みに新聞の縮刷版でも開いて、小泉政権誕生のころの異常な熱気を改めて思い起こしてみるがいい。小泉政権の成立に先立って自民党総裁選挙が近づいたころ、新聞を含むメディアの多くは、最初のうち小泉純一郎の勝利をほとんど考慮に入れていなかった。自民党の過去の例に照らして、今回もまた派閥単位の組織選挙が行われ、最大派閥の候補・橋本龍太郎が他の3候補(小泉、亀井静香、麻生太郎)を抑えて勝利を収めるものとたかを括っていた。
ところが、都道府県レベルの予備選へ向けて各候補の運動が繰り広げられる中で、小泉フィーバーがごく短時日のうちに恐るべき勢いで膨れ上がって行った。そして、周知のとおり、小泉は予備選で圧倒的勝利を手にし、その勢いを駆って本選挙でも1回目の投票で過半数を制し、自民党総裁に選ばれた。しかも、この自民党員・党友の間でいったん燃え上がった小泉フィーバーは、たちまちのうちに全国民的規模に広がり、成立時の小泉内閣の支持率は、78%にも達した。田中内閣と細川内閣の最高支持率が、それぞれ62%と71%であったことを思えば、小泉内閣の支持率がいかに驚異的なものだったかが分かる(『知恵蔵・2005年』参照)。
自民党総裁選挙の予備選における圧勝、そして各種世論調査における記録的な高い支持率は、小泉が「人民投票によって選出された指導者」であるかのような趣を呈した。自民党の派閥政治に慣れ親しんできた人々からすれば、小泉の政権獲得は、その意外性と衝撃力の強さにおいて、まるでクーデタでも見る思いがしたであろう。
小泉自身も自らの政権獲得の衝撃力を最大限に利用し、組閣人事でも政策遂行でも、従来の自民党の派閥政治とはまったく異質な手法をうったえ、強力なリーダーシップを印象付けようとした。事実、最初の組閣にあたっても、慶応大学の竹中平蔵を経済財政大臣に据えるなど、従来の派閥論理を無視した大胆な人事が貫徹された。
(続く)
これは メッセージ 1 (mitokoumon_2002 さん)への返信です.