小泉首相の訪朝と課題について☆☆☆☆☆

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主体思想って5

投稿者: sofiansky2003 投稿日時: 2004/11/08 05:44 投稿番号: [157484 / 232612]
マルクス主義が分からないとこの主体思想も理解できないが、おそらく⑬⑭が黄長菀のマルクス主義哲学に対する分析評価であり、⑮が彼のオリジナルであるところの主体思想の政治的主張だろう。
しかしながら⑯ですり替え・悪用されたとしている。
どちらが本当か知らないが、このことは黄長菀自身が書いているところである。

さて、黄長菀は日本の天皇思想を持ち出しただろうか。
それは無かったと思う。
なぜなら戦後の北朝鮮において日本天皇を持ち出すことはタブーというかそういうことは嫌われていたに違いないから。
そんなことを持ち出さずとも、彼自身が述べているように、封建思想と儒教思想が色濃く残っており、それを利用すれば十分だった思われる。

以上なんですが、黄長菀は要するに確固としたマルクス主義者であり、その土台の上に人間の自主性を持ち出した哲学者ということでしょう。

ところが主体思想の表の舞台といえる、政治家(金日成&金正日)が使うとどうなるのか。
以下、呉善花の「韓国人から見た北朝鮮」
彼女は、主体思想は儒教主義(朱子学)の社会主義版としております。

「(マルクス主義哲学の従来の理論が社会的運動原理を、物質的世界発展の一般的法則性を解明できなかったからです。社会的存在としての人間固有な特性はチェチェ思想によってはじめて完璧な解明をみるにいたりました。」(金正日)

とのかくやたらと「自然の頂点に立つ人間主義」とか「人間中心の世界観」というような概念がでてくるらしい。

先のレスで<主体>という言葉は日本語として魅力ある言葉と言いましたが、どうも日本語でいう主体性と朝鮮語(それも朱子学の関係でのことらしいですが)のそれとは、受け止め方がかなり違うことに気がつきます。

「日本の主体性論が問題とした「人間個人の主体性、諸個人の主体的な意志」が、チェチェ思想では「社会的人間の本質的特性」つまり「人間の自主性・主体性」に相当している。
ただ、日本の場合は、そこから「個人意志」と「共同意志」の対立や矛盾が問題とされていく。
しかし、チェチェ思想にはそうした意志のあり方の区別はなく、人間の自主性・主体性がそのまま、民族の自主性・主体性、共産主義政党の自主性・主体性、国家の自主性・主体性というように一貫する普遍的な自主性・主体性となっていくのでる。
これはまさしく、個人、家族、国家を一貫する普遍的な倫理・道徳を説く儒教と同じものといわなくてはならない。
そして、チェチェ思想が執拗に自主性・主体性を説く最大の焦点が、民族の自主性・主体性にあるというところで、チェチェ思想は北朝鮮独自の朝鮮民主主義となっているのである。」

呉善花は日本と朝鮮半島の違い若干説明している養田は、不十分である。
もう少しここら辺の説明がほしかった。


北朝鮮はこの<主体思想>を莫大な予算をかけて、世界に広めようと活動を行っている。
マネゴトかと思えば真剣にやっている。
ばかばかしい限りである。

(end)
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