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明治元年者

投稿者: hendazo04 投稿日時: 2007/12/11 15:30 投稿番号: [5 / 402]
時代の状況に応じて価値観というものは変化するものであろう。
江戸時代と、開国・終戦・現代と続いた激動後とでは、大いに変わっていて当然といえる。
しかし、そこに他国の独善的な思惑から押し付けられ価値観あるならば格段の注意が必要だ。

我々は日本の現・近代史を学校教育で詳しく学ぶことができず、ひたすら東京裁判史観に沿った価値観の保持を求められてきた。その東京裁判史観とは、敵であったアメリカや中国などの連合国が自国の利益のため編み出した噴飯ものの価値観である。
それに対する反発は確かに今日本社会に広がっていて、掲示板で活発に議論が交されている。歴史を確認することは良いことだ。

しかし、戦争を実体験とした人たちはまもなく全員がこの世から去ってしまう。日本人が連合国に押し付けられる以前に持っていた日本人の価値観も記憶の彼方に遠ざかるばかりであろう。

ハワイで生活し始めた頃日系ガーデナーがボロボロの文庫本を一冊持ってきて購読を勧めてくれた。
牛島秀彦著「行こかメリケン   戻ろか   ジャパン   ハワイ移民の100年」講談社文庫だが既に廃刊になっていた。
タイトルで分かるように一般読者層向けで読みやすく、一般人の私にも読めたW

それほど多くないが、種々の日本人移民のエピソードを現地新聞や図書館の資料などからまとめている。
「ハワイ移民の100年」とサブタイトルにあるが、登場する日本人は明治元年から大東亜戦争終結までの約80年間に限られる。
この80年は、まさに日本史に刻み込まれたエポックであった。

エポックの初っ端、明治元年、嚆矢である日本人のハワイ移民が始まった。
その後続々と続く日本人移民の構成は、喰うにも事欠いていた貧しい農民が主体だった。支配者とはかなり距離が離れた社会層だが、鎖国以来トンとなじみの薄い外国に、それも日本から遥かに遠い南洋の地へ、彼らは故国の何を引きずりながら渡ったのだろう。

後に「元年者」といわれるといわれる日本人の3年契約労働者150人は、800トンの英国帆船に身を委ね1968年新暦の5月ハワイに向け旅立った。
先に渡っていた清国人の下に置かれた日系人は、奴隷労働に従事しながら、外国生活のさまざまな確執を克服して現在のゆるぎない地位を築いた。でもその躍動感と悲哀にあふれた歴史を知る人は少ない。

ピンクパレスの異名を持つワイキキのロイヤルハワイアンホテルは日本人旅行客にも人気だが、78年前の或る日、そのホテルの近くの藪の中からアメリカ人の幼児の他殺体が発見された。遺体の胸の上に、小枝を紐で結んで十字架に模したものが丁寧に置かれていた。
この事件の背景に日系移民のリアルな存在があったが、我々はその深層を知ることはない。

カラカウア通りの山側に、通りと平行してアラワイ運河が流れていてる。その畔にあった日本人経営のダンスホールに、米軍将校の夫とともに遊びに来ていた若妻が、日本人を含む5人のローカルに強姦されたという奇怪な「アラモアナ事件」が発生した。
その顛末は、支配者である白人のエゴを噴出した醜悪な結果に終わったが、日系移民が関わったこれらの想像するしかない「遺跡」に佇めば、また違った感慨が身の内に訪れてくるだろう。

ともあれ、自分がトピ主になるという幸運に恵まれたので、一つの願いであったこの文庫本に書かれた日系移民のエピソードを順次紹介したい。
彼らの生き様を通して、トピの主題である「美しい日本」を探ることができるかもしれない。
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