悪い奴ほどよく肥える
投稿者: hendazo04 投稿日時: 2008/01/12 12:42 投稿番号: [34 / 402]
日本領事館のこのような姿勢をみて、アメリカ側の日本人労働者に対する迫害は暴虐の度合いを増していく。
本国から離れた外務官が『友好』という名のもとに自堕落な外交に陥って行ったのはここが端緒であったろうか。
そしてその自堕落さは後年日本が打った宣戦布告文書を遅れて米側に手交し、アメリカ人に『卑怯者』の銘文を与えてしまうという、末代まで消えない汚点を日本史に残すことになる。
「耕主側の手先の観のあったハワイ官憲は、ひたすら圧迫と威嚇をもって大ストライキに対処した。まず根を絶ち枝を枯らす手段として、増給期会のメンバーを皮切りに、日布時事、オアフ時報の各新聞者社長を捕縛拘束するにおよんだ。
特に日布時事社の場合は、社長だけでなく、記者連や一般事務員たちにまで、もっともらしい名目をつけて類をおよぼした。
この耕主側と結託した官憲の出方は、ストライキ中の労務者にとっては心理的に大きな打撃であった。
また耕主側がポルトガル人、朝鮮人、ハワイ人などを相場の倍で雇い、毎日オアフ鉄道の汽車で送迎する手段に出たことも、スト側の足元を乱すことになった。
この第一次オアフ島耕地大ストライキは、人種差別待遇を排除し、増給要求を掲げたものだったが、他の被差別人種労働者とのスト共闘体制がとれなかったことが、全面降伏につながる一因となった。とはいえ、組織的で本格的な体制で臨んだため、耕主側も後日、賃金を白人並みに引き上げ、従来の惨めな境遇から脱するきっかけとなった。」
日本では(それでも)高収入のアメリカへの渡航熱が沸騰していた。
「1885(明治18)年の第1回官約移民600人の募集に対して約2万8千人が希望した。そのうち944人が第1回移民に選ばれた。(参:海を渡る心のきずな)」
このような状況からハワイのみならず米本土、ニューカレドニア、フィジー、オーストラリアなどへ移民を斡旋する民間会社が暗躍し、1894年に政府の許可を得ると、その倫理なき企業魂は大蛇のように貧しい移民を締め付けた。
「彼らはホノルルに事務所を開き、移民と砂糖会社の双方から手数料を徴収し、鉄道や汽船会社からは移民輸送費の割戻しを受けて莫大な利益を得た。そのほかに横浜に集まる渡航希望者が泊まる宿からもバックマージンを取ったというから恐れ入る。
彼ら移民会社は京浜銀行を設立するが、その実態は‘移民喰い機関‘ともいうべき搾取機関だった。
京浜銀行を通して体のいい詐欺行為を容易にしたりもした。また、検疫料、眼部診察料というもっともらしい名義のもとに医師と共謀して搾りとった。
ハワイにおいても、手先を耕主組合に放って移民たちがハワイに上陸すると、その無知につけこみ、脅迫や威嚇的言語を弄し、移民の意思を無視して、移民留置所から砂糖耕地に直送したり、留置所からの外出を禁じたりした。
京浜銀行がとった悪辣な方法の一つは、米国移民法を逆手にとってガンジガラメにする方法である。(以下煩雑になるので搾取の方法は略すが)・・言を左右にして支払いせず、ついには曖昧模糊のうちに葬り去ったケースが多かった。
移民が月賦納金を滞納した場合には、日本の保証人から取り立て、保証人が躊躇しようものなら、直ちに強制執行で財産を差し押さえた。
移民会社は、在留人保護のために設けられていたが、彼らは保護するどころか移民を苦しめ、異名同体の京浜銀行と結託して、手を変え品を変え搾取したのであった。
その間ハワイで7年間駐在した『帝国総領事』斉藤幹は、彼らの横暴に目を瞑るどころか、かえって擁護したのであった。
ここにおいて、1905年5月、ハワイ在留日本人有志は総領事斉藤幹の更迭を含む要望書を日本国外務大臣に送りつけ、同時にハワイの日系新聞者に資料その他を送りつけ移民会社、京浜銀行、帝国総領事の結託と横暴を指弾した。
明治政府は強制貯金をさせて騙し取る詐欺的行為を禁止、以前に作成した貯金契約についても、移民およびその保証人からの取立てを厳禁した。総領事は『賜暇』のなのもとに帰朝を命じられた。」
ハワイで豪奢な邸宅に住み、ホノルルの花柳界まで牛耳った京浜銀行の中心的人物に、後の『日本郵船』の初代社長吉川泰次郎と『大日本印刷』初代社長佐久間禎一の名が見える。
いつだって、えぐい奴ほどよく肥える。
本国から離れた外務官が『友好』という名のもとに自堕落な外交に陥って行ったのはここが端緒であったろうか。
そしてその自堕落さは後年日本が打った宣戦布告文書を遅れて米側に手交し、アメリカ人に『卑怯者』の銘文を与えてしまうという、末代まで消えない汚点を日本史に残すことになる。
「耕主側の手先の観のあったハワイ官憲は、ひたすら圧迫と威嚇をもって大ストライキに対処した。まず根を絶ち枝を枯らす手段として、増給期会のメンバーを皮切りに、日布時事、オアフ時報の各新聞者社長を捕縛拘束するにおよんだ。
特に日布時事社の場合は、社長だけでなく、記者連や一般事務員たちにまで、もっともらしい名目をつけて類をおよぼした。
この耕主側と結託した官憲の出方は、ストライキ中の労務者にとっては心理的に大きな打撃であった。
また耕主側がポルトガル人、朝鮮人、ハワイ人などを相場の倍で雇い、毎日オアフ鉄道の汽車で送迎する手段に出たことも、スト側の足元を乱すことになった。
この第一次オアフ島耕地大ストライキは、人種差別待遇を排除し、増給要求を掲げたものだったが、他の被差別人種労働者とのスト共闘体制がとれなかったことが、全面降伏につながる一因となった。とはいえ、組織的で本格的な体制で臨んだため、耕主側も後日、賃金を白人並みに引き上げ、従来の惨めな境遇から脱するきっかけとなった。」
日本では(それでも)高収入のアメリカへの渡航熱が沸騰していた。
「1885(明治18)年の第1回官約移民600人の募集に対して約2万8千人が希望した。そのうち944人が第1回移民に選ばれた。(参:海を渡る心のきずな)」
このような状況からハワイのみならず米本土、ニューカレドニア、フィジー、オーストラリアなどへ移民を斡旋する民間会社が暗躍し、1894年に政府の許可を得ると、その倫理なき企業魂は大蛇のように貧しい移民を締め付けた。
「彼らはホノルルに事務所を開き、移民と砂糖会社の双方から手数料を徴収し、鉄道や汽船会社からは移民輸送費の割戻しを受けて莫大な利益を得た。そのほかに横浜に集まる渡航希望者が泊まる宿からもバックマージンを取ったというから恐れ入る。
彼ら移民会社は京浜銀行を設立するが、その実態は‘移民喰い機関‘ともいうべき搾取機関だった。
京浜銀行を通して体のいい詐欺行為を容易にしたりもした。また、検疫料、眼部診察料というもっともらしい名義のもとに医師と共謀して搾りとった。
ハワイにおいても、手先を耕主組合に放って移民たちがハワイに上陸すると、その無知につけこみ、脅迫や威嚇的言語を弄し、移民の意思を無視して、移民留置所から砂糖耕地に直送したり、留置所からの外出を禁じたりした。
京浜銀行がとった悪辣な方法の一つは、米国移民法を逆手にとってガンジガラメにする方法である。(以下煩雑になるので搾取の方法は略すが)・・言を左右にして支払いせず、ついには曖昧模糊のうちに葬り去ったケースが多かった。
移民が月賦納金を滞納した場合には、日本の保証人から取り立て、保証人が躊躇しようものなら、直ちに強制執行で財産を差し押さえた。
移民会社は、在留人保護のために設けられていたが、彼らは保護するどころか移民を苦しめ、異名同体の京浜銀行と結託して、手を変え品を変え搾取したのであった。
その間ハワイで7年間駐在した『帝国総領事』斉藤幹は、彼らの横暴に目を瞑るどころか、かえって擁護したのであった。
ここにおいて、1905年5月、ハワイ在留日本人有志は総領事斉藤幹の更迭を含む要望書を日本国外務大臣に送りつけ、同時にハワイの日系新聞者に資料その他を送りつけ移民会社、京浜銀行、帝国総領事の結託と横暴を指弾した。
明治政府は強制貯金をさせて騙し取る詐欺的行為を禁止、以前に作成した貯金契約についても、移民およびその保証人からの取立てを厳禁した。総領事は『賜暇』のなのもとに帰朝を命じられた。」
ハワイで豪奢な邸宅に住み、ホノルルの花柳界まで牛耳った京浜銀行の中心的人物に、後の『日本郵船』の初代社長吉川泰次郎と『大日本印刷』初代社長佐久間禎一の名が見える。
いつだって、えぐい奴ほどよく肥える。
これは メッセージ 1 (hendazo04 さん)への返信です.
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