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排日と抵抗

投稿者: hendazo04 投稿日時: 2008/01/10 09:50 投稿番号: [33 / 402]
「労働者の流出で、ハワイ耕主側の衝撃は、日本人社会以上であった。彼らはただちにハワイ議会を動かし、「州外」に労働者を斡旋するものに対して1ヵ年500ドルの営業税賦課法を実地したが流れは止まらない。そこで、さらに一歩進めて合衆国上院に、転航禁止令を提出し「ハワイおよびフィリッピンより日本人の米本土転航を禁止す」という移民法を通過させた。ハワイから数年間堰を切った水のように、カリフォルニア州各地に溢れでた日本人出稼ぎ人は、やはり「錦衣帰郷」を第一目標に置いた貯蓄、送金第一の『エコノミック・アニマル』で、勤勉ではあったが、粗末な風体で、生活程度低く、教養は乏しく、にもかかわらず『大日本帝国臣民』意識と、郷土意識が異常に強く、他人種と容易に融合しなかった。彼らによって、カリフォルニアの農園や土木工事などの労賃低下や、一部に生活環境を乱すなどの影響がもたらされた。
このことは主たる原因で、排日運動が根強く展開されるようになる。」

「1893年、サンフランシスコ市教育委員会は、日本人子弟の公立学校入学を拒絶し、中国人隔離学校に入学することを決議した。
日本人がやってくると、とにかく生活のペースが乱され、労賃ダンピングがなされ、恐慌を来たすという理由から、排日の機運は、日に日に醸成されていった。そして1900年5月、サンフランシスコ労働同盟会は、市民大会の名の下に市長など有識者を集合して大演説会を開き、日本人排斥を決議した。」

それに対して日本人も抵抗する。この抵抗は日本人労働者のバックに、いまや白人の強国ロシアを破って『世界の1流国』の仲間入りを果たした『日本国臣民』という支えがあったことだろう。
白人の侵略で嫌でも民族意識、国家意識の喚起がなされた時代だ、国家を構成する『国民』の保護は政府の責任であると同時に国家の威信でもあった。しかし日本外務省は必ずしも『日本臣民』の拠り所ではなかった。

「1909年5月、半奴隷的立場からの脱却、人種差別廃止、待遇改善を要求する声が急激に高まり、ハワイ発の本格的な組織による日本人の団結大ストライキがオアフ島耕地に起こった。
このストライキには7000人の日本人労働者が参加し、4ヶ月間の長期にわたる大がかりなもので『第一次オアフ耕地ストライキ』と命名された。
このストライキに対して耕主側が打った手はストライキ参加者のキャンプ立ち退き命令である。労働者たちは黙々として『命令』にしたがい、ワイパフでは朝日劇場などに臨時炊事場を設け、アイエアのおいては耕地を出たところにテントを張り、やはり劇場に炊事場を設けて、急遽発足した「増給期成会員」が世話にあたった。
ストライキ側の意外ともいえる長期作戦に対し、耕主側は一層の威嚇手段をもってそれに応えた。
まず増給期成会のメンバーのみならず、ストライキと全く関係のない地元商店の主人などを逮捕投獄するという暴挙に出た。
しかし、強硬手段によって日本人側の出鼻をくじこうとした耕主側の思惑は外れる。
日本人労働者は夜陰に乗じてこぞってホノルルに向かった。他の耕地の労働者もこの挙に呼応して合流、その数は約3000人もの人数にのぼり、ホノルル市内はさながら戦場の様相を呈した。
増給期成会は市内や近郊に炊事場を設けて収容し、有志の夫人たちが総出でその世話にあたった。

しかし、時の日本総領事はストライキ決行者に『告諭』を発した。
すなわち、棒給問題などは新聞社など、労資以外の第三者が余計なくちばしを入れるべきではない。また労働者は、そういう者に扇動されてストライキなどを行うというのは持ってのほかだ・・という訓辞をたれたわけである。
彼は全ハワイの新聞社に『告諭』を掲載するよう求めたが日布時事社長相賀安太郎は拒絶した。
副領事の阿部嘉八が、『総領事の命に背くのはけしからん』と難詰したのに対して相賀は、『紙上への掲載と不掲載とは主筆たる自分の権限内にある。たとえ総領事でも大使の命でも、そんなことは問題でない』と突っぱね、反骨を示した。」

ここにすでに萌芽していた外務省のことなかれ主義と、記者クラブなどに毒されない記者魂を見ることができる。
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