南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行は事実

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証言はいいから物理的証拠を示して下さい

投稿者: yasuhikom1966 投稿日時: 2011/12/18 11:43 投稿番号: [26568 / 29399]
  どんな犯罪でも事件でも証言だけで証拠にはなりません。
  だから、しっかりとした物理的根拠を示して下さい。
  例えば南京大虐殺で殺害された人達を証明する、戦闘状況や死体を確認した証明書など。
  当時の日本軍の戦闘詳報には、虐殺を示す文章も無ければ当時アメリカ人を含めた欧米人が南京にいましたが、誰も南京で民間人を殺害したという証明はありません。
  ゲリラが当時の南京にはいたから殺害した証明はあります。

  裏付けも同じ部隊の人が否定している適当な証言はどうでも良いので、物理的証明を行ってください。
  もう結構。
  本当に虐殺があるなら、それを明白に証明する資料を提示して下さい。

南京虐殺事件に関する日本兵の証言(5)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/17 17:19 投稿番号: [26567 / 29399]
16師団歩兵第38連隊第1大隊の   兵士の証言は次のとおり。

   南京の   和平門に着いた。   門が閉まっていて   野砲が
   どんどんと撃った。   抵抗がやんだので縄梯子で登った。
   中にいた敗残兵が、次々と   手を挙げて   出てきました。
   大隊長は「切れ」   という仕草をして両手を振り下ろし
   ました。    命令ですので   みんなで   突き殺しました。
   門を入ると捕虜を集めていました。   捕虜は、固まって
   こちらに   十五、六人、あちらにまた   十五、六人と
   たくさん   いました。   それを   集めていましたな。

第33連隊   第2大隊の   兵士の証言は   次のとおり。

   十二月十三日南京陥落後の翌日朝八時頃に南京の太平門に
   入りました。   そこで   十四日、十五日と   二日間警備を
   しました。   入った日の   前々日の攻撃で   死んだ死体が
   そのまま   放ったらかしてありました。
   松井司令官の命令で   各師団長に、師団長から各中隊長に
   伝わってきていたと思うんやが、兵隊は何事も命令なしで
   勝手にやってはならんからな。   当時分隊長が「男は皆
   殺してしまえ!」   と言って   話は覚えています。
    
下記は、同大隊に所属していた   別の兵士の証言だ。

   陥落してから、二日ぐらいしてから   南京城内で   掃蕩を
   しました。   家を一軒一軒調べて、男なら全部引き出した。
   調べることはせえへん。捕まえて調べるので引っ張ることも
   あるし、その場で   ぼんと銃でやってしまうこともあった。

次は、同隊の   別の兵士の証言。

   捕虜の処分は   師団命令です。
   実際に   私ら兵隊に   命令を下したのは、中隊長で、
   「捕虜にした者は全部殺せ」と言って指令されました。
   どのぐらいの人数を   殺したか、数は   分かりません。
   一日にだいたい一個小隊ぐらい、五十〜六十名ぐらいを
   処分しました。

同連隊の第3機関銃中隊の   兵士の証言は   次のとおり。

   私らは   小銃中隊の兵隊と一緒に   入城しました。
   小銃隊の兵隊が支那の兵隊を銃剣で突き刺しているのを
   目撃しました。   男は   みんな捕まえてましたな。
   でも、私ら   重機関銃隊は   そんなことをしてません。
   実際、南京戦で「支那人を殲滅しろ」   という命令が
   私ら   第三機関銃中隊に   来てましたけれど、
   各中隊にもそんな命令が出ていたかどうかわかりません。

こうした   膨大な証言から   判明することは、
大量殺戮が、兵士個々人の   犯罪ではない   という事実だ。
これは、日本軍という組織としての集団的犯罪に   ほかならない。

南京虐殺事件に関する日本兵の証言(4)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/17 17:18 投稿番号: [26566 / 29399]
前述した   第16師団歩兵第33連隊   第3機関銃中隊の
兵士の証言は、次のように   続いている。

   「今から上陸するところは米が穫れる、水牛がおる、」
   「支那人は全部殺せ、家は全部焼け」と言う命令でした。
    (略)
   上陸してから   常熟で一晩泊り   翌日の出発前に
   家を全部   焼き払いました。   民家の中のタンスやらを
   積んで火を点けたら全部燃えました。   結構広い部落が
   全部燃えました。   そうしたら、後方部隊が来るように
   なったので「家を焼くな」という命令が再び出たんです。
   それは無錫の手前でした。命令は小隊長から聞きました。

同中隊の   別の兵士の証言もある。   内容は   以下のとおり。

   中島師団長という人は剛胆な人で、「支那の家を全部焼いて
   しまえ」   と言いましてな。   白茆口へ   上陸した時です。
   「ここは抗日の一番ひどいとこやから各部落の家は全部焼け」
   とも言いました。   私も上陸してから露営して、すぐに家を
   焼きました。   仲間内で   伝わって来ましてな。
   「師団長が   言うたんで、やってしまえ」と。
    (略)
   師団長はそういう人ですので、支那兵はみんな殺してしまえと
   二十聯隊か   三十八聯隊か   九聯隊か   知らんけど、
   そういうことを   やりましたでしょうな。
   それが   問題になったわけです。
    (略)
   命令授与で   「風紀・軍紀厳正」   という命令は
   いつでもありましたけど、じっさいには、支那におった時には
   あんまり   やかましく   言われませんでした。
   日本の兵隊は   無茶なことしてますわ。
   強姦は   南京戦より徐州戦の方が   ひどかったくらいです。
   南京でも   もう乱れてましたな。

大量殺戮の背景には、無差別掃蕩命令の   存在があった。
同連隊第1大隊に属した   別の兵士の証言を   見てみよう。

   十二月十四日、揚子江岸で   捕虜を千二百人いっぺんに
   処分しました。日記に書いているように惨いことでした。
   処分がすんでから、悒江門から城内へ掃蕩に入りました。
   (略)
   捕虜剔出には人数を数える暇なくどんどん捕まえました。
   捕虜といっても   中国服を着た   男ばっかりでした。
   掃蕩をやる時は   中隊長の指揮によってです。
   注意事項というものはなく
   「戦争に耐えると思えるような者は全部殺してしまえ」と
   上部の命令として   言われていました。
   直接この命令を聞いた覚えはないが、中隊長か   大隊長が
   発したのだろう   と思っています。
   実際、男を敵兵として捕らえ、一人ひとりを調べることなど
   しませんでした。
   おとなしく   投降しても、中国人は全部   殺してしまう。

南京虐殺事件に関する日本兵の証言(3)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/17 17:18 投稿番号: [26565 / 29399]
第16師団   歩兵第33連隊   第1大隊と   第2大隊の兵士の
証言を引用した。   次に、第3大隊の兵士の証言を引用する。

   昭和十二年八月、大召集を受けて、九月に   久居を出発し、
   大阪港から出航しました。九月、十月、十一月は   河北の
   戦闘で   韓家頭や八里荘で   初めて戦闘を体験しました。
   (略)
   部隊本部から「韓家頭の部落を攻撃する。   部落に入ったら、
   猫の子でもいいから   生きとる者は、男でも女でも全部殺せ」
   と命令が出ました。
   それでわずか百メートル先に五十戸位の部落が見えたんです。

   これこそと   攻撃をかけたけど、猫の子一匹もいやしません。
   粗末な一軒の   農家の中のアンペラが   コソコソと動くので
   めくり上げると、四十歳位の   妊婦が   二人の幼児を
   両脇に   だきしめて   隠れていました。
   コノーと引きずり出すと   子供は泣き叫び   母親の後に
   しがみついている。

   母親は   もう一人の子を   クリークの中に   つっこんだ。
   ××伍長が   これこそ戦友の仇と   即座に   銃で三人を
   撃ち殺してしまった。
   その時は   気がたっていた   というか、女子供なのに
   酷いことを   しました。

同連隊   第1機関銃中隊の   兵士の証言は   次のとおり。

   私ら行った時は   白茆江やったかな。
   弾飛んで来えへんかったということは   敵おらへんかった。
   上陸の時   命令受領に行ったら「普通の男も殺せ、皆敵や」
   と言われていたで。
   家を焼けとの命もあって、うちの中隊でも   放火班があった。
   十人位で   火をつけたけども   常熟の前やったか、
   一日ぐらいで止めた。

後者の証言にある   白茆江は、南京城攻撃の   1か月前に
攻略した地点であり、すでに   この時点で無差別な殺害を
兵士たちは   命じられていた事実が伺える。
この事実を裏付ける   別の兵士の   証言もある。
以下は、同連隊   第3機関銃中隊の   兵士の証言だ。

   大連から南下して上海から揚子江を上にいった白茆口
   という所に   着きました。   そこでは   敵前上陸で、
   そこから   どんどん追撃して   南京まで行ったんです。
   その時、私は   上からの命令文を   見ました。
   「支那人は全部殺せ、家は全部焼け」と書いてありました。
   その命令は   白茆口に上陸する   前日に出たんです。

南京虐殺事件に関する日本兵の証言(2)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/17 17:17 投稿番号: [26564 / 29399]
非武装の民間人を   殺害することは、明確な   国際法違反だ。
その違法行為が、一部の個人による勝手な振る舞いではなく、
組織的に行われた点に、中国戦線における   日本軍全体の
問題が表れている。   兵士の証言を   続けて   検証しよう。

第16師団   歩兵第33連隊第1大隊所属の兵隊の証言は
他にもある。   たとえば、以下のようなものだ。

   行軍が早くて   どんどん進むもんでね。
   部落は   日本軍が火をつけて   焼けてますやろ。
   上陸した始めの頃は焼いてなかったけど、途中で
   そりゃもう、部落を   どんどん焼いてました。
   放火分隊って、上陸の時は   うちの中隊もありましたな。
   中隊長が   あの部落   焼いてこいって。
   家の中には、住民が隠れていてますわな。
   それを   殺さなならんのですわな。
   それで   兵隊嫌がってましたな。
   その命令が出ると。おると殺さないかんのです。
   (『南京戦-閉ざされた記憶を尋ねて』P302)

同大隊の某中隊指揮班の   兵士の記述は   次のとおり。

   中隊には「男も女も子どもも区別なしで殺せ」という命令が
   出ました。   つまり   虐殺でした。
   攻略戦で、その残虐さは   南京に入ったらすぐそうでした。
    (略)
   南京攻略戦は   ちょっと   やりすぎでした。
   反日の根拠地というので、南京に入るまでは   家を全部焼け
   という命令が   ずっと出てました。
   すると   また後続部隊が   泊まる所がないからといって、
   家を焼くのを中止したんです。   とにかく「家は全部焼いて
   人間は全部殺せ」   という命令でした。
   命令が出てなかったら   こっちは   しませんよ。
    (略)
   南京攻略戦は手当たり次第やったので、戦争がしやすかった。
   それも   もちろん命令が   あったからです。
   皆伝え聞いて   分かっていました。
   中支では、上陸してからずっとやりたい放題にやっとったんです。
   その代わり   こっちの被害も   多かったですな。
   あそこは   支那の部隊も   集中してました。

次に、同連隊   第2大隊の   兵士の証言を   見てみよう。

   南京に向かう途中   どこの戦闘だったかは忘れたけれど、
   部落があって、あそこに共産党がいる   ということで、
   上から「負傷者に関わらず全部共産兵なので、全部殺せ」
   と命令してきたんです。
   それで部落に火を点けると、後ろから煙が上がってきました。
   その中から   オギャーオギャーと   赤ちゃんの泣き声が
   聞こえてきました。

南京虐殺事件に関する日本兵の証言(1)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/17 17:17 投稿番号: [26563 / 29399]
南京虐殺事件が   世界中に知れわたったのは、大量の中国人捕虜を
違法に殺害した状況を、外国人たちが目の当たりにしたことによる。
南京における   膨大な数の犠牲者、その   大部分を占めるのは、
日本軍によって   「処分」   された   捕虜たちだ。
捕虜の殺害は、当時としても   明確な   国際法違反だった。

しかし、歴史に刻まれた   南京虐殺事件の   より大きな特徴は、
捕虜以外の   一般市民に対する残虐行為が   頻発したという点だ。
非戦闘員である   一般市民の殺害も   当然ながら   違法であり、
また、人道・人権の観点からも   けっして   許されない蛮行だった。
まさに   世界の人々を   震撼させる   凶悪な犯罪に   ほかならない。

この違法行為が、大量に、大規模に、行われた   という事実が
日本軍関係者の   数多の証言、記録によって   証明されている。
それらの証言などから   確認できる   一つの事実は、
これが、一部の不届き者による犯行ではなく、「命令」によって
組織的に   行われた   集団的犯罪であった   ということだ。  

第16師団   歩兵第9連隊   第2大隊の兵士の手記には、
次のような記述がある。

   「子どもにしても年寄りにしても誰でも全部殺してしまえ」
    と聯隊長の命令が   でました。
    二人とか   三人とかの百姓を   捕まえてきて、
   「そこらに兵隊はおるかおらんのか」などの尋問して
    地形を聞いて、後は   殺してしまうんです。
    クリークの縁に   連れ出して、そこに   座らせました。
    将校は、めったに   刀で首切りなんて   できへんのやから、
    軍刀持ってるさかいに   試し切りを   するんです。
    私ら兵隊は   突き殺しました。
    鉄砲の弾   できるだけ使うな   と言われてました。

また、同師団の歩兵第33連隊   第1大隊の兵士は   次のように
証言している。

    上海の近くで   敵前上陸して   南京に向かったな。
    途中、クリークや大きな池を越えたりして行くので
    大変やった。   工兵隊が橋を作ってくれたりしてな。
    南京へ攻めていって、揚子江で   たくさんの死体が
    流れていくのを見たな。   女や子どもも入っとるやろね。
    いや入ってて当然や。私も下関で軽機で撃っとるけどね。
    敵が(揚子江を)下って行くのを撃った。
    しかし南京のことは忘れてしまった、ぜんぜん憶えてない。
    ただ   上から「男見たら殺せ」   と命令されたことだけは
    よう憶えとる。
    南京へ行くまでに常熟か無錫辺りかな、もうそういう命令が
    出ていたな。   部隊長の××中尉が言ったんじゃないか。
    あるいは「人見たら殺せ」とな。
    (『南京戦-閉ざされた記憶を尋ねて』P159-160)

同じ大隊に属した   別の兵士の証言も   見てみよう。

    南京戦の時、当時の宮さん〔朝香宮〕から命令があって、
    その命令は   中隊長か小隊長から聞いたけど、
    「犬も猫も含め生きている者は全部殺せ」ちゅう
    命令やった。   天皇陛下の命令やと   言ったな。
    当時のことを書いた日記帳は終戦の時に全部焼いた。
    (『南京戦-閉ざされた記憶を尋ねて』P271)

慰安婦問題の責任は日本にある!

投稿者: japanpoors 投稿日時: 2011/12/17 16:09 投稿番号: [26562 / 29399]
日本国総理大臣による慰安婦問題への謝罪

「安倍首相、慰安婦問題で「責任」明言=米メディアに、4月21日15時1分配信時事通信安倍晋三首相は26日からの初訪米を控え、米ニューズウィーク誌とウォール・ストリート・ジャーナル紙のインタビューに応じた。首相は従軍慰安婦問題について「当時の慰安婦の方々に心から同情するし、日本の首相として大変申し訳ない」と改めて謝罪。「歴史に常に謙虚でなければならない。

慰安婦として存在しなければならなかった状況について、われわれは責任があると考えている」と述べ、軍の関与を含め日本側に責任があるとの認識を表明した。

首相はこれまで、慰安婦問題を謝罪した1993年の河野洋平官房長官談話を政権として継承する立場を繰り返し強調。今年3月には元慰安婦へのおわびも表明したが、日本の「責任」を明言したのは初めて。

Re: 南京事件に関する政府見解と国際常識(

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/12/17 07:21 投稿番号: [26561 / 29399]
南京では事件は起きなかった。

戦死者以外の屍体はなかった。

俘虜は安全員会と共に保護した。

後に全員開放されている。

Re: 南京事件に関する政府見解と国際常識(

投稿者: singodama 投稿日時: 2011/12/17 06:56 投稿番号: [26560 / 29399]
だいたい、ワダツミなんて名前を使うのがいかれてる。
いつから代弁者きどりなんだ。

Re: 南京事件に関する政府見解と国際常識(

投稿者: singodama 投稿日時: 2011/12/17 06:51 投稿番号: [26559 / 29399]
だから〜、お前を信じる奴なんて
イ・ナ・イからな。
ほんとクズだ。

南京事件に関する政府見解と国際常識(5)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/17 06:49 投稿番号: [26558 / 29399]
南京虐殺事件に関する   国際社会の認識を   知るうえでは、
日本国内の虐殺否定論や   それを反映した教科書記述問題に対し、
諸国がそれを   どう評価しているのかを   確認する必要がある。
たとえば、05年4月8日付英紙フィナンシャル・タイムズは、
「日本の責任」   と題した社説で、当時   議論となっていた
日本の教科書問題を   取り上げ、   次のように   論評していた。

社説は   まず   「過去に正面から向き合うことがアジアの怒りを
しずめる唯一の方法だ」   とし、   中国などでの   抗議運動を
引き起こしている要因は、日本の   国連常任理事国入りの動きと
「第二次世界大戦での   日本の蛮行について   年々、不正直に
なっている教科書を日本政府が承認したこと」   であると指摘。

さらに   社説は、   「中国政府が   1931年から45年までの
中国での占領と   残忍な行為について   日本を無責任な態度だと
非難するときに、(日本が)中国と論争しても無理がある」と述べ、
中国側に説得力がある   としている。   続けて、「問題の教科書は、
強制労働と従軍慰安婦、南京の大虐殺について言い訳をしている」
と指摘している。

そのうえで   社説は、日本が近隣諸国と   良好な関係を望むなら、
「日本は   その過去を清算しなければならない」   と結んでいる。
同時期、日中関係の緊張が   アラブ諸国でも   関心を集めるなか、
サウジアラビアの有力紙   アルリヤドの   05年4月20日付は、
「南京で何が起きたのか」   と題する   論評記事を   掲載した。

この記事では、日本の過去の   中国侵略を   告発するとともに、
日本政府の無反省が   現在の問題の根本にある   と指摘したうえ
「中国と   日本との間で起きている   現在の危機は、教科書問題
によって   引き起こされている」   と述べて、ナチス・ドイツの
犯罪同様に   日本が中国や韓国で犯した   「恥ずべき歴史」を
日本の教科書が無視しているとする中国側の主張を紹介している。

さらに、日本の侵略の実態を詳述し、様々な反人道的行為を行い、
七三一細菌戦部隊に関しては   「捕虜や   市民に   生体実験をし、
その結果が   製薬会社にも提供された」   と犯罪性を強調した。
また、戦後日本を占領した米軍当局が   実験データと引き換えに
七三一部隊を   免罪した事実をあげて、ニュルンベルク裁判で
戦争犯罪の実態が   明らかにされた   ドイツと比べて、
日本では   多くが隠された   とも指摘している。

そのうえで社説は、「それでもなお日本が否定できない   二つの
スキャンダルがある」   として、従軍慰安婦と   南京大虐殺を
あげている。
なんて   シツコイのだろう、と   南京事件否定派の   諸氏などは
歯ぎしりすることだろう。   しかし、このような   世界の反応は、
すべて   日本国内の一部で   繰り返し、シツコク   持ち出される  
「南京事件まぼろし論」や、教科書問題などが   喚起するものに
ほかならない。   身から出たサビ、自業自得である   と言える。

Re: 南京事件に関する政府見解と国際常識(

投稿者: singodama 投稿日時: 2011/12/17 06:49 投稿番号: [26557 / 29399]
また出た。
時給いくらなんだ?
悲しいスピーカー。
反論さへ出来ないヘタレ。
だれも、お前を信じないよ。
ただのカスだ。

南京事件に関する政府見解と国際常識(4)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/17 06:48 投稿番号: [26556 / 29399]
日本政府としての公式見解は、前述したとおり   報道官発表や
政府答弁書などで   繰り返して   表明されてきたところだが、
それ以前に、そもそも   戦後日本が占領状態から独立を回復し
国際社会への復帰を果たす際に、サンフランシスコ講和条約を
受け入れた事実を、あらためて   確認しておく必要がある。

サンフランシスコ講和条約   第11条は   次のとおり規定した。

  「日本国は、極東国際軍事裁判所   並びに日本国内及び国外の
  他の連合国戦争犯罪法廷の判決を受諾し、且つ、日本国で拘禁
  されている日本国民にこれらの法廷が課した刑を執行するもの
  とする」

条文中の   極東国際軍事裁判所とは、いわゆる「東京裁判」を、
他の連合国戦争犯罪法廷とは、南京軍事法廷などを指している。
東京裁判(1948年)   は、以下のとおり   事実認定をしていた。
  「日本軍の占領中   最初の六週間の間に南京市内とその近郊で
  虐殺された民間人と捕虜の総数は20万人を超える。…ただし、
  この数字には、日本軍によって   焼かれた死体、揚子江へ投棄
  されたり   その他の方法で処理された死体は   含まれていない」

一方、南京軍事法廷(1947年)においては、
  「中華門外の   花神廟・宝塔橋・石観音・下関の草鮭峡などの
  箇所を合計すると、捕えられた中国の軍人・民間人で日本軍に
  機関銃で集団射殺され   遺体を焼却、証拠を隠滅されたものは、
  単燿亭など19万人余りに達する。   このほか   個別の虐殺で、
  遺体を慈善団体が埋葬したものが   15万体余りある。
  被害者総数は   30万人以上に達する」  
と認定している。

こうした国際裁判における裁定の受諾が、戦後   日本国の出発点  
となっており、その意味で   日本政府は、この事実を   認めている
ことになる。
現在の政府の見解は   現在も   外務省公式HPなどで確認することは
可能であり、前述のとおり、報道官発表でも   明らかにしている。
では、日本国外における   南京事件に関する   認識はどうか。
海外では、   「南京虐殺まぼろし論」   を見出すことは難しい。

以前、一部のネトウヨが   鬼の首をとったように   「海外にも
南京大虐殺はなかったと主張する学者がいる」   という情報を
垂れ流したことがある。スタンフォード大学歴史学部長教授で
ピューリッツア賞の受賞歴もある歴史学者だという。  
たしかに   この学者は、「南京虐殺はホロコーストではない」
という一文を、日本の『正論』   に寄稿している。   しかし、
その内容を   よく読むと、南京大虐殺の否定説   などではない。

この寄稿は、『レイプオブ南京』   の著者による   度を越した
日本非難に懐疑を呈するなど、その執筆意図と記述の信憑性を
批判しているだけであり、むしろ   ヤスクニ派などが   常日頃
呪詛の的にしている「村山談話」   までを   引き合いに出し、
戦後の日本が   公式に侵略の罪を認めていることを   述べて、
「日本は虐殺の事実を否定している」との非難から現代日本を
擁護しているのだ。

皮肉にも、ここで   ヤスクニ派お得意の「大東亜戦争は解放戦争」
「村山談話の早期撤回を」   といった宣伝を繰り出したりしたら、
くだんの学者さんの   日本擁護論は、ぶち壊しに   なってしまう。
「海外に南京大虐殺はなかったと主張する学者がいる」どころか
逆に、海外では   誰一人も   否定説などを   認めていないことは
彼の書いたものを読めば   嫌でも   わかるようになっているのだ。
 

南京事件に関する政府見解と国際常識(3)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/17 06:45 投稿番号: [26555 / 29399]
1999年5月14日、当時の石原都知事の発言に対し、外務省
報道官が   会見で表明した   政府の公式見解は、「日本軍の南京
入城後、非戦闘員の殺害あるいは略奪行為があったことは   否定
できない事実である」   というものであり、日本政府としては
その一貫した考え方に変更はない   とするものだった。
なお、このとき   記者の質問に対し、次のような答弁があった。

  (問)   石原知事は南京事件の事実よりその規模に関心を
   持っているようだが、日本政府は   被害規模については
   どう考えているのか。
  (報道官)   日本軍の南京入城後、すなわち   1937年に
   多くの非戦闘員が殺害あるいは略奪行為などに遭ったことは
   否定できない事実であると考えている。
   具体的な人数については   数千人から30万人、40万人に
   至るまで   様々な説があり、政府として   どれが正しい数か
   認定することは   困難であると考えている。

事件の被害者数について、政府として把握することが困難である
というのは、いささか   無責任であるとも思える。   この姿勢が、
「まぼろし論」   などが繰り返し湧いて出る土壌を作り、問題の
解決を遅らせる   要因となっている。   ただし、残虐行為自体は
政府としても   「否定できない事実」   と認めざるを得ないのだ。

次に、06年   当時、河村たかし衆院議員(現名古屋市長)が
政府に提出した   「いわゆる南京大虐殺の再検証に関する質問
主意書」に対する   政府の見解内容を   確認してみよう。
当時の   小泉内閣は、河村議員の質問に対し、「旧日本軍による
南京入城後   非戦闘員の殺害または略奪行為等があったことは
否定できない」   と答弁している。(以下、答弁書より引用)

  平成十八年六月二十二日受領   内閣衆質一六四第三三五号
  平成十八年六月二十二日   衆議院議員河村たかし君提出
  いわゆる南京大虐殺の再検証に関する質問に対し、別紙
  答弁書を送付する。
  一について
   1937年の旧日本軍による南京入城後、非戦闘員の殺害
   又は略奪行為等があったことは否定できないと考えている。
    (中略)
  二、三及び五について
   御指摘の「事件」については、御指摘の「新たな研究成果」
   を含め、種々の議論があることは承知している。お尋ねの
   「既に検証された記録」   が何を意味するのか   必ずしも
   明らかでないが、これまで   公になっている   文献等から
   総合的に判断すれば、非戦闘員の   殺害又は略奪行為等が
   あったことは   否定できないと考えている。(以下、省略)

このように、政府の公式見解は、繰り返し   表明されている。
いずれも、日本軍による   非戦闘員の殺害または略奪行為等は
否定できない事実であるという認識は、一貫して変わらないが、
規模や犠牲者数などの   推定は困難としており、残念ながら
政府として   全容解明を目指そうという姿勢には   じつに乏しい。

南京事件に関する政府見解と国際常識(2)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/17 06:44 投稿番号: [26554 / 29399]
「日本政府としては、日本軍の   南京入城(1937年)後、
多くの   非戦闘員の殺害や   略奪行為等が   あったことは
否定できない   と考えています。」
「しかしながら、被害者の具体的な人数については   諸説あり、
政府として   どれが正しい数かを認定することは困難であると
考えています。」

「日本は、過去の一時期、植民地支配と   侵略により、多くの
国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を
与えたことを率直に認識し、痛切な反省と   心からのお詫びの
気持ちを   常に心に刻みつつ、戦争を   二度と繰り返さず、
平和国家としての道を   歩んでいく決意です。」
(以上、外務省の公式HPより抜粋)

日本政府の公式見解は   上記のとおりだが、南京事件に関して
「多くの非戦闘員の殺害や略奪行為」   は否定できない事実と
認めるにとどまっており、婦女暴行や   大量の捕虜の虐殺など
具体的内容には   言及しておらず、なお   曖昧さが残っている。
なお、1998年12月25日に外務省報道官が   記者会見で
以下のように   発表している。

(報道官)   12月22日東京高裁において、いわゆる南京事件に
   かかわる当事者の「戦中日記」について第2審の民事訴訟判決
   があり(中略)政府としてコメントする立場にはないが、若干
   の点について申し上げておきたい。
   (中略)
   政府としては   いわゆる「南京事件」をめぐり   種々の議論が
   あることは承知しているが、1937年の旧日本軍の南京入城
   の後、非戦闘員の殺害   あるいは虐殺行為等が   あったことは
   否定できない事実であった   と考えている。
   また、政府としての歴史認識については、これまで   累次表明
   してきている通りであり1995年8月15日の内閣総理大臣
   談話を柱としており(中略)その考え方には何ら変更はない。

次に、1999年5月14日の   同じく   外務省報道官会見での
発表内容を   以下に引用する。   これは、石原都知事が   当時、
南京事件などに関し「政府の正式な見解を聞いたことがない」
などと発言したことを受けて   行われた会見だった。

(報道官)   昨日の新聞紙上で、都知事が改めて台湾、南京事件、
   チベット問題について   個人の考えを   表明しているが、
   その中で「日本政府の正式な見解を聞いたことがない」   と
   述べておられるようなので、それぞれの   問題についての  
   政府の考えをここで   改めて簡潔に述べておきたいと思う。
   (中略)
   いわゆる南京事件については、その事実関係をめぐり種々の
   議論が存在していることは承知しているが日本軍の南京入城
   後、非戦闘員の殺害あるいは   略奪行為等が   あったことは
   否定できない事実である   と考えている。(後略)
 

南京事件に関する政府見解と国際常識(1)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/17 06:44 投稿番号: [26553 / 29399]
日中戦争下の1937年に   南京で発生した事件の呼称については
中国や台湾では「南京大屠殺」、   欧米では   Nanking Atrocities、
The rape of Nanking   または   Nanking   Massacre   と呼ばれる。
日本国内では、一般に   「南京虐殺事件」   「南京残虐事件」、
あるいは   単に「南京大虐殺」、「南京虐殺」   と表記されるなど
呼称については   多様なものとなっている。

近年の   歴史教科書などには、「南京虐殺事件」   の略称として
単に「南京事件」   と記されることも多いが、これを   そのまま
英語に   直訳すれば、“Nanking   Incident”   となる。
“Incident”とは、偶発的な事件や「ちょっとした事件」という
ニュアンスでも用いられる言葉であり、大虐殺や残酷行為を指す
“Atrocities”や   “Massacre”   などとは   語意が異なる。

これに関し、米国のジャーナリスト   ポール・グリーンバーグは
アーカンソー・デモクラット=ガゼット紙   07年3月7日付の
「否認の魅力」   記事において、「南京事件」   という言い方は
婉曲表現であり、例えば   ドイツの教科書においてホロコーストを
「アウシュビッツ事件」   と称するようなものだ   と批判している。

呼称一つを   とって見ても、この事件に関する   国際的認識と
日本国内での   認識度には   大きな格差が   生じている。
1970年代、日本国内で   一部の論者が、右翼雑誌などに
「南京大虐殺まぼろし」   論を   展開し始めた。   それから以後、
事実存否や規模、行為者、戦闘行動と戦争犯罪(不法殺害)の区別、
死者数などを巡って   日本国内『だけ』で   『議論』を呼んでいる。

この論争は   残念ながら純然たる学術論争ではなく、特定の歴史観、
政治信条にもとづく   イデオロギー論争の様相が   より強くなり、
誹謗中傷ばかりが目立つ   ドロ試合となっており、出口が見えない。
その原因の一つは、敗戦時に   軍部も政府も   責任の追及を恐れて、
証拠湮滅のために   多くの関係書類を   処分したことによる。
限られた断片的な記録や証言などから   全容解明に至るのは難しい。

また   戦後日本で、戦争原因や責任究明が   きちんと行われず、
戦争を美化し   戦争犯罪を隠蔽する勢力が   温存されたことも
関係している。   日本政府としては、この問題を過去の事として
曖昧なまま   歴史の彼方に   忘れ去られることを   望んでいたが、
皮肉なことに、南京事件否定派が問題を蒸し返し、内外に波紋を
広げたため、あらためて   公式見解を   求められる結果となった。

政府の公式見解は、外務省のホームページ「歴史問題Q&A」の
「南京大虐殺に対して、日本政府はどのように考えていますか」
という質問に   答える形で、以下のように   明示されている。
「日本政府としては、日本軍の   南京入城(1937年)後、
多くの   非戦闘員の殺害や   略奪行為等が   あったことは
否定できない   と考えています――   」

Re: 主計官には上司が居た

投稿者: maximirion 投稿日時: 2011/12/14 23:16 投稿番号: [26552 / 29399]
パリックババンには海軍省経理部の支部長が居たんだよね、単なる主計官の発案では金を動かすことは出来なかったんだよ。>

当たり前だ。
組織なんだから、軍の金が動くに至るまでには相応に必要な手続きが順序だてて行われなければならない。

先ず、軍の金が動くにはその金を必要とする案件が連隊長から兵站部に上げられる必要がある。
兵站部から兵站調達に際する稟議が軍上層部に通って、初めて兵站調達資金の経理部への払い出し請求が有効になり、主計局での事務手続きを経ながら送金が行われる。

まともな組織なら、凡そ何処でも存在する物資その他の有償調達手続きが、軍や官庁では特に厳密な手続きを経て行われている。
国庫から資金供給されるのだから当然だね。

主計官には上司が居た

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/12/13 16:00 投稿番号: [26551 / 29399]
パリックババンには海軍省経理部の支部長が居たんだよね、単なる主計官の発案では金を動かすことは出来なかったんだよ。

陸海軍軍政地域間銀行送金取扱実施

ボルネオ、セレベス、小スンダ民生部長官

陸海軍軍政移築間銀行送金取扱実施の件訓令

今般陸海軍群生地区間に於ける本邦銀行に依る送金の取り扱いを開始することとなりたるに付来る四月一日ヨリ別紙要領に拠り実施すべし

写し送付先

海軍省南方政務部長
海軍省経理局長
南西方面艦隊参謀長
第二南遣艦隊参謀長
第百二海軍経理部長
同   マッカサル支部長
同   バリックババン支部長
各州知事

一乃至二は省略

三.送金の範囲
1.諸費、滞在費、家族生活費、医療費、学費、保険料等の送金
2.小口交易に伴う代金決済の為の送金
3.軍人、軍属の官給金の送金
4.軍の公金の送金
5.其の他必要已むを得ざる送金

四.為替の種類
1.普通送金為替、電信為替、当座勘定付為替等
2.旅行信用状の発行旅行信用状に基づく手形の買い取り

五.為替の表示通貨
   為替の金額は被仕向地の通貨を以て表示するものとし銀行は一対一の換算率を以て現地通貨と受け払いを為すものとす、但し本邦を最終支払地とする旅行信用状に付いては円為替を取り組むことを得

Re: 中曽根康弘主計中尉の「取計」で開設

投稿者: qwsch656 投稿日時: 2011/12/13 06:07 投稿番号: [26550 / 29399]
韓国にねえ、4年間赴任していたけど、彼らは、日本人に対する歴史認識を言うが、自らの歴史教育の正誤を顧みることはない。

つい最近まで、人身売買まがいのことがあり、売春婦の輸出大国でもある韓国、売春婦は貧しい女たちの貴重な就職なのだ。
慰安婦に関しても、当人にとっては無知槍かもしれないが、親はきちんと承諾していたはず。

日本にとって、大きな失敗は、韓国という国が、真実が正しいわけではないということを理解していなかったこと。
韓国では、日本にマイナスの情報は、どんなに間違ったものでも真実になる。

売春婦は、差別の対象であり、尊大な民族の軽蔑の対象であるが、慰安婦は、悲劇のヒロインになれる。
教養もへったくれもない、元慰安婦が、涙を流して話でたらめが、本当になる国なのです。
これに対して、保証なんかしようものなら、次から次へと、嘘を持ち出してくる国。

普通の国だと思ったら大間違い、国交断絶も想定した、厳しい態度で臨めば、泣きわめき靴でもなめる。

Re: 中曽根康弘主計中尉の「取計」で開設

投稿者: maximirion 投稿日時: 2011/12/11 09:10 投稿番号: [26549 / 29399]
間違った報道を正しましょうね。>


軍政と慰安所の仕組みを知らないあんぽんたんに幾ら説いても馬の耳に念仏ですよ。
だから、記事の内容も満足に読解できていない。

元の記事を書いた者や草の家の者達も大概 dorawasabi5001 や fukagawatohei 程度の無知なお馬鹿です。
軍が福利厚生として兵站発注した一般的な娯楽施設の慰安所が、現地の女性を娯楽施設の接客要員として採用して現地基地内の設営施設として開設営業された事実しか資料には書かれていない。

女性を軍の慰安所という基地内娯楽施設に雇用すると、性的奴隷にされたと短絡思考する下種なお馬鹿さん達が、草の家の面々とブログ高地の記述者とそれを有難がる dorawasabi5001 や fukagawatohei の類なわけだ。

そんな卑しいでは、在留米軍基地内の風俗娯楽施設で働く婦女も性風俗嬢の如くにしか見られないことであろう。

【海軍航空基地第2設営班資料】(防衛研修所戦史室)
※第2施設隊(矢部部隊)工営長の宮地米三氏(海軍技師)の自筆を含めた資料をもとに1962年に防衛省(当時庁)がまとめたもの
<抜粋記事>
「氣荒くなり日本人同志けんか等起る」
「主計長の取計で土人女を集め慰安所を開設氣持の緩和に非常に効果ありたり」

【『終りなき海軍』より】(中曽根氏著作)
「三千人からの大部隊だ。やがて、原住民の女を襲うものやバクチにふけるものも出てきた。そんなかれらのために、私は苦心して、慰安所をつくってやったこともある。かれらは、ちょうど、たらいのなかにひしめくイモであった。卑屈なところもあるし、ずるい面もあった。そして、私自身、そのイモの一つとして、ゴシゴシともまれてきたのである。」

【この文章の「慰安所」について】(中曽根氏談)
「慰安所は軍人らが碁を打つなど休息所の目的で設置した」
「海軍の工員の休憩と娯楽の施設をつくってほしいということだったので作ってやった」

【草の家の主張】
「中曽根氏の軍慰安所への関与の件は国際的にも問題視されてきたものであり、中曽根氏に、この問題の全容をみずから明らかにすべきだと働きかけていく。

【ブログ高知の主張】
横書きのメモと地図から読みとれることは、つぎのとおりです。
まず、12月20日、ダバオに上陸して海軍313基地に陣取ります。
  「313基地(ダバオ)   作業」の項目に「慰安所   組立家屋建設」の記述があります。
  同班は、313基地に1500人を残して、その他の人員で、1942年1月24日、バリックパパンに上陸し、海軍322基地に陣取ります。
  「322基地(バリックパパン)   作業」の項目に「(設営班用)→慰安所(組立家屋)建設」の記述があります。
  1942年3月11日、晴れ、「慰安所(設営班)開設」の記述があります。
  「322基地(バリックパパン)   完了時の状況」と題するバリックパパンの海軍322基地の地図に「設営班慰安所」がえがかれています
  これを見ると、「設営班慰安所」全体は垣で囲まれていて、組立家屋、接収した民家、天幕、トイレがあることがわかります。
こんどの文書には、中曽根氏が「苦心して」「つくってやった」慰安所が、中曽根氏が「土人女を集め」て日本海軍の基地内につくった日本海軍の慰安所だったことが書かれています。

Re: 中曽根康弘主計中尉の「取計」で開設

投稿者: maximirion 投稿日時: 2011/12/11 08:58 投稿番号: [26548 / 29399]
間違った報道を正しましょうね。>


軍政と慰安所の仕組みを知らないあんぽんたんに幾ら説いても馬の耳に念仏ですよ。
だから、記事の内容も満足に読解できていない。

元の記事を書いた者や草の家の者達も大概 dorawasabi5001 や fukagawatohei 程度の無知なお馬鹿です。
軍が福利厚生として兵站発注した一般的な娯楽施設の慰安所が、現地の女性を娯楽施設の接客要員として採用して現地基地内の設営施設として開設営業された事実しか資料には書かれていない。

女性を軍の慰安所という基地内娯楽施設に雇用すると、性的奴隷にされたと短絡思考する下種なお馬鹿さん達が、草の家の面々とブログ高地の記述者とそれを有難がる dorawasabi5001 や fukagawatohei の類なわけだ。

そんな卑しいでは、在留米軍基地内の風俗娯楽施設で働く婦女も性風俗嬢の如くにしか見られないことであろう。

【海軍航空基地第2設営班資料】(防衛研修所戦史室)
※第2施設隊(矢部部隊)工営長の宮地米三氏(海軍技師)の自筆を含めた資料をもとに1962年に防衛省(当時庁)がまとめたもの
<抜粋記事>
「氣荒くなり日本人同志けんか等起る」
「主計長の取計で土人女を集め慰安所を開設氣持の緩和に非常に効果ありたり」

【『終りなき海軍』より】(中曽根氏著作)
「三千人からの大部隊だ。やがて、原住民の女を襲うものやバクチにふけるものも出てきた。そんなかれらのために、私は苦心して、慰安所をつくってやったこともある。かれらは、ちょうど、たらいのなかにひしめくイモであった。卑屈なところもあるし、ずるい面もあった。そして、私自身、そのイモの一つとして、ゴシゴシともまれてきたのである。」

【この文章の「慰安所」について】(中曽根氏談)
「慰安所は軍人らが碁を打つなど休息所の目的で設置した」
「海軍の工員の休憩と娯楽の施設をつくってほしいということだったので作ってやった」

【草の家の主張】
「中曽根氏の軍慰安所への関与の件は国際的にも問題視されてきたものであり、中曽根氏に、この問題の全容をみずから明らかにすべきだと働きかけていく。

【ブログ高知の主張】
横書きのメモと地図から読みとれることは、つぎのとおりです。
まず、12月20日、ダバオに上陸して海軍313基地に陣取ります。
  「313基地(ダバオ)   作業」の項目に「慰安所   組立家屋建設」の記述があります。
  同班は、313基地に1500人を残して、その他の人員で、1942年1月24日、バリックパパンに上陸し、海軍322基地に陣取ります。
  「322基地(バリックパパン)   作業」の項目に「(設営班用)→慰安所(組立家屋)建設」の記述があります。
  1942年3月11日、晴れ、「慰安所(設営班)開設」の記述があります。
  「322基地(バリックパパン)   完了時の状況」と題するバリックパパンの海軍322基地の地図に「設営班慰安所」がえがかれています
  これを見ると、「設営班慰安所」全体は垣で囲まれていて、組立家屋、接収した民家、天幕、トイレがあることがわかります。
こんどの文書には、中曽根氏が「苦心して」「つくってやった」慰安所が、中曽根氏が「土

父親はどうよ、嘘つきfukagawatohei?

投稿者: koudousuru009 投稿日時: 2011/12/09 10:19 投稿番号: [26547 / 29399]
生きてるんだろ?

お前は父親に寄生して生きてるんだろ?

バレてるぜ    (大笑

中曽根氏の回想録

投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2011/12/09 09:31 投稿番号: [26546 / 29399]
中曽根康弘元首相が旧海軍の主計中尉のころ、ボルネオのバリクパパン(現インドネシア)で 慰安所の設置に関与したことを示す旧海軍の資料を市民団体「平和資料館・草の家」(高知市)が 入手し、発表した。中曽根氏は回顧録で「私は苦心して、慰安所をつくってやった」と記していること
がすでに明らかになっている。

資料は「海軍航空基地第2設営班資料」。同館が防衛省防衛研究所の史料閲覧室で見つけた。

「第二設営班   矢部部隊」の活動状況が25ページにわたり記されている。隊長、工営長、軍区長と 並び、主計長として中曽根氏の氏名があった。

資料によると、部隊はダバオに上陸した翌1942年にバリクパパンで飛行場の整備などに従事。

その際、「(隊員の)気荒くなり、日本人同志けんか等起る様になる」などとして、「主計長の取計 (とりはからい)で土人女を集め慰安所を開設気持の緩和に非常に効果ありたり」と書かれている。
慰安所の場所を示す地図もあった。

27日に記者会見した同館は「中曽根氏が現地の女性を集めて慰安所を設置するよう計らった ことは明らか。軍の関与を示す重要な資料」と主張している。

中曽根氏は「終りなき海軍   若い世代へ伝えたい残したい」(文化放送開発センター出版部、 1978年刊)に回顧録を寄稿。

設営隊の主計長としてバリクパパンに上陸した当時を振り返り、
「三千人からの大部隊だ。やがて、原住民の女を襲うものやバクチにふけるものも出てきた。

そんなかれらのために、私は苦心して、慰安所をつくってやったこともある」と記していた。

Re: 中曽根康弘主計中尉の「取計」で開設

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/12/09 07:19 投稿番号: [26545 / 29399]
主計官に特殊慰安所を開設する権限はありませんよ、民間施設ですからね。

間違った報道を正しましょうね。

中曽根康弘主計中尉の「取計」で開設

投稿者: dorawasabi5001 投稿日時: 2011/12/09 00:53 投稿番号: [26544 / 29399]
初期に原発も推進した中曽根、「土人女を集めて慰安所を開設した」中曽根・・

そして知らばっくれる中曽根・・

もう余命も長くないでしょうから、「南京大虐殺を証言した兵士たちの様に」

悪事をすべて映像の前で証言したらどうですか。

いくら教科書をねじ曲げたって、「事実」はいつか出てきます。



★2011年10月27日 (木)


【ニュース】   ボルネオ島バリックパパンの日本海軍322基地に「設営班慰安所」

1942年3月11日、中曽根康弘主計中尉の「取計」で開設


  防衛省防衛研究所所蔵の文書に記述

    高知市の平和・資料館の調査で判明   (つづきあり)


中曽根康弘海軍主計中尉がアジア太平洋戦争中に「外地」で海軍の慰安所を取りはからったとして、各方面が追求してきました(本人は、いわゆる従軍慰安所ではないと否定してきました)。高知市の平和資料館・草の家(岡村正弘館長)は、防衛省防衛研究所に、その問題に関連した資料があることをつきとめ、10月27日午前、その文書の内容を記者会見で報告しました。その文書は、ボルネオ島バリックパパンの日本海軍322基地に海軍の「設営班慰安所」があったこと、それは、中曽根康弘主計中尉の「取計」で「土人女を集め」、1942年3月11日に開設したとをのべています。(藤原義一)
  【文書の所蔵先】
  草の家の会見によると、その文書は、東京都目黒区の防衛省防衛研究所にあります。同所の戦史研究センター史料閲覧室で閲覧できます。請求記号は「⑤航空基地」、史資料名は「海軍航空基地第2設営班資料」(表紙をあわせて26ページ)です。・・


http://www.nids.go.jp/military_archives/index.html


2011年10月27日 (木) ニュース | 固定リンク

http://fujihara.cocolog-nifty.com/tanoshi/2011/10/post-191b.html

暴力拷問リンチ食らわす奴等は

投稿者: akuma_ga_hyoui_sitemasu 投稿日時: 2011/12/05 20:31 投稿番号: [26542 / 29399]
天使か?火星人か金星人か?ほかの惑星か?
それとも、堕天使達か?
どちらにしろ、人間のっとって酷い思いさせるな!!
アミューズの寺脇康文になって、うるさ過ぎなんだよ!!
ちなみに、関西吉本興業いらない!!
みんな、死ね!!

福祉を食い物にする

投稿者: akuma_ga_hyoui_sitemasu 投稿日時: 2011/12/05 19:40 投稿番号: [26541 / 29399]
藤田一族、しかも脱税した金で家建てた。奴等の仲間もダニ。朝鮮人の裏業界の奴等。そういう党もいる。政治家は、税金泥棒。君枝も利典も福祉食い物にするダニ。藤田との犬の殺しあいで、両方の馬鹿犬死亡。暴力団は、福祉利用するな!!メディアエンタメ業界は、用心棒に雇うな!!

日本のメディアエンタメ業界は

投稿者: akuma_ga_hyoui_sitemasu 投稿日時: 2011/12/05 17:42 投稿番号: [26540 / 29399]
今でも同じことしている。虐殺とレイプ。芸能人みんなやってる。特に大手芸能事務所は、ナチスとテロリストだ。テレビとラジオも同じ犯罪者。お前ら全員同性愛者のアナル専門野郎!!男だけじゃなく、女全員そうだろ!!糞野郎のメディアエンタメ業界ども!!

同じことが現代でも起きている

投稿者: akuma_ga_hyoui_sitemasu 投稿日時: 2011/12/05 07:13 投稿番号: [26539 / 29399]
同性愛者達が悪い。特に、ゲイ・ホモ・ニューハーフ・オカマといわれる男同士が良くない。奴等は、必ず皆殺し喰らう。あいつらは、最悪の芸で反吐が出るように下品だ。それは、日本の芸能界と同じだ。広く、メディアエンタメ業界ともいえる。みんなレイプされて殺されて当然の奴等だ。北朝鮮の裏稼業の奴等も商売なんかできないようになる。もちろん、韓国も同じだ。朝鮮人は、日本国内では同じだ。靖国戦犯悪霊を使うMK派の右翼在日暴力団も皆殺し喰らう。暴力には暴力の報復くらうのが法則だ。未成年者も不幸な存在だ。死んだのは、みんなMK派が悪い。藤田とか福祉は、税金泥棒のダニだ。脱税までして家建ててる。
ちなみに、無宗教の人間にキリストと同じ拷問体験させるのは、やめるべきだ。バチカンとか宗教施設で皆殺しが起きても当然になる。

また嘘をつくfukagawatohei (笑

投稿者: koudousuru009 投稿日時: 2011/12/02 17:08 投稿番号: [26538 / 29399]
誰もお前をまともには相手にしない    (笑

それでも投稿を止められない    (笑

今日は40件を越すんじゃないか、嘘つきfukagawatoheiの投稿が    (大笑

Re: こんなんでましたけど!

投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2011/12/02 16:43 投稿番号: [26537 / 29399]
>戦争って、如何言うものか理解出来ない御仁だの〜。

ノ〜タリンでドン百姓の田舎者に戦争の定義を説明することが
できまっか?ikuyo_kuruyoさんよ。

Re: こんなんでましたけど!

投稿者: konoyo_anoyo 投稿日時: 2011/12/02 16:31 投稿番号: [26536 / 29399]
戦争って、如何言うものか理解出来ない御仁だの〜。

ハヨ、反日特亜三国に移り住め!

こんなんでましたけど!

投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2011/12/02 15:39 投稿番号: [26535 / 29399]
- QUOTE -

あっははは、わいの爺さんなんて戦争中に1000人の中国人を殺戮したやんちゃはんやで!
橋本はんなんてまだまだや。
自分の血にもっと誇りを持つべきや!
わいは橋本はんを支持するで!

- UNQUOTE -

父親が死んだと書く嘘つきfukagawatohei

投稿者: koudousuru009 投稿日時: 2011/12/02 09:50 投稿番号: [26534 / 29399]
(本当に死ぬぞ、お前の父親が!!)

fukagawatoheが議論で勝てることは永久に無い    (笑

嘘つきだと皆にバレているのだから    (大笑

父親が死んだとまで嘘を書いて、その嘘同士が矛盾を来たしたのだから    (笑

馬鹿だろう    (大笑

本当に父親が死ぬぞ、お前!   日本には”言霊信仰”があって、この手の嘘は「言い当てる」と言って極端に嫌われるんだよ、お前!

「結核が持病である自分の父親が徴兵された」との趣旨の投稿をしたから、「伝染病である結核が持病の人間が徴兵されることはない」と否定されて、次のような苦し紛れの逃げ口上を書いた。

>軍隊に入ってからすぐに広島にある「結核患者を専門に治療していた」
陸軍病院に「入院させられた」という事実から、おいらが親父の
結核は持病だったと表現しただけなんですけどね〜。
「南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘」のトピ   投稿No.24475   投稿者:fukagawatohei   *注意:これが2008/ 7/ 8の記載である

次に「爆心地か近いところにあった陸軍病院で被爆した」と書いて、またまた、「結核専門病院は爆心地の近くにはなかった」事実を突きつけられて、

>おいらの親父が入院したのは爆心地から1〜1.5kmくらいのところに
あった広島陸軍病院だよ。
結核患者が必ずしも、結核専門の病院に入れられるとは限らないんだよ。
「南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘」のトピ   投稿No.24782 投稿者:fukagawatohei   *注意:これは2008/ 7/24 である

と書いた。2週間の間に複数の相手と「嘘のやり取り」をしている内に、その場限りの「嘘」同士が、完全に、矛盾した。

入院したのが「結核専門病院であり」同時に「結核専門病院ではない」ことになってしまった。

両方とも嘘だからこうなった。

オカシカッタのは、この「嘘同士の矛盾」を、何回も突きつけられて、本人がなかなかワカラナカッタことである。

嘘ばっかり書いているから、頭が嘘になってしまったのである    (大笑

それ以来、fukagawatoheiは、嘘が「バレタラバレタ時ノコト」と開き直って投稿するようになった。

だから、新しい相手とやり取りを始めても、直ぐ突っ込まれて行き詰まり、あとは悪口雑言ばっかり、と云うザマになっている。

ここ数年間、ずーっと、その調子である。

嘘がばれる前提で嘘を書き続ける。止められない。

やっぱり、完全に、fukagawatoheは狂人なのである。

汚爺unko先生へ − 慰安所

投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2011/12/02 09:00 投稿番号: [26533 / 29399]
>どこの国の軍隊も性欲があることは同じであり、軍人の性慾の処理を公明正大に行ったか、秘密のうちに陰惨におこなったかの違いがあるのみである。>

unko先生、台湾の軍隊用の慰安所はどこにあるのでしょうか?

中曽根2007年にはしらばっくれてました

投稿者: unhoo 投稿日時: 2011/12/01 20:05 投稿番号: [26532 / 29399]
どこの国の軍隊も性欲があることは同じであり、軍人の性慾の処理を公明正
大に行ったか、秘密のうちに陰惨におこなったかの違いがあるのみである。
秘密、陰惨に行った国の後代の者たちが、先代の卑しき行為の内容が不明な
のをいいことにして、公明正大に行った国の後代の者を責めるのは、最も卑
しい狡猾な行為である。そんな奴等に対しては軽蔑の念を心に抱いて、いい
加減にあしらうのが正確な対応である。そんな卑怯、狡猾な奴等に対して
は、誰しも最高の軽蔑感がおのずから心中に湧いてくる。

中曽根氏

投稿者: unhoo 投稿日時: 2011/12/01 10:36 投稿番号: [26531 / 29399]
中曽根氏は二次大戦中の一時期、台湾に勤務いていた。台湾南部の高雄港の
10kmほど北の左営という海軍基地で、主計中尉か大尉だった。その時代彼は
台湾人の部下に親切だったという。

中曽根氏が首相になると決まったとき、中曽根氏は台湾に縁があったから、
今までの内閣よりはすこしは台湾に関心を持った内閣になるだろうと台湾の
新聞が中曽根氏の旧部下の談話を掲載した。

日本が台湾の国民党政権と斷交して、共匪政権と国交を建立したとき、日本
政府の役人が気がついたことは、日本が台湾を無視すると、共匪政権が大喜
びすることだった。共匪政権を喜ばせることはまた日本政府の役人の喜びで
あった。それゆえに日本政府の役人には台湾を仇敵と思っているかのごとき
言動が現れた。共匪政権を喜ばせたい一心からである。

中曽根内閣ならすこしちがうだろうという、中曽根の旧部下たちの期待は外
れた。中曽根内閣はそれまでの日本の内閣を踏襲し、台湾へ大そっぽを向け
たのである。

やがて蒋政権は継承人材がないために終結した。継承者の立場にあった台湾
人の李登輝氏は、苦闘の末継承権を確立した。李氏が早速取り掛かった仕事
は、全国の監獄を調査して、政治犯を釈放することだった。半年後に李登輝
総統は「もはや台湾には一人も政治犯はいない」と声明した。

日本人は二次大戦後蒋介石の「恩を以て恨みに報いる」という言い分に牽制
されるところがあったが、李登輝総統からは牽制を受けるところがない。そ
れで日本全国の役人は何憚るところなく、李登輝総統を冷淡にあしらって、
共匪政権を大喜びさせた。

Re: 中曽根2007年にはしらばっくれてました

投稿者: maximirion 投稿日時: 2011/12/01 02:13 投稿番号: [26529 / 29399]
★中曽根元首相:旧海軍時代に慰安所つくった記憶ない−慰安婦問題

Buzzurl 3月23日(ブルームバーグ):中曽根康弘元首相は23日午後、日本外国特派員協会で記者会見し、自らが旧海軍時代に従軍慰安婦が詰める「慰安所」を設置したと指摘されていることについて「事実と違う。海軍の工員の休憩と娯楽の施設をつくってほしいということだったので作ってやった」と否定した。

従軍慰安婦問題への旧日本軍の関与の実態に関しては「具体的なことは知らない」と述べるにとどめたが、

「日本として謝罪すべき問題だ」とも指摘した。

また、米下院に提出された旧日本軍の従軍慰安婦問題に関する対日非難決議案へ日本政府が取るべき対応について「結果次第だ。考えるべき問題があれば考え、処置すべきことがあれば処置すべきだ」と語った。


また、安倍晋三首相が、当時の官憲などが慰安所の設営や慰安婦の募集・移送に関与していたことを認めて「おわび・反省」を表明した1993年の河野洋平官房長官談話を継承する、としていることに賛同する考えを強調。


その上で、「日本政府、国民は正式な謝罪を行っている。改めて政府が言うチャンスがあれば必要だ」とも語った。

http://www.bloomberg.co.jp/apps/news?pid=90920000&sid=auVti5ZLiSxw&refer=jp_asia



”慰安所”と聞けば女郎屋を連想する無知で下種な者のつけた見出しだな。(笑)
中曽根元首相のいう「海軍の工員の休憩と娯楽の施設」を平素から”慰安所”と言っていたのだし、”慰安”自体が「休息と娯楽で労い慰める」事を言うのは今も変わらない。

慰安の為に、特定の収容者や就労者を訪問する事は今尚頻繁に巷で行われ、”慰問”と言う。
慰問目的で組織された団体を慰問団と言い、戦前も戦後も様々な場面で活躍している。

”慰安婦”と言う呼称も慰安する婦人及び婦女に対して称されていたものの略称。
慰安婦人団とか慰安少女団の慰問と言うのが、戦前には多くあったはずだ。
歌手や劇団などの慰問というのも戦前から現在に至るまで当たり前に行われている。

つまり、その記事に着けてあるタイトルは虚偽だってこと。
中曽根元首相は、設置した慰安所の中身が報道と実際とは全く異なると言っているし、当初の中曽根元首相の関連記事や資料に出て来る慰安所の中身も中曽根元首相の発言と合致している。

逆に、「慰安所=従軍娼館施設」という扱いをしている記者や編集部は、明らかに虚偽の報道を恣意的に行ったのでしかない。

中曽根2007年にはしらばっくれてました!

投稿者: dorawasabi5001 投稿日時: 2011/11/30 00:34 投稿番号: [26528 / 29399]
★中曽根元首相:旧海軍時代に慰安所つくった記憶ない−慰安婦問題

Buzzurl 3月23日(ブルームバーグ):中曽根康弘元首相は23日午後、日本外国特派員協会で記者会見し、自らが旧海軍時代に従軍慰安婦が詰める「慰安所」を設置したと指摘されていることについて「事実と違う。海軍の工員の休憩と娯楽の施設をつくってほしいということだったので作ってやった」と否定した。

従軍慰安婦問題への旧日本軍の関与の実態に関しては「具体的なことは知らない」と述べるにとどめたが、

「日本として謝罪すべき問題だ」とも指摘した。

また、米下院に提出された旧日本軍の従軍慰安婦問題に関する対日非難決議案へ日本政府が取るべき対応について「結果次第だ。考えるべき問題があれば考え、処置すべきことがあれば処置すべきだ」と語った。


また、安倍晋三首相が、当時の官憲などが慰安所の設営や慰安婦の募集・移送に関与していたことを認めて「おわび・反省」を表明した1993年の河野洋平官房長官談話を継承する、としていることに賛同する考えを強調。


その上で、「日本政府、国民は正式な謝罪を行っている。改めて政府が言うチャンスがあれば必要だ」とも語った。

http://www.bloomberg.co.jp/apps/news?pid=90920000&sid=auVti5ZLiSxw&refer=jp_asia

↓ 負け犬+卑怯者koudousuru009 (笑

投稿者: llliq_pilll 投稿日時: 2011/11/26 14:26 投稿番号: [26527 / 29399]
おい、負け犬!!

あいかわらずバカか?   あん?    (笑
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