Re: 中曽根康弘主計中尉の「取計」で開設
投稿者: maximirion 投稿日時: 2011/12/11 09:10 投稿番号: [26549 / 29399]
間違った報道を正しましょうね。>
軍政と慰安所の仕組みを知らないあんぽんたんに幾ら説いても馬の耳に念仏ですよ。
だから、記事の内容も満足に読解できていない。
元の記事を書いた者や草の家の者達も大概 dorawasabi5001 や fukagawatohei 程度の無知なお馬鹿です。
軍が福利厚生として兵站発注した一般的な娯楽施設の慰安所が、現地の女性を娯楽施設の接客要員として採用して現地基地内の設営施設として開設営業された事実しか資料には書かれていない。
女性を軍の慰安所という基地内娯楽施設に雇用すると、性的奴隷にされたと短絡思考する下種なお馬鹿さん達が、草の家の面々とブログ高地の記述者とそれを有難がる dorawasabi5001 や fukagawatohei の類なわけだ。
そんな卑しいでは、在留米軍基地内の風俗娯楽施設で働く婦女も性風俗嬢の如くにしか見られないことであろう。
【海軍航空基地第2設営班資料】(防衛研修所戦史室)
※第2施設隊(矢部部隊)工営長の宮地米三氏(海軍技師)の自筆を含めた資料をもとに1962年に防衛省(当時庁)がまとめたもの
<抜粋記事>
「氣荒くなり日本人同志けんか等起る」
「主計長の取計で土人女を集め慰安所を開設氣持の緩和に非常に効果ありたり」
【『終りなき海軍』より】(中曽根氏著作)
「三千人からの大部隊だ。やがて、原住民の女を襲うものやバクチにふけるものも出てきた。そんなかれらのために、私は苦心して、慰安所をつくってやったこともある。かれらは、ちょうど、たらいのなかにひしめくイモであった。卑屈なところもあるし、ずるい面もあった。そして、私自身、そのイモの一つとして、ゴシゴシともまれてきたのである。」
【この文章の「慰安所」について】(中曽根氏談)
「慰安所は軍人らが碁を打つなど休息所の目的で設置した」
「海軍の工員の休憩と娯楽の施設をつくってほしいということだったので作ってやった」
【草の家の主張】
「中曽根氏の軍慰安所への関与の件は国際的にも問題視されてきたものであり、中曽根氏に、この問題の全容をみずから明らかにすべきだと働きかけていく。
【ブログ高知の主張】
横書きのメモと地図から読みとれることは、つぎのとおりです。
まず、12月20日、ダバオに上陸して海軍313基地に陣取ります。
「313基地(ダバオ) 作業」の項目に「慰安所 組立家屋建設」の記述があります。
同班は、313基地に1500人を残して、その他の人員で、1942年1月24日、バリックパパンに上陸し、海軍322基地に陣取ります。
「322基地(バリックパパン) 作業」の項目に「(設営班用)→慰安所(組立家屋)建設」の記述があります。
1942年3月11日、晴れ、「慰安所(設営班)開設」の記述があります。
「322基地(バリックパパン) 完了時の状況」と題するバリックパパンの海軍322基地の地図に「設営班慰安所」がえがかれています
これを見ると、「設営班慰安所」全体は垣で囲まれていて、組立家屋、接収した民家、天幕、トイレがあることがわかります。
こんどの文書には、中曽根氏が「苦心して」「つくってやった」慰安所が、中曽根氏が「土人女を集め」て日本海軍の基地内につくった日本海軍の慰安所だったことが書かれています。
軍政と慰安所の仕組みを知らないあんぽんたんに幾ら説いても馬の耳に念仏ですよ。
だから、記事の内容も満足に読解できていない。
元の記事を書いた者や草の家の者達も大概 dorawasabi5001 や fukagawatohei 程度の無知なお馬鹿です。
軍が福利厚生として兵站発注した一般的な娯楽施設の慰安所が、現地の女性を娯楽施設の接客要員として採用して現地基地内の設営施設として開設営業された事実しか資料には書かれていない。
女性を軍の慰安所という基地内娯楽施設に雇用すると、性的奴隷にされたと短絡思考する下種なお馬鹿さん達が、草の家の面々とブログ高地の記述者とそれを有難がる dorawasabi5001 や fukagawatohei の類なわけだ。
そんな卑しいでは、在留米軍基地内の風俗娯楽施設で働く婦女も性風俗嬢の如くにしか見られないことであろう。
【海軍航空基地第2設営班資料】(防衛研修所戦史室)
※第2施設隊(矢部部隊)工営長の宮地米三氏(海軍技師)の自筆を含めた資料をもとに1962年に防衛省(当時庁)がまとめたもの
<抜粋記事>
「氣荒くなり日本人同志けんか等起る」
「主計長の取計で土人女を集め慰安所を開設氣持の緩和に非常に効果ありたり」
【『終りなき海軍』より】(中曽根氏著作)
「三千人からの大部隊だ。やがて、原住民の女を襲うものやバクチにふけるものも出てきた。そんなかれらのために、私は苦心して、慰安所をつくってやったこともある。かれらは、ちょうど、たらいのなかにひしめくイモであった。卑屈なところもあるし、ずるい面もあった。そして、私自身、そのイモの一つとして、ゴシゴシともまれてきたのである。」
【この文章の「慰安所」について】(中曽根氏談)
「慰安所は軍人らが碁を打つなど休息所の目的で設置した」
「海軍の工員の休憩と娯楽の施設をつくってほしいということだったので作ってやった」
【草の家の主張】
「中曽根氏の軍慰安所への関与の件は国際的にも問題視されてきたものであり、中曽根氏に、この問題の全容をみずから明らかにすべきだと働きかけていく。
【ブログ高知の主張】
横書きのメモと地図から読みとれることは、つぎのとおりです。
まず、12月20日、ダバオに上陸して海軍313基地に陣取ります。
「313基地(ダバオ) 作業」の項目に「慰安所 組立家屋建設」の記述があります。
同班は、313基地に1500人を残して、その他の人員で、1942年1月24日、バリックパパンに上陸し、海軍322基地に陣取ります。
「322基地(バリックパパン) 作業」の項目に「(設営班用)→慰安所(組立家屋)建設」の記述があります。
1942年3月11日、晴れ、「慰安所(設営班)開設」の記述があります。
「322基地(バリックパパン) 完了時の状況」と題するバリックパパンの海軍322基地の地図に「設営班慰安所」がえがかれています
これを見ると、「設営班慰安所」全体は垣で囲まれていて、組立家屋、接収した民家、天幕、トイレがあることがわかります。
こんどの文書には、中曽根氏が「苦心して」「つくってやった」慰安所が、中曽根氏が「土人女を集め」て日本海軍の基地内につくった日本海軍の慰安所だったことが書かれています。
これは メッセージ 26545 (nyankotyanndamon さん)への返信です.