南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行は事実

Yahoo! Japan 掲示板トピックビューアー

[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

南京大虐殺・論争の歴史2

投稿者: meronnmannjyu 投稿日時: 2005/04/03 12:45 投稿番号: [7466 / 29399]
30万人以上
江沢民政権以降の中国側の見解に見られる。孫宅巍(江蘇省社会科学院研究員)、高興祖(南京大学教授)などが主張している。また、南京にある侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館も同様の見解をもっている。

資料は南京の国民党政府が極東国際軍事裁判と南京軍事法廷に提出した埋葬記録と被害届けに基づくとされている。南京軍事法廷判決では「30万人余り」(集団で殺されたのが19万人、そうでなくバラバラに殺されたのが15万人)(谷寿夫判決書)となっている。


十数万人以上
論争において肯定派・虐殺派と呼ばれる。ここでは肯定説に統一する。笠原十九司(都留文科大学教授)、吉田裕(一橋大学教授)、藤原彰(一橋大学教授)、洞富雄(早稲田大学教授)、本多勝一(ジャーナリスト)、小野賢二(化学労働者)らの研究に加え、またこれらの人々に、井上久士(駿河台大学教授)や渡辺春巳(弁護士)らを加えた歴史学者・弁護士・ジャーナリスト等で組織する南京事件調査研究会における研究や資料集が一般的に知られている。

資料としては主に極東国際軍事裁判と南京軍事法廷に提出された埋葬記録と被害届け、日本軍の戦闘記録と軍人の回想録・日記、残留外国人の日記・伝聞、中国・アメリカや日本の新聞報道、スマイス報告など様々な資料が使用されている。


4万人前後
秦郁彦(千葉大学教授)の見解である。この見解は、中公新書『南京事件』(中央公論社   初版1986年)において示されたものだが、同書は18版(1998年現在)を超えるベストセラーであり、基本的な研究書とされている。資料としては主に日本軍の戦闘詳報とスマイス報告が使用されている。


1万数千人以下
一般的には否定派と言われる。ここでは否定説に統一する。東中野修道(亜細亜大学教授)、板倉由明(研究家)、田中正明(研究家)などが主張する。また、旧陸軍軍人の親睦団体の一つである偕行社も、この見解に与している。資料としては主に日本軍の戦闘詳報とスマイス報告が使用されているが、数値が大幅に割り引いている。
主な論点
南京大虐殺論争では事件における虐殺数や規模を中心にさまざまな論点が争われる。主な論点を挙げると以下の通りとなる。


事件の期間
東京裁判では「日本軍占領してから6週間」という判決を出しており、否定説の見解は概ねこの判決を踏襲している。肯定説は、研究により多少見解が分かれるが、笠原十九司の「1937年12月4日 - 1938年3月28日の4ヶ月」説を概ね踏襲している。


地理的範囲
この論争での地理的概念は広い順序で示すと次の通りとなる。

南京行政区
南京市と近郊6県
南京市
城区と郷区
城区
南京城と城外人口密集地である下関・水西門外・中華門外・通済門外
南京城
城壁を境にした内部
安全区
南京城内の中心から北西部にかけた一地区(面積3.86km²)
否定説と中国側の見解では概ね南京市を範囲の基準に考えている。東京裁判判決では「南京とその周辺」としているが、ここには「南京から二百中国里(約66マイル)」という範囲が含まれているので南京行政区を指しているのではないかと考えられている。肯定説は東京裁判を踏襲して南京行政区を範囲としている。


人口推移
否定説は、「陥落時の南京の人口は20万人しかなく、30万人を虐殺することは不可能だ」とする。また、「陥落時20万人だった人口が、その後すぐに増加していることから、市民が虐殺の存在を認識していなかった」とも主張する。
[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

Yahoo! Japan 掲示板 アーカイヴ

[検索ページ] (中東) (東亜) (捕鯨 / 捕鯨詳細)