南京大虐殺・論争の歴史1
投稿者: meronnmannjyu 投稿日時: 2005/04/03 12:43 投稿番号: [7465 / 29399]
論争の歴史
1971年まで
「南京大虐殺」は、東京裁判において日本と世界に大きな衝撃を与えたが、それ以降、日中戦争を取り上げた研究などでは触れられるものの、世間で注目をあびる問題ではなかった。専門的な研究は洞富雄『近代戦史の謎』(人物往来社 1967年)、五島広作(毎日新聞記者)と下野一霍の共著『南京作戦の真相』(東京情報社 1966年)がある程度であった。この『南京作戦の真相』は、南京事件の存在自体を疑う否定論としては最も早く単行本として出版されたものであったが、当時この本が注目されることはなかった。
1971年から1982年まで
再び注目を集めるきっかけとなったのは、日中国交樹立直前の1971年(昭和46年)8月末より朝日新聞紙上に掲載された本多勝一記者の「中国の旅」という連載記事である。南京を含む中国各地での日本軍の残虐行為が精細に描写された記事であったが、この記事で当時「百人斬り競争」が大々的に報道されていたことが取り上げられた時、“百人斬りは虚構である”という主張から論争は始まった。この時、否定論の先陣を担ったのは、山本七平と鈴木明である。
1982年から1995年まで
三番目に大きく取り上げられるようになったのは、1982年の教科書問題の時である。それは、家永三郎が起こした教科書検定をめぐる訴訟であり、この訴訟では南京大虐殺の記述を削除したことについて争われた。それを受ける格好で、洞・本多両氏を始めジャーナリストや歴史研究者が集まって南京事件調査研究会を発足。研究会は日中双方の資料や証言を突き合わせて虐殺事件の全容の解明に乗り出した。
一方、この時、否定論の中心となったのは元雑誌記者である田中正明である。しかし、この時は、否定説が破綻することで決着がついた。というのは板倉由明が陣中日誌の原本と比較した結果、田中が松井石根大将の陣中日誌を編纂する際に600箇所以上の変更ないし改竄を行い、自ら加筆した部分をもって南京事件がなかったことの根拠とする注釈を付記していたことを発見したからである。板倉は大虐殺にはどちらかといえば否定的な立場であったが「改竄は明らかに意図的なものであり弁解の余地はない」として田中を強く非難した。田中はのちに自著の後書きでこの件に触れ、加筆の大部分は誤字や仮名遣いの変更であったと弁明し、意図的な改竄を否定している。
1995年以降
近年は社会主義・左派政党の衰退、自由主義史観の台頭、インターネットの普及等にともない論議が活発化し、今まで進歩的マスコミによって壟断されていた否定説に国民が触れる場面が増えてきた。それにともない、南京大虐殺に矛盾を感じる人も増加した。1989年の天安門事件以降は中国共産党江沢民政権による国内引き締め・反日愛国教育により、大々的に南京大虐殺が喧伝されるようになった。中国の主張する犠牲者数が年を追うごとに増加する異常な事態に陥っており、南京大虐殺の信憑性を疑問視する傾向にさらに拍車をかけている。
主な見解
この論争での主な論点は、日本軍が犯した虐殺の存否とその規模にある。その規模に対する見解は次のように大別される。
1971年まで
「南京大虐殺」は、東京裁判において日本と世界に大きな衝撃を与えたが、それ以降、日中戦争を取り上げた研究などでは触れられるものの、世間で注目をあびる問題ではなかった。専門的な研究は洞富雄『近代戦史の謎』(人物往来社 1967年)、五島広作(毎日新聞記者)と下野一霍の共著『南京作戦の真相』(東京情報社 1966年)がある程度であった。この『南京作戦の真相』は、南京事件の存在自体を疑う否定論としては最も早く単行本として出版されたものであったが、当時この本が注目されることはなかった。
1971年から1982年まで
再び注目を集めるきっかけとなったのは、日中国交樹立直前の1971年(昭和46年)8月末より朝日新聞紙上に掲載された本多勝一記者の「中国の旅」という連載記事である。南京を含む中国各地での日本軍の残虐行為が精細に描写された記事であったが、この記事で当時「百人斬り競争」が大々的に報道されていたことが取り上げられた時、“百人斬りは虚構である”という主張から論争は始まった。この時、否定論の先陣を担ったのは、山本七平と鈴木明である。
1982年から1995年まで
三番目に大きく取り上げられるようになったのは、1982年の教科書問題の時である。それは、家永三郎が起こした教科書検定をめぐる訴訟であり、この訴訟では南京大虐殺の記述を削除したことについて争われた。それを受ける格好で、洞・本多両氏を始めジャーナリストや歴史研究者が集まって南京事件調査研究会を発足。研究会は日中双方の資料や証言を突き合わせて虐殺事件の全容の解明に乗り出した。
一方、この時、否定論の中心となったのは元雑誌記者である田中正明である。しかし、この時は、否定説が破綻することで決着がついた。というのは板倉由明が陣中日誌の原本と比較した結果、田中が松井石根大将の陣中日誌を編纂する際に600箇所以上の変更ないし改竄を行い、自ら加筆した部分をもって南京事件がなかったことの根拠とする注釈を付記していたことを発見したからである。板倉は大虐殺にはどちらかといえば否定的な立場であったが「改竄は明らかに意図的なものであり弁解の余地はない」として田中を強く非難した。田中はのちに自著の後書きでこの件に触れ、加筆の大部分は誤字や仮名遣いの変更であったと弁明し、意図的な改竄を否定している。
1995年以降
近年は社会主義・左派政党の衰退、自由主義史観の台頭、インターネットの普及等にともない論議が活発化し、今まで進歩的マスコミによって壟断されていた否定説に国民が触れる場面が増えてきた。それにともない、南京大虐殺に矛盾を感じる人も増加した。1989年の天安門事件以降は中国共産党江沢民政権による国内引き締め・反日愛国教育により、大々的に南京大虐殺が喧伝されるようになった。中国の主張する犠牲者数が年を追うごとに増加する異常な事態に陥っており、南京大虐殺の信憑性を疑問視する傾向にさらに拍車をかけている。
主な見解
この論争での主な論点は、日本軍が犯した虐殺の存否とその規模にある。その規模に対する見解は次のように大別される。
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