南京事件に至るまで〜18(南京市街概略)
投稿者: kinngyoya301 投稿日時: 2004/08/26 06:22 投稿番号: [5940 / 29399]
南京事件に至るまで〜18(南京の説明)
ナンキン(南京)(エンカルタより)
現在のナンキン(南京) 中華人民共和国チアンスー省(江蘇省)南西部にある同省の省都。中国6大古都のひとつで、華東地区の経済、交通、文化の中心地。周辺は鍾山(紫金山)などの丘陵にかこまれ、北と南は長江に面する。古来、戦略上の要地として重視されてきた。夏は暑く、チョンチン(重慶)、ウーハン(武漢)とともに「中国3大カマド」と称されるが、おもな通りにはプラタナスの並木が2重、3重に生いしげり、道に日陰をつくっている。面積は6516km²(市区は976km²)。人口は522万人(市区は266万人、1995年)。
II 経済
石油化学、機械、エレクトロニクス、家電、自動車などの工業がとくに発達する総合工業都市として知られる。石油の加工能力は年間1000万tに達し、中国一を占める。揚子石油化学公司など大型コンビナートが長江の両岸にたちならぶ。南京自動車工場は、チャンチュン(長春)、シーイエン(十堰)につぐ重要な自動車生産基地となっている。特産品としては、1500年の歴史をもつ中国3大名錦のひとつで、模様に雲の多い緞子雲錦、アヒルの塩漬け南京板鴨などが有名である。
長江南部の交通、通信の要所としても重要な位置を占める。シャンハイ(上海)〜南京鉄道など3本の幹線鉄道が市内でまじわり、中国最大の内水港である南京港には2万5000トン級の船舶が停泊できる。北部の油田から南部の省や市に送油するパイプラインが市内をとおり、年間送油能力は1400万tに達する。また5万2000の商業施設、200をこえる貿易センターをもつ商都としてもさかえている。
III 観光と文化
国の歴史文化都市に指定された南京には、呉の孫権が212年にきずいた古い城壁シートウチョン(石頭城)、かつての南京城の正門だった中華門、南宋歓楽街の町並みを再現した夫子廟街、明の初代皇帝洪武帝(朱元璋)の陵墓である明孝陵、中国近代革命の父といわれる孫文がねむる中山陵、中国が独自に建設した南京長江大橋(長さ6772m)など数多くの観光名所がある。
南京大学をはじめ、48の大学、500をこえる研究機関がある中国有数の研究学園都市として知られる。中国最大の紫金山天文台は国際的にも有名である。
IV 歴史と対外開放
戦国時代、この一帯は金陵とよばれる小村にすぎなかった。「三国志」で知られる呉の孫権が都をおき、建業と名づけてから南京の歴史がはじまる。東晋以降は健康と名をあらため、宋、斉、梁、陳、南唐など多くの王朝の都がおかれた。1368年、元をほろぼした明は、この地に国都をたて、南京と命名した。明の朱元璋は20年の歳月をかけて周囲37km、高さ最高21mの巨大な城壁をきずいた。現在、日中が協力して「南京城壁保存修復事業」がおこなわれている。1421年に明が北京に遷都したのちも、南京は国都に準じる都市として重視された。
中国近代史の中で、南京はその中心舞台として名高い。太平天国のときには11年間(1853〜64)にわたって都がおかれ、天京とよばれた。1911年にはじまる辛亥革命では、孫文らが中心となって清朝をたおし、中華民国の臨時政府を南京に樹立した(1912)。27年には国民政府の所在地となり、特別市としてあつかわれる。日中戦争で南京にせめいった日本軍は大虐殺をおこない、市内は血の海と化した(1937)。49年、南京は人民解放軍によって解放された。→ 南京大虐殺
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ナンキン(南京)(エンカルタより)
現在のナンキン(南京) 中華人民共和国チアンスー省(江蘇省)南西部にある同省の省都。中国6大古都のひとつで、華東地区の経済、交通、文化の中心地。周辺は鍾山(紫金山)などの丘陵にかこまれ、北と南は長江に面する。古来、戦略上の要地として重視されてきた。夏は暑く、チョンチン(重慶)、ウーハン(武漢)とともに「中国3大カマド」と称されるが、おもな通りにはプラタナスの並木が2重、3重に生いしげり、道に日陰をつくっている。面積は6516km²(市区は976km²)。人口は522万人(市区は266万人、1995年)。
II 経済
石油化学、機械、エレクトロニクス、家電、自動車などの工業がとくに発達する総合工業都市として知られる。石油の加工能力は年間1000万tに達し、中国一を占める。揚子石油化学公司など大型コンビナートが長江の両岸にたちならぶ。南京自動車工場は、チャンチュン(長春)、シーイエン(十堰)につぐ重要な自動車生産基地となっている。特産品としては、1500年の歴史をもつ中国3大名錦のひとつで、模様に雲の多い緞子雲錦、アヒルの塩漬け南京板鴨などが有名である。
長江南部の交通、通信の要所としても重要な位置を占める。シャンハイ(上海)〜南京鉄道など3本の幹線鉄道が市内でまじわり、中国最大の内水港である南京港には2万5000トン級の船舶が停泊できる。北部の油田から南部の省や市に送油するパイプラインが市内をとおり、年間送油能力は1400万tに達する。また5万2000の商業施設、200をこえる貿易センターをもつ商都としてもさかえている。
III 観光と文化
国の歴史文化都市に指定された南京には、呉の孫権が212年にきずいた古い城壁シートウチョン(石頭城)、かつての南京城の正門だった中華門、南宋歓楽街の町並みを再現した夫子廟街、明の初代皇帝洪武帝(朱元璋)の陵墓である明孝陵、中国近代革命の父といわれる孫文がねむる中山陵、中国が独自に建設した南京長江大橋(長さ6772m)など数多くの観光名所がある。
南京大学をはじめ、48の大学、500をこえる研究機関がある中国有数の研究学園都市として知られる。中国最大の紫金山天文台は国際的にも有名である。
IV 歴史と対外開放
戦国時代、この一帯は金陵とよばれる小村にすぎなかった。「三国志」で知られる呉の孫権が都をおき、建業と名づけてから南京の歴史がはじまる。東晋以降は健康と名をあらため、宋、斉、梁、陳、南唐など多くの王朝の都がおかれた。1368年、元をほろぼした明は、この地に国都をたて、南京と命名した。明の朱元璋は20年の歳月をかけて周囲37km、高さ最高21mの巨大な城壁をきずいた。現在、日中が協力して「南京城壁保存修復事業」がおこなわれている。1421年に明が北京に遷都したのちも、南京は国都に準じる都市として重視された。
中国近代史の中で、南京はその中心舞台として名高い。太平天国のときには11年間(1853〜64)にわたって都がおかれ、天京とよばれた。1911年にはじまる辛亥革命では、孫文らが中心となって清朝をたおし、中華民国の臨時政府を南京に樹立した(1912)。27年には国民政府の所在地となり、特別市としてあつかわれる。日中戦争で南京にせめいった日本軍は大虐殺をおこない、市内は血の海と化した(1937)。49年、南京は人民解放軍によって解放された。→ 南京大虐殺
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