南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行は事実

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現在発売中の週刊新潮で百人斬り裁判が

投稿者: toitatoi 投稿日時: 2004/07/17 00:13 投稿番号: [5474 / 29399]
特集されています。7月12日の佐藤カメラマンの供述も載せています。

南京大虐殺「100人斬り訴訟」が暴いた   大新聞の『歴史的ウソ』

  南京大虐殺の象徴として、今でもことあるごとに引き合いに出されるのが、日本兵による「100人斬り」である。大新聞が盛んに喧伝した、その「歴史的ウソ」が法廷で暴かれようとしている。創作された記事がもとで、戦犯として銃殺刑に処せられた日本兵の遺族が、昨年名誉回復を求めて提訴。裁判は山場を迎えた。

  7月12日、東京地裁第103号法廷で開かれた民事訴訟に、車椅子に座った老人が原告側証人として出廷した。佐藤振壽氏。大正2年生まれであるから、今年91歳になる。
  佐藤氏は、日中戦争が中国全土に拡大していく最中、昭和12年9月から12月まで、東京日日新聞(現在の毎日新聞)のカメラマンとして上海、南京戦線に従軍した。南京陥落が12月13日。いまや当時を知る数少ない貴重な証言者といえるだろう。佐藤氏は巷間伝わる「100人斬り競争」などなかったことを証言するために、この日の法廷に立った。
  南京攻略に向かう戦闘で、中国兵を競って斬ったとされるのが、向井敏明少尉(26)=当時=と野田毅少尉(25)=同=である。
  当時の東京日日新聞が、昭和12年11月30日付の紙面を皮切りに、4回にわたって武勇伝としてそのニュースを伝えたことが発端だった。第1報のほんのさわりを紹介しておく。
「まさに神速、快進撃、その第一線に立つ片桐部隊に『百人斬り競争』を企てた二名の青年将校がある。無錫出発後早くも一人は五十六人斬り、一人は廿五人斬りを果たしたといふ。(略)銃剣道三段の向井少尉が腰の一刀『関の孫六』を撫でれば野田少尉は無銘ながら先祖伝来の宝刀を語る」
  まさに当時の新聞が、戦意高揚のための紙面作りを競っていたことの典型だろう。この記事が災いした。戦後、昭和46年に本多勝一氏が朝日新聞に掲載した『中国の旅』と題するルポの中で、日本兵による残虐行為として断罪したことから世に広まったのである。
  現在でも、中国各地にある抗日記念館には、「南京大虐殺」の象徴として当時の新聞紙面と、向井、野田両少尉の写真が大きく展示されている。
  向井、野田両少尉は、昭和22年12月、中国の法廷で戦犯として裁かれ、翌月に銃殺刑に処せられた。その判決の最大の根拠が、当時の東京日日新聞の記事だったのだ。だが、その記事自体が虚構であったとしたら、2人の少尉は新聞報道によって殺されたことになる。
  これまでにも、研究者によって「100人斬り」などなかったことがたびたび論証されてきた。しかし今回の裁判は昨年4月、向井、野田両少尉の遺族が、記事の訂正など名誉回復を求めて、毎日新聞と朝日新聞、本多勝一氏などを相手取って提訴したものである。遺族は長い間、筆舌に尽くしがたい苦労を味わってきた。「訴訟という形になればいいなと思っていましたが、公務員という仕事をしていましたし、お金もかかるので無理だと思ってました」
  と、原告の一人である向井少尉の次女の千恵子さん(63)は話す。彼女は、成田市役所に勤務し、課長、図書館長を歴任して平成13年に退職した。
  「父のことで、”戦犯の子供”と言われ続けて生きてきました。ことに本多勝一さんの連載が始まり、父たちのことを”殺人鬼”として登場させて以来、職場や家庭でも影響を受けました。夫からも”お前は人殺しの娘だ”と言われるようになり、毎晩のように口論になりました。れがもとで離婚することになったのです。図書館の戦争コーナーには、左翼系の本ばかり置いてあります。このままにしてはおけない、という思いから、本格的に父のことで活動を始めるようになった。そもそも毎日新聞が訂正しなかったために、孫引きでいろいろなことを書く人が出てきてしまったのです」
  野田少尉の妹で、鹿児島県下に住む野田マサさん(75)もこう話す。
  「向井さんに誘われて、私も訴訟に参加することにしました。一昨年、ちょうど向井さんが訪ねてこられる直前に、鹿児島で新聞やテレビ、教職員組合の後援で南京大虐殺の展示会が開かれたんです。娘が行きまして、主催者に会いたいとお願いしたら”平和教育のためにやっているんだ”と言われたそうです。兄の写真も飾られていたみたいです。毎日と朝日には間違いを認めて欲しい。南京の兄の写真も撤去してもらいたいと思います」
  支援組織もできたことで、遺族はようやく訴訟にこぎつけた。戦後、半世紀以上を経た今日でも、遺族にとっては重くのしかかる問題だったのである。
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