Re^4:百人斬り競争を裏付ける 1/2
投稿者: watanabe1937 投稿日時: 2004/05/26 00:40 投稿番号: [5261 / 29399]
>>訴訟の濫用だと私は思います。
toitatoiさん:>自分の直接的なことで裁判を起こすのは日常茶飯事です。そういう子供のレベルについて裁判を起こす、という行為自体を否定するのですか?
はい、問題の書籍が刊行されてから、また「百人斬り」論争で本多氏が結論を出してから30年も経って訴訟するというのは正当な理由とは思えません。
民事での時効や除斥の期間が最長で20年となっているのは、法律関係を一定期間継続した事実に合わせようとし、また事実関係の証明が困難になっているからです。
一般読者向けの、長門路政行『時効』(自由国民社)には、時効について次のように解説されています。
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・時の経過によってすべてのことは正式に行われたものと推定される。
たとえその当時は非難されるような現実でも、それが長い間存在し続けているうちに、やがて容易に動かしがたい力を持つことはよくあることです。このような現実の上に、社会関係が幾重にも複雑にからみ合ってくると、それを否認することがかえって社会の信頼を破り、その秩序を乱すことにもなりかねません。時効の認められる由縁は、正にここにあります。[p.23]
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本多氏の「百人斬り」論争は、1972年に山本七平氏が挑みかけたものです。1972年から様々な議論に、本多氏はうんざりしながら答えてきました。その過程で得られた結果を『中国の旅』などに注釈に記しました。また1999年に『南京大虐殺否定論13のウソ』にまとめて記述したわけですが、1970年の初め頃には出ていた結論です。それが、名誉毀損であると仮定しても、あまりにも長く放置されていました。
次に、1937年の出来事は、既に歴史的事実であると考えられます。また、「百人斬り」判決は歴史的事件であり、その他のBC級裁判に対しても、その事実関係を明らかにする議論はなされなければなりません。その議論を、当事者やその子どもの希望に合わせてすることになれば、近代史の記述できません。
>『落日燃ゆ』が創作なのに対し、本田氏は事実としていますので、余計問題視されやすいです。
歴史小説は、断定的書かれます。『落日燃ゆ』で問題となった個所をあげます。これは、一審判決文によると、著者が一人の関係者から聞いた話しを元にしたということです。
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佐分利は私行上問題があった。佐分利は妻帯中に部下の妻と関係があった。相手はそのため離婚され、困った挙げ句、佐分利に責任をとれとぶつかっていった。広田はそのことについて『風上にも置けない』といった。
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これは、明らかに事実として記述しているわけです。
一方、本多氏は『南京への道』で、『世紀の遺書』『偕行』記事に掲載された資料をもとに「百人斬りの行為それ自体は認めていたのである」と結論しています。これらの資料を見れば、誰でもそう結論せざるを得ないでしょう。
また、『中国の旅』では、16刷からの追記として、志々目証言、また資料に基づき、捕虜を裁判もなしに据えもの斬りにすることは当時の将校にはありふれており、それをしなかった将校のほうが希であったと指摘し、派手な新聞記事になったのが両将校にとって不運と記述しました。間接的ではありますが、それが「事実」としている部分です。しかし、根拠を示しているのですが、なぜ問題視されるんでしょうか?『落日〜』に比べれば、はるかに控えめです。証拠によって、こういう事実があると判断することにどういう問題があるんでしょうか。
仮に、本多氏が小説というかたちで「百人斬り競争」を描いたら、どうせ創作なんだから問題視されないということなんでしょうか。そんなことはないと思いますよ。
>『落日燃ゆ』裁判判例の「年月を経るに従い、歴史的事実探求の自由への配慮が優位に立つと考えるべきである。」というのは、そのようなことでしょう?
『落日燃ゆ』の時代は、昭和50年において50年前のことです。戦国時代のことではありません。
>少なくとも子供のレベルが裁判を起こすということは、まだ許容の余地がある、という風に私は考えますよ。
遅すぎます。また、本多氏は、向井・野田両氏の名誉を傷つけるような発言はしていません。捕虜の殺害は、諸史料から、当時はありふれていたことで、彼らがそれを「戦闘行為」と考えていたと思われるのですが、そういう結論がどうして名誉毀損になるのでしょうか。
>また、家族は、何度も裁判を起こすような「濫用」をしたのでしょうか。初めてでしょう?
訴訟の「濫用」とは、平たくいえば訴訟を「みだりに使う」ことです。また、最初から棄却されることが分かっているような裁判を、見当違いの本多氏に向けている原告代理人について私は述べています。
toitatoiさん:>自分の直接的なことで裁判を起こすのは日常茶飯事です。そういう子供のレベルについて裁判を起こす、という行為自体を否定するのですか?
はい、問題の書籍が刊行されてから、また「百人斬り」論争で本多氏が結論を出してから30年も経って訴訟するというのは正当な理由とは思えません。
民事での時効や除斥の期間が最長で20年となっているのは、法律関係を一定期間継続した事実に合わせようとし、また事実関係の証明が困難になっているからです。
一般読者向けの、長門路政行『時効』(自由国民社)には、時効について次のように解説されています。
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・時の経過によってすべてのことは正式に行われたものと推定される。
たとえその当時は非難されるような現実でも、それが長い間存在し続けているうちに、やがて容易に動かしがたい力を持つことはよくあることです。このような現実の上に、社会関係が幾重にも複雑にからみ合ってくると、それを否認することがかえって社会の信頼を破り、その秩序を乱すことにもなりかねません。時効の認められる由縁は、正にここにあります。[p.23]
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本多氏の「百人斬り」論争は、1972年に山本七平氏が挑みかけたものです。1972年から様々な議論に、本多氏はうんざりしながら答えてきました。その過程で得られた結果を『中国の旅』などに注釈に記しました。また1999年に『南京大虐殺否定論13のウソ』にまとめて記述したわけですが、1970年の初め頃には出ていた結論です。それが、名誉毀損であると仮定しても、あまりにも長く放置されていました。
次に、1937年の出来事は、既に歴史的事実であると考えられます。また、「百人斬り」判決は歴史的事件であり、その他のBC級裁判に対しても、その事実関係を明らかにする議論はなされなければなりません。その議論を、当事者やその子どもの希望に合わせてすることになれば、近代史の記述できません。
>『落日燃ゆ』が創作なのに対し、本田氏は事実としていますので、余計問題視されやすいです。
歴史小説は、断定的書かれます。『落日燃ゆ』で問題となった個所をあげます。これは、一審判決文によると、著者が一人の関係者から聞いた話しを元にしたということです。
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佐分利は私行上問題があった。佐分利は妻帯中に部下の妻と関係があった。相手はそのため離婚され、困った挙げ句、佐分利に責任をとれとぶつかっていった。広田はそのことについて『風上にも置けない』といった。
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これは、明らかに事実として記述しているわけです。
一方、本多氏は『南京への道』で、『世紀の遺書』『偕行』記事に掲載された資料をもとに「百人斬りの行為それ自体は認めていたのである」と結論しています。これらの資料を見れば、誰でもそう結論せざるを得ないでしょう。
また、『中国の旅』では、16刷からの追記として、志々目証言、また資料に基づき、捕虜を裁判もなしに据えもの斬りにすることは当時の将校にはありふれており、それをしなかった将校のほうが希であったと指摘し、派手な新聞記事になったのが両将校にとって不運と記述しました。間接的ではありますが、それが「事実」としている部分です。しかし、根拠を示しているのですが、なぜ問題視されるんでしょうか?『落日〜』に比べれば、はるかに控えめです。証拠によって、こういう事実があると判断することにどういう問題があるんでしょうか。
仮に、本多氏が小説というかたちで「百人斬り競争」を描いたら、どうせ創作なんだから問題視されないということなんでしょうか。そんなことはないと思いますよ。
>『落日燃ゆ』裁判判例の「年月を経るに従い、歴史的事実探求の自由への配慮が優位に立つと考えるべきである。」というのは、そのようなことでしょう?
『落日燃ゆ』の時代は、昭和50年において50年前のことです。戦国時代のことではありません。
>少なくとも子供のレベルが裁判を起こすということは、まだ許容の余地がある、という風に私は考えますよ。
遅すぎます。また、本多氏は、向井・野田両氏の名誉を傷つけるような発言はしていません。捕虜の殺害は、諸史料から、当時はありふれていたことで、彼らがそれを「戦闘行為」と考えていたと思われるのですが、そういう結論がどうして名誉毀損になるのでしょうか。
>また、家族は、何度も裁判を起こすような「濫用」をしたのでしょうか。初めてでしょう?
訴訟の「濫用」とは、平たくいえば訴訟を「みだりに使う」ことです。また、最初から棄却されることが分かっているような裁判を、見当違いの本多氏に向けている原告代理人について私は述べています。
これは メッセージ 5209 (toitatoi さん)への返信です.