ラーベと言えば
投稿者: s_ackey 投稿日時: 2004/05/20 12:32 投稿番号: [5212 / 29399]
こういう公文書が一等史料というのではないでしょうか?
安全委員会委員長として、日本大使館に当てた文書の価値は、どのように取られますか?
1937年12月18日に、ラーベが日本大使館に宛てた手紙の中で、[We 22 Westerners cannot feed 200,000 Chinese civilians and protect them night and day.]と書かれています。
また、1938年1月14日の文書では、[〜 probably 250,000 to 300,000 civilians in the city.]となっています。
12月18日に20万人いた、安全区の人口が、1月14日に25〜30万人と増えています。このような状況で、30万人虐殺があったとしたら、当時の南京には、殺されるとわかっていなかがらも、35万人の人たちが流入してきたと言うことになります。35〜40万人の人が流入してきたことになります。
また、ラーベは南京安全区委員会委員長でありますが、安全区委員会が日本大使館に対して、毎日のように日本軍の犯罪の被害届けを出していることがわかっています。12月12日から翌2月7日までで、殺人49人です。これも、ラーベ自身は殺人の現場を直接目撃していません。
仮に49人が事実だと認められたとしても、30万人の虐殺とは数字がかけ離れすぎています。このギャップを埋めるべく、虐殺が行われていたという資料を出していただけますでしょうか。
これは メッセージ 5210 (YellowFlute さん)への返信です.
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