南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘

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中国軍同志の比較、夫々の立場から

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/01/23 15:20 投稿番号: [38421 / 41162]
紅軍より見たる政府軍の弱点

(一)的の本質は軍閥、官僚、資本家、地主、豪紳及び工族の代表にして貧困なる労働者、農民は悉く我方の見方なり故に紅軍は広汎なる労働者、農民大衆と直接又は間接に一致して敵と対戦するも的は只地主、豪紳、資本家の軍隊、民団(農民自衛軍)商団(義勇隊)のみを運用して我に対す

政府より見たる紅軍の弱点

(一)行軍は残暴不正、国民の公敵なり故に仮に井戸課されて之に加入するも終いに失敗死亡に帰するを覚え戦々恐々たり

(二)皇軍の兵士は常に殺人、逃亡、恐怖の中にあり又生活状態頗る困難なる為心情常に不安なり

(三)紅軍に参加する者は多くは脅迫による故に慰撫宜しきを得れば容易に反省す

(四)行軍は都市を領有せず為に郵便、電報の便を得難く他の手段に依り連絡を取るも迅速確実ならず

(五)掠奪も久しからず富者略奪後は平民をも掠奪し遂には農民の憤激すら買うに至る

re ミドリ十字の悪行

投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2012/01/23 15:16 投稿番号: [38420 / 41162]
ミドリ十字という会社は、日本で悪行三昧を続けてきた。1967年には、1089人の自衛隊員に同社が開発した赤痢予防薬の人体実験を行い、577人を食中毒状態に陥れた。

また、同社の人工血液製剤について当時の厚生省に承認されるにあたり、提出したデータを捏造していたことが明らかになった上、人工血液製剤の開発途中に瀕死の女性にその人工血液製剤を投与するという人体実験を行っていたことも明るみに出た。

さらに、同社の非加熱血液製剤によって、血友病患者を中心に日本にエイズ患者が拡大することになった。
そして、昨今問題になっているC型肝炎問題もある。

ミドリ十字は、731部隊に所属した陸軍軍医大佐・内藤良一が1950年に設立した会社だ。発足当時は日本ブラッドバンクという名称であった。

内藤は731部隊による満州の実験場で数々の人体実験に関与した疑いが持たれたが、戦後GHQに実験データを次々と差し出すなどして免責となり、何も罰せられることなく日本に医薬品会社を立ち上げた。

その内藤に取り憑かれていたのか、ミドリ十字は731部隊よろしく人体実験を繰り返した。

731部隊に所属した軍医で、戦後になって医薬品会社を立ち上げた人間は多い。そして、それらの会社は他に比べて問題を起こす会社が多かったのも確かだ。

1947年、国立予防衛生研究所の北見正見は府中刑務所の受刑者に対して発疹チフスの人体実験を行った。

1952年、名古屋市立の乳児院にいる孤児らに対し、激しい下痢を伴う大腸菌を飲ませるという人体実験が行われた。これにより、乳児ひとりが死亡している。これは、731部隊に所属した元軍医が多く絡んだ事件であった。

1956年、新潟精神病院を中心とする全国の精神病院入院患者に対し、新潟大学医学部の桂重鴻らが指示してツツガムシ病原体を注射して発病させ、アメリカ製の新薬の効果を確かめる人体実験が行われた。

そして、8人が死亡した。この事件は、731部隊に所属した北見正見や浅沼靖と米軍が仕向けた実験であった。

731部隊所属だった渡辺栄が1946年に設立した阪大微研は、1993年に3種混合ワクチンのおたふく風邪ワクチンの成分を無許可で変更し、多数の子供に無菌性髄膜炎を発症させ、うちふたりの幼児が死亡した。


戦中、731部隊を指揮した陸軍軍医中将・石井四郎は敗戦後、戦犯逃れのために日本に逃げ帰り、行方をくらました。しかし、731部隊に所属していたエリート軍医たちは、後にミドリ十字を立ち上げることになる内藤良一がGHQにデータを差し出したことで免責となり、帰国した。ある者はワクチン製造会社や医薬品開発会社を設立した。

ある者は大学病院の教授となり、ある者は厚生省や国立予防衛生研究所に入った。

そして、石井四郎の申し子たちは、阿吽の呼吸で731部隊ネットワークを構成し、人体実験を繰り返し、あくどい商売を重ねてきた。

そのツケは、戦後まもなく人体実験で死んだり、病気になったりした人たちにだけ回ってきたのではない。21世紀になっても、エイズの恐怖に怯える人がいる。C型肝炎に苦しむ人がいる。

ミドリ十字はなくなったが、その亡霊が消えないように、731部隊の亡霊も戦後60年以上経ってもまだ消えないのである。

2000億の税金を投入して終わればいいが、エイズ患者やC型肝炎患者の苦しみはずっと続く。新たな薬害問題が発生しないとも限らない。人の命を屁とも思わないヤツらがいる限り、そのような悲劇は繰り返されるのであろう。

Re: 君の無知、re ミドリ十字

投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2012/01/23 15:03 投稿番号: [38419 / 41162]
1980年以降、日本人の死因の一位がガンになった。
その理由について、公害や有害化学物質の蔓延が指摘されているが、本当の理由は、実は厚生省の法的強要によるレントゲン集団検診だった。

私たちは学童の時代から、法律によって無理矢理レントゲン検診を受けさせられた。

私たちの時代、小学校低学年でも肺レントゲン撮影一枚につき1レム(100ミリシーベルト)という大被曝を受けていた。

ガンの潜伏期間は20〜40年である。

子供のとき、乳腺に浴びせられたレントゲンが40年たって女性たちに乳ガンとして発症する可能性がある。

このことは、実は当時から理解され、警告されていた。

しかし厚生省の役人たちは、そうした指摘を隠蔽してレントゲン検診を正当化し続けた。

なぜなら、レントゲン検診を行う会社は役人たちの一番大切な天下り先だったからだ。

その会社の名は最初「日本ブラッドバンク」(後にミドリ十字社)である。

これは関東軍731部隊の北野司令官が設立した会社だった。
731部隊の構成員はほとんどが武田薬品からの出向だった。

戦後、北野某はミドリ十字を設立し、国民の多くが知るところとなる「薬害エイズ」を引き起こした。

その後、ミドリ十字は解体されたがその多くの構成員は武田薬品に先祖返りした。

戦後、長きにわたり日本の医療界は、731部隊出身者によって牛耳られていた。

各県医師会長や国立大医学部教授は731部隊出身者でなければなれない」とまで言われていた。

そして担当する厚生省の役人、医務官たちも731部隊出身者で占められ、医療界の利権は、ほとんど731部隊帰還者によって独占され続けたので
ある。

Re: コント731部隊

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/01/23 15:02 投稿番号: [38418 / 41162]
蒋介石は一九三〇年初頭二個師を廣西に帰還せしめたる外更に数個師を増援約十萬を以て積極的に進行せしめたるも時期已に遅く却って数個師を失い第一次討伐は遂に何等得る所なく中止するの已むなきに至れリ

第二次討伐

第一次討伐の全面的敗北を受けて旧南京側は一九三〇年五月第二次討伐を計画せり
一.大規模に毒ガス、飛行機竝に凡ゆる新鋭兵器を利用す

二.雑軍を利用し第一次討伐を補充す

三.包囲線を形成して蘇連区を封鎖す

四.蘇連区内に反共勢力を養成す

五.徴発、離閲、誘惑、買収等に依り紅軍の分裂を図る

白痴のmaximirion Re 投降 横

投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2012/01/23 14:53 投稿番号: [38417 / 41162]
>がこのトピで投降している内容なんてのは....云々

おめ〜、横から口出しして悪いけどよ〜、(投稿)するぶんにゃ〜
命にかかわらないだろ〜が、そんなに何回も(投降)してると
南京で中国の便衣兵が日本軍にぶっ殺されたように、
処刑されちまうぞ。忠告まで。

Re: 白痴のmaximirion

投稿者: maximirion 投稿日時: 2012/01/23 14:36 投稿番号: [38416 / 41162]
shoujouji の過去ロムなんて、中身のない屑投降ばっかりだろ。
指摘されたり質問されても碌に答えられない shoujouji の姿が、そこにはあるだけだしな。

shoujouji が論点を維持して議論したなんて事実は、過去を幾ら遡ってもでて来ないし、己で書いたことの根拠も示せたためしがないのが、shoujouji だ。

勉強しなおすべきは、shoujouji の方であるのは間違いない。

大体、日本語でかかれた文章を碌に読解もできず、終戦までの日本語で書かれている資料も碌に目を通せない輩が、他人に「南京事件についての入門書からしっかり勉強し」などと偉そうに言うんじゃないの。

引っ張り出してくるのが、既に右からも左からも却下されたような戦後の著作物の類や矛盾が指摘されて反証が出来ないような証言しかない上に、判決文の用紙すらまともに理解できない shoujouji。

「南京事件関係のトピの過去ログに目を通して、何が論点なのかを整理したうえで」などと偉そうにいうのなら、先ず shoujouji が他トピの掲示板の過去ロムをよく読んで理解し、『南京第虐殺』や『従軍慰安婦強制連行』と言われるものの何が問題点だとされていて、争点が何処にあるのか学習すべきだな。

そういう努力を shoujouji ができれば、一次資料や裏付けの取れる証言がどういうものなのかを知ることも出来るだろうし、 shoujouji が納得するかどうかや shoujouji の思いや希望的観測などに関係なく、事実は事実として現実は現実として存在する事ぐらいは分かるようになれるだろう。

トップ > 使い方 > Yahoo!ニュース(旧) > 国内 > 政治 > 靖国神社参拝問題 の4〜5年前ぐらいからの過去ロムを辿って南京事件や慰安婦問題に関する記事を追っていけば、そこには資料評価を含めて多角的な論点での議論が掲載されている。

そこで、肯定派否定派が共通の土台として使っている信憑性のあるであろうとされる資料もわかるだろう。

shoujouji などの肯定派がこのトピで投降している内容なんてのは、黴の生えたステレオタイプでしかないんだよ。

Re: 白痴のmaximirion

投稿者: haru2101n 投稿日時: 2012/01/23 14:18 投稿番号: [38415 / 41162]
>ぽっと掲示板に入ってきた君が、特定の相手を名指しして
「質問」しても、相手は君につき合う義務もないし、一から教えて
やる義務もないんだよ

ぷっ、義務も何も掲示板は誰でも自由に討論に参加できる筈だぜ?そもそも俺が出した質問は難しいものじゃない!要するに君の本音は、都合が悪くなるから逃げたいだけだろ?(失笑)

>南京事件についての入門書からしっかり勉強し、

そうそう、そうやって持論に自信の無い奴は、逃げ口実を作るのに、虚勢張って上から目線なんだよね?(大笑)それに君が姑息に持ち出した東中野氏の裁判例は個別の事例であって、南京大虐殺そのものを肯定する裁判でもないだろうよ?もう少し説得力ある事例でレスを書かないと笑われるだけだよ? (失笑)

君の無知、無能に関して

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/01/23 14:17 投稿番号: [38414 / 41162]
巴里ニ於ケル連合国外科及細菌学事門家会議 大臣 次官 政務 通商 人事 会計 文書 参政官 商参政官 二三一二(@) 巴里発大正六年三月十三日後八五〇、本省着大正六年三月十四日後四五〇、 本野外務大臣 松井大使 第四四号 本月十五日当地ニ於ケ連合国外科及細菌学事所門家会議ヲ開催スルニ付帝国政府ヨリモ代表者派遣セランタキ旨当国外務省ヨリ申越アリ時日接迫ニ付不取般後藤陸軍三等軍医正久福島海軍軍医少監ヲ出席セシムルコトニ般計フヘシ

君の無知、無能に関して

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/01/23 14:13 投稿番号: [38412 / 41162]
陸軍省受領 密受第二九○号 常務 医事課 秘電報 二、二三後六、一二発 二四前八、五○着 第五三号 独逸国防省ヨリ申越セル派遣軍医団ノ視察希望左ノ如シ 一、約十日間東京ニ於テ平時衛生勤務組織ノ全般 二、爾後戦線ニ到リ我カ軍衛生事項全般特ニ戦争ニ因ル本経験ヲ研究ス其ノ細目左ノ如シ イ、戦時衛生機関及其ノ勤務全般、陸軍空傷者ノ輸送衛生材料補給 ロ、戦傷外料特ニ傷者ノ手術的処置 ハ、毒瓦斯治療 ニ、細菌検索、防疫、消毒、給水、発疹「チブス」熱地皮膚病 ホ、兵ノ戦時装備、謁病、凍傷、火傷治療 ヘ、装甲者隊衛生及軍隊栄養問題 尚三月十七日横浜到着、滞在約四ヶ月ノ予定

Re: コント731部隊

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/01/23 14:08 投稿番号: [38411 / 41162]
まともな知識が無い様だね、残念でした、嘘吐く君。

歩兵第百五十七連隊第二大隊本部陣中日誌

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/01/23 14:07 投稿番号: [38410 / 41162]
十二月六日   晴   於揚家橋

一.午前九時より大隊長は三上少尉を従え西沙江橋鎮方面警備状況視察せり

二.東京市下千葉県有志代表野口■慰問便として訪す

三.来たる十二月八日より二泊三日の予定を以て浦東地区示威行軍実施に関する命令を受く依って明早朝旅団司令部に出場人馬を報告すること

四.明七日午前九時朝香の宮殿下虹口碼頭御出発南翔に向わせらるるに付き第六中隊は漂子港−南翔間の御警備に任ずべし其の要領は過日侍従武官通過の際と同じ

十二月七日   晴   於揚家橋

一.浦東地区示威行軍実施に関する命令受領の為三上少尉を何家角師団司令部に差し遣わす

二.明八日浦東地区示威行軍出場人員馬匹数を第二旅団司令部ぬ報告す

   人員   大隊長以下五二八名   馬   一三頭

三.第六中隊は午前八時三十分警戒配置を終わり午前十一時警衛の任務を無事終了す

四.偽善十時より連隊長福井大佐内務状況実施視のため各隊より巡視さる

    注意
   1.清潔整頓共に今一段と工夫の要あり
   2.兵器被服の手入れ尚充分ならざるものあり
   3.軍歌の手入れ充分ならず
   4.命令の実施迅速確実報告ものの時機を失せざることに注意すべし

五.午後四時三十分百一師作命甲第一三一号に基づき左の命令を下達す

    第二大隊命令
   1.大隊は明十二月八日より一泊の予定を以て浦東示威行軍及び掃蕩計画に基づき警備区域内の示威行軍を実施せんとす
     経路上海日本郵船埠頭付近に於いて黄浦口を渡河し龍王鎮−北蔡鎮−張江棚鎮−陸行鎮−洋■鎮−埠頭−上海−揚家橋
   2.各隊は明八日午前二時三十分揚家橋本道上に第六第五第七第八中隊MG中隊の順序に集合すべし
   3.服装は背嚢(襦袢袴下を除き日用品若干とす)に外套を附し器具を除き水筒雑嚢鉄棒携行防毒面を除く
   4.携行口糧中甲(米三食)乙(乾麺麭一食分)竝に八日朝昼食を携行すべし
   5.予は明八日午前二時三十分集合地にあり
      第二大隊長   富沢中佐
   下達法   命令受領者を集め口達筆記せしむ

六.午後七時二十分師団より電話命令に依り浦東の示威行軍は取り止められたり依って左の通伝達す

   1.十二月八日の示威行軍は只今師団より中止すべき命令ありたるを以て之ヲ中止す
   2.近く杭州攻略の為前進するべきにより強行軍実施に関し可然諸準備を十分なし置くべし

七.警備区域内全部の状況調査終了したるを以て滬北地区警備隊長に別冊の通報告を提出す

八.小川伍長をして連隊本部より「スピンドル」油二缶手入れ木綿刀を受領せしめ各中隊に至急せしむ

九.各中隊より夏襦袢袴下を引き上げ返納処置を池田伍長をして行わしむ

Re: 白痴のmaximirion

投稿者: shoujouji 投稿日時: 2012/01/23 13:59 投稿番号: [38409 / 41162]
ぽっと掲示板に入ってきた君が、特定の相手を名指しして
「質問」しても、相手は君につき合う義務もないし、一から教えて
やる義務もないんだよ。まずは南京事件についての入門書から
しっかり勉強し、またここを含む南京事件関係のトピの過去ログに
目を通して、何が論点なのかを整理したうえで、それらについて
まず自分の意見はこうです、その根拠はこうですと掲示板で表明
することだ。それに対して誰かがレスを返してくれたらありがたく
議論させてもらえばよいし、誰もが君を無視してレスをくれなか
ったら、それまでのことだ。

コント731部隊

投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2012/01/23 13:57 投稿番号: [38408 / 41162]
第一次大戦でドイツ軍が史上初の毒ガス兵器使用。
1925年ジュネーブ会議で毒ガス及び細菌兵器禁止を協議。
世界中でより効果的攻撃法が模索されてたから。

会議から3年後、石井は陸軍から欧米に派遣され、
3年間、各国の研究所を飛び回り知識を得た。

石井はドイツ式給水機を研究し改良を重ね、
オシッコも濾せる「石井式濾過機」の開発に成功。
早速、御披露目を遣り、御臨席の昭和天皇に、
オシッコを濾過して御勧めした。

昭和天皇は申し出を丁重に御遠慮され、
それではと、石井はそれを嬉しそうに飲んで見せた。

歩兵第百五十七連隊第二大隊本部陣中日誌

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/01/23 13:23 投稿番号: [38407 / 41162]
十二月三日   晴   於揚家橋

一.慰霊祭打合せのため三上少尉を上海西本願寺へ派遣す

二.午前十時三十分命令受領者を集め左の日命を下達す
   1.当分の間第六中隊第二機関銃中隊より露営日直将校(巡察将校を兼ぬ)
     及び露営衛兵を差し出し服務せしむべし

   2.本日午後十時命令受領者を出すべし

三.大隊本部大小行李の兵器検査を実施す

十二月四日   晴   於揚家橋

一.本日午後一時より大隊長は三上少尉を従え大場陳方面警備状況を巡察す

二.曩のもの還送患者として夫々当初の日付を以て内地陸軍病院に到着せる旨通牒ありたり
     左記
   十月二十五日    小笠原中尉
    々        小川准尉

三.軍医をして「チフス」予防接種を実施せしむ

四.午後十時命令受領者を集め左の日命を下達す
   1.明五日午前九時三十分中隊長ハ大隊本部に集結すべし

   2.明五日九時迄に各中隊より靴工兵二名を大隊本部に出し池田伍長の指揮を受けしむべし

十二月五日   晴   於揚家橋

一.午前九時三十分より大隊本部に於いて中隊長会議を実施す
   1.大隊慰霊祭実施に関する件

   2.警備竝に内務に関する件

二.大隊日々命令午後八時   於揚家橋
   1.各中隊は夫々警備のため衛兵を設くべし

   2.日朝日夕点呼は小隊毎に点検し小隊長は中隊長に報告すべし
     各中隊は日直下士官若しくは衛兵司令をして大隊副官に異状の有無を報告せしむべし

   3.本五日より日夕点呼は午後八時とす

   4.本五日より左の如く巡察将校を命ず

     十二月五日    乾少尉
      〃   六     中山〃
      〃   七     宇島〃
      〃   八     関谷准尉
      〃   九     熱田少尉
      〃一〇     石川〃
      〃一一     飯田〃
      〃一二     安藤准尉

三.軍医をして「チフス」予防接種を実施せしむ

   江橋陳小隊のため軍医を主張せしむ

飲料水手にいれる方法

投稿者: unhoo 投稿日時: 2012/01/23 12:41 投稿番号: [38406 / 41162]
>防疫給水隊はどこから水を調達するの?

>中国や東南アジアの川やため池の水は飲んでも大丈夫なのかなあ。

↑人が住んでいる場所にはは、飲用水が有るか、または飲料水を製造
する方法を住民が知っている。軍隊がそこへ行けば、住民が飲料水を
獲得する方法をすぐ探知する。

Re: 白痴のmaximirion

投稿者: unhoo 投稿日時: 2012/01/23 12:16 投稿番号: [38405 / 41162]
>(日本の裁判所も、東中野の原資料の解釈はおよそ
妥当なものとは言いがたく、学問研究の成果と呼ぶに値しない
と断定しているがねw)。

↑日本の裁判所は東中野氏の本のうち、夏という婆さんに関する
部分以外には全く触れていない。しかるに貴殿は、裁判所の判決は
東中野氏の本全部についの判決であると、毎度嘘をついている。

裁判所は夏婆さんが事件の被害者であったという判決もしていない。
夏婆さんが被害者でないと判断する方法がないと言っているだけで
ある。

Re: 白痴のmaximirion

投稿者: haru2101n 投稿日時: 2012/01/23 12:10 投稿番号: [38404 / 41162]
君は南京大虐殺があったと信じているんだろ?だったら以下の疑問に率直に答えてくれる?

1、想定される死者数は?
2、なぜそれらを裏付ける写真が無いのか?
3、中国国民党宣伝部による写真偽造についてどう思う?

Re: 白痴のmaximirion

投稿者: shoujouji 投稿日時: 2012/01/23 10:20 投稿番号: [38403 / 41162]
当事者によるリアルタイムの証言は歴史資料であること、
歴史事実は複数の歴史資料を照らし合わせて一定の推定を
行うのであって、個々の資料はそれひとつで完全なものでは
ないし、かと言って「嘘」であると断定できるようなもの
でもない、というのが話の筋なんだがね。わかったかい?

あと、東中野の本は歴史資料を彼なりに解釈して彼自身の主張
を行っているものであって、それ自体が歴史資料なんぞではない。
だから彼の本を嘘だと言うのは歴史資料を嘘だというのとは
全く異なる(日本の裁判所も、東中野の原資料の解釈はおよそ
妥当なものとは言いがたく、学問研究の成果と呼ぶに値しない
と断定しているがねw)。
わかったかい?

歩兵第百五十七連隊第二大隊本部陣中日誌

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/01/23 09:26 投稿番号: [38402 / 41162]
十二月一日   晴   於   揚家橋

  一.連隊命令に基づき補助憲兵要員を選定す
    各中隊は補助憲兵要員として左記人員を選定し本日
    午前十一時迄に其の階級氏名を報告すべし
       左記
    第七中隊      上等兵1   一等兵1
    第五六八中隊         一等兵1
    追って右要員は二日正午迄に師団司令部に出頭するものとし
    個人の装備の武器被服の全部を携行せしむるものとす

  二.各中隊警備区内に於いて発見したる兵器竝に弾薬(多数の場合は定地に集積逐次運搬のこと)
    は員数を記し大隊本部に差し出さしむること

  三.命   後備兵役歩兵中尉   中島■■■
    免   予備役歩兵少尉    三上■■■
    頭書の通り第二次大隊副官代理命免す
      予備役歩兵少尉    三上■■■
    第二大隊本部付きを命ず

十二月二日   晴   於揚家橋

  一.第三次補欠補充到着したるを以て之が受領の為三上少尉を連隊本部に差し遣わす

  二.第三次補充員将校以下九一名を受領各隊に左記の如く分配せしむ
    第五中隊   将校二   予歩少広瀬■■■下士官一   兵二二
              〃   中村■■■
    第六中隊   将校一    〃   乾   ■■■   〃   二   〃二
    第七中隊                〃   二   〃一四
    第八中隊   将校一   予歩少吉野■■■       〃三二
         准尉一   予歩准吉本■■■
    MG中隊               下士官一   〃九

  三.補充員を得たる大隊の編成表別紙の如し

  四.警備打合せ命令受領の為在張三橋旅団司令部に中島副官を差し遣わす

  五.午後十時命令受領者を集め左の日々命令を下達す
    1.福井部隊日々命令第八号に依る運送遺骨宰領者は第六中隊より差し出すべし
    2.連隊に於いて忠勇美談編成の予定なるに付各中隊は之が資料を取り纏め来たる十二月二十日迄に大隊本部に提出すべし
    3.来る十二月七日連隊長宿営地巡察せらるるに付宿舎内外整理整頓兵器の手入れ等諸準備を遺憾なく実施し置くべし
    4.明三日午前九時三十分命令受領者を出すべし

Re: 白痴のmaximirion

投稿者: haru2101n 投稿日時: 2012/01/23 08:10 投稿番号: [38401 / 41162]
>>平時における死者数は身元確認でほぼ特定できるが、戦時の混乱した状態でどうやって正確な死者数を確認するのさ!(笑)

>それが何か?

↑ぷっ、それだけかよ?(失笑)

要するに君の話は例え話になってないという事だよ!

第百十四連隊の戦闘詳報

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/01/23 07:57 投稿番号: [38400 / 41162]
一一四師作命甲第五十八号
   第百十四師団命令   十二月十日下前五時二十五分

一.前面の敵は退却せるものの如く

二.師団は南京に向かい敵を追撃線とす

三.秋山旅団は先ず&#34100;田に向かい本道方向より敵を追撃すべし

四.爾余の諸隊は概ね左の順序に本道上より敵を追撃すべし
   稲垣大隊の一中隊、師団司令部一班、稲垣大隊主力、工兵連隊、奥旅団の主力

五.騎兵、師団司令部二班、野砲兵、野戦重砲兵、師団通信隊、衛生隊、野戦病院、給水班は概ね列記の順序に払暁後師団主力に追及すべし
   直接掩護の為奥旅団より歩兵一中隊を配属す

       師団長   末松中将
   下達法   命令受領者を集め口達筆記せしむ

第百十四連隊の戦闘詳報

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/01/23 02:58 投稿番号: [38399 / 41162]
百十四師作命甲第五十七号
   第百十四師団命令   十二月八日午後八時
            於湾里

一.菓■村△48.2高知以北は各要線を点々占領せる縦深ある陣地なるものの如し
   第六師団との作戦地境は西湾村−安徳門東方十字路−南京南門線とす

二.師団は当面の敵を突破し速やかに南京に肉迫せんとす

三.歩兵第百二十七旅団(歩兵第六十六連隊及び歩兵第百二連隊の二中隊欠)は司徒村付近に展開し明払暁より当面の敵を攻撃すべし

四.軽装甲車隊は秋山旅団に攻撃に協力すべし

五.野砲第百二十連隊は湾里付近に陣地を占領し明払暁よりする秋山旅団の攻撃に協力すべし

六.歩兵第六十六連隊及び同第百十五連隊大三中隊は速やかに湾里付近に集結し余の直轄たるべし

七.工兵第百十四連隊は第一線の前身に伴い逐次湾里−陳墟橋−&#34100;田橋−南京道を野砲通過の目的を以て改修すべし

八.余は湾里に在り

    師団長   末松中将
  下達法
    命令受領者を集め口達筆記せしむ

第百十四連隊の戦闘詳報

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/01/23 02:30 投稿番号: [38398 / 41162]
一一四作命甲第五十六号
   第百十四師団命令十二月八日午前十一時半
           於高家庄

一.敵状別紙要図の如し
   左追撃隊は将軍山南側高地を占領し続いて将軍山の敵を攻撃中にして其の一部は遠く本道方向にありて北方に進出しあり
   軽装甲車は北方面の追撃に協力中なり
   第六師団の先頭部隊は午前十時頃高家庄を通過し水口方向に前進せり

二.師団は依然南京に向かう追撃を続行せんとす

三.秋山旅団は現暗山の敵を其の右側背より攻撃し本道上&#34100;田村方向に進出すべし

四.余は高家庄に在り後&#34100;田村に向かい前進す

    師団長   末松中将

   下達法
     筆記せしものを電令を以て交付す
   備考   地名は十万分の一地図による

第百十四連隊の戦闘詳報

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/01/23 02:00 投稿番号: [38397 / 41162]
一一四師作命甲第五十五号
   第百十四師団命令十二月八日午前九時半
           於高家庄

一.当面の敵続々退却中にして将軍山には敵収容陣地あり

二.師団は依然南京に向かう追撃を続行せんとす

三.右追撃隊は依然香■樹付近に向かい敵を追撃すべし

四.左追撃部隊は一部を以て夜暗に乗じて花神■に突進せしめ主力は蒋軍山の敵を東方より攻撃したる後花神■に対する追撃を続行すべし
   第二大隊を其の指揮に復帰せしめ工兵一小隊を配属す

五.秋山旅団長は歩兵第百二連隊(一大隊欠)を指揮し本払暁より将軍山の敵を其の右翼を包囲する如く攻撃し爾後花神■に向かい追撃すべし

六.疲弊大隊は高家庄−水口−安徳門道方向より敵の退路を遮断すべし

七.奥旅団は速やかに南京南側雨花台東方地区に前進し師団主力の戦闘に参加すべし

八.軽装甲車隊は藤田少佐の指揮に依り一部を以て将軍山の攻撃に主力ヲ以て師団の追撃に協力すべし

九.工兵第一中隊(二小隊欠)は自今余の直轄す

十.歩兵第百二連隊第三大隊(第九代十中隊欠)第百五十連隊第二大隊(代議中隊欠)第百十五連隊大三中隊は予備隊となり高家庄に位置すべし

十一.余は高家庄に在り
   後花神■に向かい前進す

     師団長   末松中将

   下達法
     七日夕以来格別に命令し総合したるものを命令受領者を集め口達筆記せしむ

第百十四連隊の戦闘詳報

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/01/23 01:40 投稿番号: [38396 / 41162]
百十四師作命甲第五十二号

  第百十四師団命令十二月五日午後七時
          於楊塘村

一.状況別紙情報記録第三十,第三十一号の如し

二.師団は神速に南京占領する目的を以て明六日先ず秣陵關に向かい前進せんとす

三.奥支隊は漂水−秣陵關−南京道方向よりする師団主力の攻撃を容易ならしむる目的を以て速やかに南京に近く地歩を確得し当面の敵情地形を捜索すべし

四.余は楊塘村に在り
   本夜半出発漂水を経て秣陵關に向かい前進す

      師団長   末松中将

  下達法
   命令受領者に口達筆記せしむ

百十四師作命甲第五十三号
   第百十四師団命令   十二月六日午前九時半
            於漂水

一.師団主力は先ず秣陵關の北方高地の線に進出し続いて本道に沿う地区より南京を攻略す

二.奥支隊は湖熱鎮を経て前進し師団所力の攻撃を容易ならしむべし
   町陵關に派遣せし歩兵及び工兵第一中隊の主力は自今余直轄とす

        師団長   末松中将
   下達法
     参謀より伝達せしむ

Re: 白痴のmaximirion

投稿者: shoujouji 投稿日時: 2012/01/23 01:20 投稿番号: [38395 / 41162]
>平時における死者数は身元確認でほぼ特定できるが、戦時の混乱した状態で
どうやって正確な死者数を確認するのさ!(笑)

それが何か?

Re: 白痴のmaximirion

投稿者: haru2101n 投稿日時: 2012/01/22 22:58 投稿番号: [38394 / 41162]
>たとえば阪神大震災で6000人の死体を見なかったという証言に
ついて、実際には6000人亡くなったからその証言が嘘だと思う
ことなどないわけだ。単にひとりの人間がすべてを見ることは
不可能だというだけのことだ。

横から失礼!
平時における自然災害の死者数と、戦時における死者数を同列に扱う事自体間違いじゃないの?(失笑)

平時における死者数は身元確認でほぼ特定できるが、戦時の混乱した状態でどうやって正確な死者数を確認するのさ!(笑)まさか裏付けのない証言だけで鵜呑みにする訳じゃないよね?〜そんな常識さえ知らず、両者を比較するとは失笑ものだよ。

Re: 白痴のmaximirion

投稿者: nidanidao 投稿日時: 2012/01/22 20:58 投稿番号: [38393 / 41162]
>まさかとは思うが、おまえ東中野の本を歴史資料だと思ってないよね?(藁


ん?

これへのレスはまだか?

Re: 中国へ行って来い wadatumi_voice21

投稿者: nidanidao 投稿日時: 2012/01/22 20:56 投稿番号: [38392 / 41162]
>自分で中国を車両で移動してみて来い。

おまえ、やったことあるの?

Re: 疑惑の資料

投稿者: nidanidao 投稿日時: 2012/01/22 20:55 投稿番号: [38391 / 41162]
>掲示板に投降して、我儘言うもんじゃありません。

おまえの投稿もずいぶんわがままに見えるぞ   ははは。

Re: 客観的とは

投稿者: nidanidao 投稿日時: 2012/01/22 20:53 投稿番号: [38390 / 41162]
訂正

議論のしようがもない。

議論のしようもない。


やれやれ 世話をやかせるやつ   ┐(´-`)┌

Re: 客観的とは

投稿者: nidanidao 投稿日時: 2012/01/22 20:48 投稿番号: [38389 / 41162]
>解らないのに、無理してレスしなくてもいいんだよ。(笑)


わけもわからんのに俺にレスしたのはお前じゃないの?

わかるわからん以前の問題、相対性のある言語に絶対的価値などないということ。

「客観」という言葉でさえも、20世紀になってからでさえ論理学はつねに新しい解釈を出しているんだね。

だから俺はwadatumi氏もsuteffy氏のどちらもまちがっていると絶対的に断言はできないというわけ。

ま、お互い共通認識のないところでは議論のしようがもない。


やれやれ ┐(´-`)┌

中国へ行って来い wadatumi_voice21

投稿者: maximirion 投稿日時: 2012/01/22 20:25 投稿番号: [38388 / 41162]
<wadatumi_voice21>
太平洋の孤島や南方の密林とは違い、人口稠密で物資豊富な
中国戦線では、餓死者など   生じなかった   と思われやすい。


こらこら、&#22099;を吐くな wadatumi_voice21。
中国戦線で、人口が稠密な地帯など極僅かだ。
殆どは太平洋の孤島より広く南方の密林ほど広い荒野や険しい山岳地帯の間を抜ける人口過疎地帯だったんだよ。

市街戦になって始めて人口稠密で物資も豊富であった地域が戦場になるわけだが、戦場となる時点では住民も跳散して物資は軍閥軍に没収されていたわけだがね。

自分で中国を車両で移動してみて来い。
人口14億に届こうかという現在でも都市と都市の間は、人口稠密地帯とはとても言い難いぞ。

Re: 疑惑の資料

投稿者: maximirion 投稿日時: 2012/01/22 20:09 投稿番号: [38387 / 41162]
<nidanidao>
maximirion君さあ、

nyankotyandamon氏に質問してるんだから、彼が答えてから横レスしてくれよ。


掲示板に投降して、我儘言うもんじゃありません。

Re: 客観的とは

投稿者: maximirion 投稿日時: 2012/01/22 20:07 投稿番号: [38386 / 41162]
<nidanidao>
>”確証された”とは、「確かな証明がされた」ことを言い、”確証”とは「確かな証」のことを言う。

ということが正しいとも言えないのだよ。


解らないのに、無理してレスしなくてもいいんだよ。(笑)

大量餓死を招いた軍の体質と南京虐殺(5)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2012/01/22 19:20 投稿番号: [38385 / 41162]
中国大陸に武力侵攻した日本軍が、南京などで   捕虜にした
多数の中国軍兵士を   組織的に殺害した   事件の背景には、
補給線確保の軽視という   日本軍の   特質があった。
自軍の食料さえ確保困難な状況のうえに、予想以上に大量の
捕虜が発生し、給養に窮したことが   殺害の引き金となった。
日本軍の補給軽視の戦略的欠点は、捕虜の殺害だけではなく
占領地で   略奪行為などが多発する原因ともなった。

長尾五一軍医中佐の遺著などが、その事実を   裏付けている。
中国戦線で   最後の作戦となった第二十軍のシ江作戦の場合、
45年4月〜6月の   3カ月間の死者数は   戦死が695人、
戦傷死322人、戦病死2184人、計3201人にのぼり、
「第二十軍の統帥発動以来終戦までの各種比率」については
「戦死、戦傷、戦病死   おおむね   4対5対9」   である。
(第二十軍軍医部の戦死・戦病死者別一覧表の注)

中国戦線でも、戦死・戦傷よりも   「戦病死」   が圧倒的だ。
負傷した後に、包帯所や   野戦病院で   死亡する者も多かった。
これは、患者の給養がきわめて悪かったことを   裏付けている。
大部分が   長期間の給養不足、栄養失調状態にあって
病気に対する抵抗力を失っていたため、戦病死に至ったものだ。
栄養学でいえば、広い意味で   餓死の分類に入る。

中国戦線での   45万の戦没者の過半数が   戦病死、
しかも   それは   広い意昧での餓死だったというのが事実だ。
日本軍が、補給らしい補給もなしに   現地調達する方針は、
明治以来   一貫していた。   日清戦争でも朝鮮出兵軍からの
補給困難の訴えに対し、参謀本部は次のように訓令している。

「古昔、兵家の格言に因糧於敵(糧を敵に因る)の一句あり。
爾来   内外の用兵にこれを奉じて原則となすゆえんのものは
この理由に外ならず。…糧食すらなお且つ敵地に所弁すべし、
いわんやこれを運搬する人夫においてをや…」
(明治27年6月29日、参謀総長熾仁親王から混成旅団長
大島義昌あての訓令)

必要なものは   すべて   敵国から   奪いとる――
「因糧於敵」、これが侵略軍としての行為の   根本にあった。
日本軍兵士の   戦地栄養失調症を含む広い意味での餓死者は、
合計で127万6240名に達し、全体の戦没者212万の
約60%   という割合になる。   靖国神社が「英霊」として
誉め讃える戦死者のうちの半数以上が、華々しい戦いの中で
散ったのではなく、飢餓と衰弱死に   追いやられたのだ。

大量餓死を招いた軍の体質と南京虐殺(4)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2012/01/22 19:17 投稿番号: [38384 / 41162]
大量餓死によって、大量の「英霊」   が増産された。
その原因の第3は、日本軍隊の   特質にあった   と言える。
ひとつは、日露戦争後の   日本軍の   軍事思想の中心に、
精神主義への過信があった   という点にある。

日本軍は、天皇への忠誠と死を恐れぬ勇気を兵士に要求した。
それは   忠義を第一とする   武士道精神だった。
命を惜しまず   名を惜しめ、生き恥をさらすより   死を選べ、
という精神論に基づく教育が   皇軍兵士に徹底的に施された。
国民の権益を守るため国民自らが組織することを基本とする
欧米の近代軍とは異なり、前近代的な忠君報恩を基本とする
「皇軍」   が、近代においても   存在してしまった。

武士道精神は、近代戦争においては   役に立たない。
この事実は、陸軍の父・大村益次郎が   実証したはずだった
にもかかわらず、日本軍の規範には「武士道」がすえられた。
武士道を基調とする精神主義は   兵士を組織に絶対服従させ、
個人個人の自発性をも失わせた。

天皇への忠誠を柱とする精神主義の強調は軍人勅諭に表され、
日本軍兵士の行動を   縦横に縛り付けていた。
日露戦争での勝利も、日本軍に   欧米の模倣から脱却して
独自の軍事思想を   確立させる機会となった。   すなわち、
物量よりも精神力を重視し、歩兵の銃剣による白兵突撃戦が
最後の勝敗を決するものだという   白兵主義に   つながった。

日露戦争では、砲兵火力で勝るロシア軍に対して、日本軍は
銃剣突撃をもって   旅順、遼陽、奉天などで   勝利を収めた。
この経験から、日本軍部には   兵力の多寡や装備の優劣よりも
精神力の差が   勝敗を分ける   という軍事思想が   根づいた。
こうした精神主義は、補給の軽視を生み出す   要因となった。

火力軽視・白兵主義は、火力装備の発達した近代軍に対しては、
まったく   通用しなかったのだ。
日露戦争において   旅順要塞に対し   白兵突撃を繰り返して、
屍体の山を築いた   教訓は、少しも   生かされなかった。
速射砲や機関銃の弾幕、十字砲火の中に   白兵で突入する、
そんな作戦を   繰り返し、無駄な犠牲が出ても、第一線の
実情さえ知らない参謀や高級指揮官は、突撃を命じ続けた。

ガダルカナルでの失敗も   生かされず、ソロモン諸島でも、
ニューギニアでも、フィリピンでも、ビルマでも、皇軍は
白兵主義を盲信して   米軍の火力の前に死体の山を築いた。
こうした   無能な作戦を強行した   軍上層部連中と一緒に、
十把一絡げにして、悲惨な餓死を強いられた犠牲者たちを
「護国の英霊」だ   などとして   祀りあげることは、
戦争犠牲者への冒涜であり、厚顔無恥も   はなはだしい。

大量餓死を招いた軍の体質と南京虐殺(3)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2012/01/22 19:16 投稿番号: [38383 / 41162]
日本軍戦没者“英霊”の過半数が、広い意味で   餓死だった。
戦闘で   華々しく戦って   玉のごとく砕け散ったのではなく、
飢餓と   病気に苛まれ、やせ衰えて   次々と   死んだのだ。
こうした   悲惨な結果をもたらした原因はどこにあったのか。

まず   第1に、補給無視の計画が   あげられる。
軍隊が行動し戦闘するためには   兵員と軍需品の輸送手段と、
弾薬、資材、食糧などの軍需品を供給する補給が欠かせない。
ところが、日本軍は、補給を   きわめて   軽視していた。
作戦目的ばかりを重視して補給を無視した無謀な作戦ばかりが
各地で実行され、結果として   多数の将兵を餓死に追いやった。

ガ島敗戦の際、第八方面軍司令官が   第十七軍司令官を慰めて、
敗戦は「饑餓の自滅」であり、「全く軍部中央部の過誤による」
もので、これは   「補給と関連なしに、戦略戦術だけを研究し
教育していた陸軍多年の弊風が累をなし」たものだ   と語った。
まさに、至言である   と思う。

第2に、兵站軽視の作戦指導にあった。
日本陸軍は、伝統的に   対露(ロシア革命後は対ソ連)戦争を
第一の目標として   編成され、訓練を続けてきた   経緯がある。
したがって、その予想戦場は   北満州やシベリアの広野だった。
軍需品や食糧の補給を担うのは   後方部隊の輜重部隊であり、
その部隊は、戦時に特設する馬を   主な輸送力としていた。

陸軍は   農林省と共同して   全国の農家に馬の飼育を奨励し、
戦時には   この馬を徴発する計画を立てていた。
41年7月、日本軍部は   独ソ戦の推移いかんによっては
対ソ戦を始めようとし、陸軍は   大規模な動員を行なった。
これが   いわゆる関東軍特殊演習(関特演)だった。

こうした満州への大動員を行なっておきながら、南方攻略へと
大きく国策が転換されたが、後方軽視という状況が現れた。
南方作戦を具体化にあたり、大本営の兵站に関する基本構想は
「原則として満州の集積軍需品は抽出せず、中国大陸に対する
補給は最大限に削減して余裕を作り、必要な場合は中国方面から
さらに引き抜いて   南方用作戦資材を充足する」だった。
(参考:防衛研究所所蔵『戦史叢書・マレー侵攻作戦』)

つまり、満州に動員して大量蓄積した軍需物資は、対ソ戦に備え
そのままとし、支那派遣軍から一部を引き抜いて間に合わせよう
という   甘い考えしか   持っていなかったのだ。
「極力内地ノ負担及船舶輸送力ノ軽減ヲ図リ、最小ノ軍需資材ヲ
最有効ニ活用シ現地ニ於テ創意自製自活シ得ルモノハ原則トシテ
之ニ據ルヲ旨トセリ」(南方軍参謀作戦資料)   という具合だ。

しかし、この方針には   大きな欠点があった。
兵要地誌の調査不足による   現地自活主義の破綻は、
やがて明らかになり、大本営の見通しの甘さが   露呈する。
気の毒なのは   第一線の   兵隊たちだった。
彼らは、情報収集力のない軍の失敗による   犠牲者だった。

大量餓死を招いた軍の体質と南京虐殺(2)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2012/01/22 19:15 投稿番号: [38382 / 41162]
太平洋の孤島や南方の密林とは違い、人口稠密で物資豊富な
中国戦線では、餓死者など   生じなかった   と思われやすい。
しかし、敗戦前2年間の   中国戦線では   戦死者数よりも
病死者数が上回っており、その死因は   栄養失調、もしくは
栄養失調と不可分の   マラリア、赤痢、脚気など   だった。

補給困難による飢餓と   栄養失調による体力消耗によって、
中国戦線でも病気が重症化し、多数の「英霊」を発生させて
いったのだ。   ある軍医の記録には、   「酷熱多湿なるうえ
敵機の跳梁、道路の破壊等により補給は予定の如く行なわれず
敵味方の大軍により   現地物資は消費し尽され、将兵の疲労
言語に絶するものがあった」   と記されている。
(長尾五一著『戦争と栄養』、西田書店1994年より抜粋)

中国戦線で   「英霊」の増加が   もっとも集中したのは
最後の2年間であり、その多くが   戦死ではなく   病死だった。
その状況は、1945年に入って   さらに   深刻になっていた。
中国戦線で   最後の作戦となった   第二十軍のシ江作戦の場合、
45年4月から6月の3ヶ月間の死者の内訳は   次のとおりだ。

   戦   死      695人(22%)
   戦傷死      322人(10%)
   戦病死    2,184人(68%)
   合   計    3,201人(100%)

圧倒的に多い戦病死者の詳細な内訳は不明だが、その大部分が
長期間の不十分な給養で、栄養失調状態から病気への抵抗力を
失い、病死にいたったことは、軍医の記録から   判明している。
中国大陸では、45万の   戦没者が発生した。
その過半数が   戦病死、それも   給養不足による   栄養失調や、
それが原因での体力消耗による   広い意味での餓死だったのだ。

戦死者よりも餓死者が多い   というのが、日本軍の   特徴だ。
中国大陸でも   太平洋の島々でも、その事態は   変わらない。
このような「近代軍」が   20世紀にも   存在したのだ。
しかし、その悲惨な実態は   「玉砕」や   「散華」という
大本営が創作した   美しく勇ましい言葉で   覆い隠された。

第二次大戦における   日本軍の戦没者の総数、その中での
戦死・戦病死者などの   正確な割合は、残念ながら判らない。
日本軍の敗北に終わったこともあって、正確に数えることは
きわめて困難であり、多くの部隊が「玉砕」、つまり全滅し、
生存者の証言や記録が失われていることも   原因の一つだ。

また、降伏の直後に、戦争犯罪の追及を恐れて、組織的に
関連資料の大量焼却が実行され、陸海軍の各部隊、さらには
市町村役場の   兵事関係書類までが   焼かれてしまったのだ。
このため、戦後も   日が経つにつれて   調査がすすみ
戦没者の数が   どんどん増えていく   という状況だった。
この点からみても、旧軍部の体質を窺い知ることができる。

大量餓死を招いた軍の体質と南京虐殺(1)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2012/01/22 19:15 投稿番号: [38381 / 41162]
兵士の給養は、敵国から奪い取って   確保する――
日本軍には   元来、「因糧於敵」   という方針があった。
中国に武力侵攻した日本軍が、多数の捕虜を殺害した事件の
背景には、食糧補給を軽視する   この軍の   体質があった。
自軍の食料さえも確保困難な状況で、大量の捕虜が   発生し、
殺害に及んだ   という証言記録が、それを   裏付けている。

日本軍の補給軽視の戦略的欠点は、捕虜の殺害だけではなく
占領地において   略奪行為などが   多発する事態をも招いた。
さらに、大戦の全般を通じて   日本軍兵士の   戦死者のうち
直接の戦闘での死亡者数よりも   餓死者の数が上回るという
近代軍にあるまじき惨状を   招くものとなった。

第二次世界大戦における   日本人の戦没者は   約310万人。
そのうち、軍人軍属の   死者数は   230万人とされている。
特徴的なことは、その過半数が、餓死や病死であった事実だ。
「英霊」   の多くが、華々しく   戦いに散った   のではなく、
飢餓地獄の中での   惨めな野たれ死に   だったのだ。

栄養学でいえば、飢餓には   食物を   一切摂取しないで起る
完全飢餓と、栄養不足または失調による   不完全飢餓がある。
日本軍の   戦闘状況の特徴は、補給の途絶によって、膨大な
不完全飢餓を発生させ、その結果、完全な餓死だけではなく、
栄養失調のために   病気に対する抵抗力をなくし、マラリア、
アメーバ赤痢、デング熱等よる多数の病死者を出したことだ。

戦死よりも   餓死や   病死者の方が多い――
それが一局面の特徴的な状況ではなく、戦場の全体にわたり
発生したことに、旧日本軍の   特質を   みることができる。
補給もせずに、占領地の死守を命じ、退却も   降伏も許さず、
自軍を次々と   全滅させた大本営は、それを「玉砕」と称し、
美しく粉飾した挙句、餓死者たちを「英霊」   と誉め讃えた。

近代国家間の戦争で、これほど   悲惨な結果を招いたうえに
反省も改革も怠り、自画自賛ばかりを   最後まで繰り返した
軍隊が、はたしてあるだろうか。
近代戦において、補給途絶は   それだけで   敗北を意味する。
大和魂だけで勝てるはずがない。   惨めな敗戦は当然だろう。

大儀なき侵略戦争に駆り出され、無謀な作戦に投入され、
悲惨な死を   強いられた   若者たちの   無念さを思い、
大量餓死や   無謀な玉砕戦法をもたらした   日本軍の責任と
特質を明らかにして、それを   歴史に残す必要がある。

大量の餓死や「玉砕」と称する全滅は、人為的なものであり、
その責任を、死者に代わって   告発しなければならない。
それによって、二度と再び   あの悲劇を繰り返さないように
未来へ伝える「歴史の教訓」   とすることこそが、
先人たちの犠牲を   無駄にしない   唯一の道だろうと思う。
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