南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘

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Re: 南京虐殺事件肯定派 横

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/12/20 14:20 投稿番号: [37841 / 41162]
十分だったのは、戦闘に十分だったと言うことだよ、嘘吐く君。

昭和12年度100万発の発注しかなかったものを全部使うというのは君位なものだよね、嘘吐く君。

Re: 南京虐殺事件肯定派 横

投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2011/12/20 14:08 投稿番号: [37840 / 41162]
>いいえ、出来るんですよ、日本軍の兵站は十分だったんだよ

また、ウソついてたんだね。

2011/12/20 8:48 [ No.37829 / 37839 ]

投稿者 :
nyankotyanndamon

南京虐殺は、物理的に出来ない、当時の政治状況では出来ない、日本の軍隊上出来ない、だから夢幻の捏造事件である。

物理的に出来ない理由、

1.当時弾薬が三〇萬人を殺せる程なかった。

(もうウソはいい加減にしたら、ニャンコチャン)

Re: 南京虐殺事件肯定派 横

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/12/20 13:58 投稿番号: [37839 / 41162]
いいえ、出来るんですよ、日本軍の兵站は十分だったんだよ、嘘吐く君。

欧米諸国も予備弾薬は日本軍と殆ど同じだよ、嘘吐く君。

現在の米軍の携行弾数は、戦闘時180+銃装填弾30発。

陸上自衛隊の携行弾数は戦闘時80〜180+銃装填弾30発。

今も昔も同じ位だね、嘘吐く君。

Re: 南京虐殺事件肯定派 横

投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2011/12/20 13:12 投稿番号: [37838 / 41162]
>自分で調べれば、としか言いようがない。
何せこちらは数の話ではなく使用目的の話をしている以上、数の話は知ったことではないので。>

知らないなら、横からチャチャを入れるなよ〜、ボケナス。

Re: 南京虐殺事件肯定派 横

投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2011/12/20 13:11 投稿番号: [37837 / 41162]
>一会戦で120発の銃弾。
機関銃弾3500発。>

ぷっ!それぽっちで戦争できるわけ無いでしょうが。
ニャンコチャンはいつも日本軍の軍備の補給は十分にあったと
言ってるけど、ウソだったんだね〜。まあ〜、正常な人間は
ニャンコチャンの話は信じないだろうけど。

Re: 南京虐殺事件肯定派 横

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/12/20 12:55 投稿番号: [37836 / 41162]
一会戦で120発の銃弾。

機関銃弾3500発。

Re: 南京虐殺事件肯定派 横

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/12/20 12:54 投稿番号: [37835 / 41162]
事実に目を向けること、能無しなんだね君も、嘘吐く君。

Re: 南京虐殺事件肯定派 横

投稿者: rugaruga12 投稿日時: 2011/12/20 12:04 投稿番号: [37834 / 41162]
>ふぅ〜ん、ほんでぇ〜、日本軍は何発の弾丸を持っていたの?

自分で調べれば、としか言いようがない。

何せこちらは数の話ではなく使用目的の話をしている以上、数の話は知ったことではないので。

南京虐殺事件実在派の白痴的記述

投稿者: unhoo 投稿日時: 2011/12/20 11:35 投稿番号: [37833 / 41162]
>婦人に暴行を
   加えて虐殺し、女性の性器に棒を差し込んでおくような、
   残虐な事例も何回か目にしました。

↑上記のごとき女性屍体陵辱は、支那の歴史では「正常」なのであるが、日
本の歴史には存在しない。敗戦支那兵が逃亡の途中でやったことなのだ。そ
れに気がつかないwadatumi氏は支那人かな。

Re: 南京虐殺事件肯定派 横

投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2011/12/20 10:28 投稿番号: [37832 / 41162]
>敵軍と戦う目的で使用する弾薬はあっても不必要の殺傷目的で使用する弾薬はない、と言うお話ですが>

ふぅ〜ん、ほんでぇ〜、日本軍は何発の弾丸を持っていたの?

Re: 南京虐殺事件肯定派 横

投稿者: rugaruga12 投稿日時: 2011/12/20 10:18 投稿番号: [37831 / 41162]
>ふぅ〜ん、弾薬が無くて200万人の中国軍と戦争したの?
バカじゃない。

敵軍と戦う目的で使用する弾薬はあっても不必要の殺傷目的で使用する弾薬はない、と言うお話ですが。

何せ200万近く敵兵がいるのですからその他のことで使用する量も暇も目的もないですからね。

Re: 南京虐殺事件肯定派 横

投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2011/12/20 09:56 投稿番号: [37830 / 41162]
>当時弾薬が三〇萬人を殺せる程なかった

ふぅ〜ん、弾薬が無くて200万人の中国軍と戦争したの?
バカじゃない。

南京虐殺事件肯定派の見苦しい捏造

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/12/20 08:48 投稿番号: [37829 / 41162]
南京虐殺は、物理的に出来ない、当時の政治状況では出来ない、日本の軍隊上出来ない、だから夢幻の捏造事件である。

物理的に出来ない理由、

1.当時弾薬が三〇萬人を殺せる程なかった。

2.当時の政治状況は表では紛争、裏側では蒋介石と日本政府は、紛争解決に交渉中であった。

3.日本も、蒋介石も紛争早期終結を目論んでいた。

4.日本軍の現地参謀将校により蒋介石政府と停戦交渉が行われて居た。

5.現地参謀の交渉を現地の司令官は全て承知していた。

6.南京安全委員会の報告書には市民が虐殺されたという報告はなく、俘虜選別に関して日本軍と協力したという報告はある。

7.南京城入城時には戦闘は終了しており、以後銃声は聞かれていない。

8.南京俘虜は翌年全て解放されているが、其の解放時の記録が残っている。

南京虐殺事件否定派の見苦しい曲解(5)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/19 20:32 投稿番号: [37828 / 41162]
前述の   最後の部分で触れた   村瀬守保氏の記録についても
触れておきたい。   村瀬氏は、給部隊として   南京戦の後を
辿りながら、貴重な戦場の   記録写真を多数   撮影した。
その中には、揚子江岸における   大虐殺を証明するうえで
貴重な現場を   撮影した写真も   含まれている。
以下、『村瀬守保写真集   私の従軍中国戦線』から引用する。

  (16) 南京制圧  
   第一線に近づくにつれて、部落を通過するたびに虐殺死体が
   目立ち始めました。   (略)土間にひく   アンペラを探して
   穴蔵のようになっている奥の部屋に踏み込むと、下半身裸の
   婦人が、下腹部を切り裂かれて、死んでいます。
   少し奥には、五〜六歳の子供が、うつぶせに死んでいました。
   プーンと、血生臭いにおいが、立ちこめています。 (略)
   このような虐殺死体は、随所に見られました。 婦人に暴行を
   加えて虐殺し、女性の性器に棒を差し込んでおくような、
   残虐な事例も何回か目にしました。

   南京の攻略が大幅に遅れたので、第一線部隊の兵隊は、
   厳しい命令を受けて、目が血走っていました。
   小休止で一緒に休んだ時の話をきくと、「南京一番乗りは
   師団の至上命令だ。南京へいけば、女はいくらでもいるし、
   酒もある。速くいったものは、やりたいほうだい、何でも
   やれるぞ」   と上官からハッパをかけられているのです。
   (略)
  (17)大虐殺のうわさが…
   ようやく足止めが解除されて、ある日荷物受領に揚子江岸の
   下関埠頭へ行きました。   すると、広い河岸が一杯に死体で
   うまっているのです。   岸辺の泥に埋まって、幅十メートル
   位はあろうか、と思われる   死体の山でした。
   揚子江岸で大虐殺が行われたという   その現場でしょうか、
   軍服を着た者はほとんどなく、大部分が平服の、民間人で、
   婦人や子供も交じっているようでした。
   死体に油をかけて、焼こうとしたため黒焦げになった死体も、
   数多くありました。   死臭で息もつけない中を、工兵部隊が
   死体を沖に運んで   流す作業を   やっていましたが、
   こんなやり方では、一〜二ヵ月はかかりそうでした。
  (写真キャプション)   虐殺されたのち   薪を積んで、
   油をかけられて焼かれた死体。ほとんどが平服の民間人
   でした。
  (写真キャプション)   揚子江岸には、おびただしい
   死体が埋められていました。   虐殺した後、河岸へ
   運んだのでしょうか、それとも河岸へ連行してから
   虐殺したのでしょうか。

おそらく   南京虐殺否定派は、村瀬氏を   ウソつき、または
妄想家の類と、例によって   根拠もなく   決めつけるだろう。
あるいは、村瀬氏が見たのは   兵士の死体であり、民間人と
いうのは間違いだと   主張するものも   出てくるに違いない。
参考として、第十六師団歩兵三十三連隊第二大隊に所属した
兵士の証言を   以下に   付記しておこう。

   うちの中隊で警備に出るとき、揚子江の水際で死体を
   ぎょうさん見ました。   兵隊やのうて住民みたいでした。
   河べり一面に   死体が   寝ころんでるように   ぎっしり
   つまっていました。   かわいそうとは思うたが、戦争や
   から   やむを得ないわな。   上の人の命令やから・・・

南京虐殺事件否定派の見苦しい曲解(4)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/19 20:32 投稿番号: [37827 / 41162]
南京虐殺否定派による   曲解の一例として、亜細亜大学教授の
東中野修道が、著書   『南京「虐殺」の徹底検証』   に記した
第16師団長の日記に対する   不自然な解釈について論じたが、
以前、南京大虐殺の生存者の一人が、この著者と出版社により
名誉を傷つけられたとして賠償を求めた訴訟があり注目された。

この訴訟では、最高裁が   被告の上告を   退ける決定をくだし、
著者の東中野修道と   出版社に賠償金支払いを命じた   一審と
二審の判決が   確定し、原告側の   全面勝訴に終わった。
日本軍による   南京大虐殺の際、アメリカ人の   マギー牧師が
南京の2家族11人が   殺害された様子を   フィルムに撮影し、
この事件の   生存者の1人が   当時8歳の原告だった。

東中野教授は   『南京「虐殺」の徹底検証』   の中で、
フィルムの中の少女は   別人であり、証言は捏造されたものだ
と主張していたが、それは   じつに   お粗末な、初歩的ミスで
著者が   事実を誤認したものだったことが、判明したのだ。
虐殺否定派が   まともな検証作業もせずに、証言を「ウソ」と
決めつけることが前提になっていることの   証明となった。

証言者に「ニセ者」「ウソつき」   のレッテルを   貼ることで、
事件そのものを   否定しようという意図が   根本にあったが、
東京地裁の   判決が、被告による   資料の解釈について
「学問研究の   成果というに値しないと言って過言ではない」
と断じたほど、稚拙で低レベルの「研究成果」   によって
「南京虐殺はなかった」という主張が   垂れ流されているのだ。

このような   曲解や捏造が、彼等の中では   まかり通っている。
ちなみに、東中野教授は   「日本『南京』学会」   と称する
虐殺事件否定派の「研究者」を中心とする組織の代表を務める。
学会と称しているが、もちろん、日本学術会議の協力学術研究
団体には   加入していないし、学者間では評価もされていない。

実際、東中野教授の著書を   通読してみると、虐殺否定派が
どんなデタラメな手法を用いているかが、じつに   よく分かる。
些細な矛盾点を   針小棒大に取り上げて   証言全体を否定しようと
したり、文章を   引用する際、歪曲して   正反対の   意味にしたり、
都合の悪い記述は無視する一方、信憑性の低い資料を重視したり、
まさに   「好き勝手」としか、いいようがないものだ。

南京虐殺の犠牲者数については、「30万人」と「ゼロ」   という
両極端の説が   火花を散らしているが、東中野教授の   著書は、
その中でも   特にインチキだらけの   ひどい   シロモノなのだ。
彼が得意とする「南京事件証拠写真を検証する」   についても、
はじめから   南京事件の証拠ではない写真を持ち出し、検証して
「証拠とならない」   と言ってみせることで、事件の証拠はない
と思わせるトリックを   使っているにすぎない。

たとえば、目黒輜重連隊兵站自動車第17中隊に所属していた
村瀬守保氏が   撮影した写真などは   日時、場所、状況などが
はっきりしている。   しかし、東中野教授は、それらの写真には
触れていない。   信憑性の高い写真を   初めから   除いたうえで
「検証した」   というのは、まさに   トリックだろう。

南京虐殺事件否定派の見苦しい曲解(3)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/19 20:31 投稿番号: [37826 / 41162]
先に、第16師団長   中島中将の日記を   引用した。
否定派は、「片端より片付くる」は、捕虜を釈放する意味だという。
それでは、現実に   第十六師団の   現場指揮官たちが   どのような
命令を受けていたのかを、当事者の証言によって   確認してみよう。

  (歩兵第三十八連隊副官の述懐古)   
   聯隊の第一線が京城一、二キロ近くまで近接して、彼我入り
   乱れて混戦していた頃、師団副官の声で、師団命令として
   「支那兵の降伏を受け入れるな、処置せよ」と電話で伝えらた。
   (中略)
   部隊としては   実に驚き、困却しましたが   命令やむを得ず、
   各大隊に下達しましたが、各大隊からは、その後何ひとつ報告は
   ありませんでした。
   激戦の最中ですからご想像いただけるでしょう。

  (独立攻城重砲兵第二大隊第一中隊、観測班長の証言)
   第一中隊(十五センチ加農砲)の任務は   太平門に突進する
   佐々木支隊に   協力することであったが、南京が   陥落した
   12月13日、仙鶴門鎮付近で首都防衛決死隊の夜襲をうけ、
   かつ   多数の投降捕虜を得たので、その状況を   略述します。
   (中略)
   その行動は   極めて整然としたもので、既に戦意は全くなく、
   取りあえず道路の下の田圃に集結させて、武装解除しました。
   (中略)
   俘虜の数は約一万(戦場のことですから、正確に数えており
   ませんが、約八千以上おったと記憶します)でしたが、早速
   軍司令部に報告したところ、「直ちに銃殺せよ」と言って
   きましたので拒否しましたら、「では中山門まで連れて来い」
   と命令されました。
  
  (歩兵第十六師団司令部副官の遺稿)   
   私は   その時、“一万の捕虜をどのように収容するか”   を
   考えなければ   ならなかった。
   南京城内には刑務所があるだろうから、そこに入れるとしても
   食わせるものが   ない。   我々自身が   イカモノを食いつつ、
   その日を   過ごしているのに   如何とも   なし難い。
   しかし、人間は水さえ飲んでいれば十日や二十日は保つと
   いうから、食飼のことは   何とかなるだろう。
   参謀長に   指示をうけようとしたが、参謀長は   即座に
   「捕虜はつくらん」   と言われたので、後方参謀に話した。
  
いずれの事例でも、捕虜もしくは投降兵について、軍司令部なり
師団なり   参謀なりが、明確に「殺せ」という指示を出している。
この方針については、早くも1938年、石川達三氏が   中島師団長
麾下の   第十六師団に取材して書いた小説、「生きている兵隊」に
登場している。
  
  (石川達三著「生きている兵隊」より)
   こういう追撃戦ではどの部隊でも捕虜の始末に困るのであった。
   自分たちが   これから   必死な戦闘にかかるというのに  
   警備をしながら   捕虜を連れて歩くわけには   いかない。  
   最も簡単に   処置をつける方法は   殺すことである。
   しかし   一旦つれて来ると   殺すのにも気骨が折れてならない。
   「捕虜は捕えたらその場で殺せ」   それは特に命令というわけ
   ではなかったが、大体   そういう方針が   上部から示された。
   笠原伍長は   こういう場合にあって、勇敢に   それを実行した。
   彼は数珠つなぎにした十三人を片ぱしから順々に斬って行った。
 
南京事件を必死で否定し、その実態を隠そうと血眼になる連中は、
捕虜にしないとは   「釈放する」   という意味だ、壕を掘るのは
「収容監視する」   ためだ、などと   大マジメに   主張する。
勝手な憶測を前提に、捕虜の殺害はなかったと   主張してみせるが、
それは、まったく   説得力がない。   ただ   見苦しいだけなのだ。

南京虐殺事件否定派の見苦しい曲解(2)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/19 20:30 投稿番号: [37825 / 41162]
「捕虜はせぬ方針なれば   片端より之を片付くる」ことにしたが
「これを片付けるには   相当大なる壕を」   必要とした   という
記述を、先入観なく   素直に解釈すれば、「殺害方針」と見る方が
妥当である   と思える。
これに対し、東中野教授は苦し紛れに   以下の解釈を打ち出した。

   「処理」というのを、「銃殺」   のような響きで解釈するのも
   ちょっとおかしい。   参謀将校の話によると、あのあたりでは
   土を掘った壕があったので、   「処理」というのは、その壕に
   捕虜を入れて監視保護するというニュアンスだったとのこと
   (『諸君!』2001年2月号   P140)

ニュアンスだった   というが、しかし、実際に   現場の兵士たちが、
「壕に捕虜を入れて監視保護」したなどという記録は   存在しない。
この   東中野教授の強引な解釈は、到底   説得力を   持ちえない。
むしろ、「壕」が   「死体処理」の場であったことを示す   資料が、
多数   存在しているのだ。   その一例を   以下に紹介しよう。
   
  (第二野戦高射砲兵司令部副官の証言)
   「二千の虐殺死体」とかいわれておりますが、門の外側で
   見ましたのは千にも足らなかったと思います。一部の死体は
   人に踏みつけられ、気の毒な状態でしたが、この人たちは、
   紫金山の戦闘に敗れて城内に逃げ込まうとしたか、あるいは、
   城内から脱出しようとしたかは判らないが、太平門まで来て
   やられたのではありますまいか。
   ここには門外に深い大きな壕があり、この壕の中に死体が
   入れられて、土で覆われていました。  
   門の正面で   城壁の曲折部の下方には、一〇〇近い死体が
   土もかけずにありましたが、これは爆弾を投げられたよう
   でした。
  
  (歩兵第九連隊中隊長の証言)
   十三日右側支隊の紛戦救援のため急派され翌十四日歩九に
   復帰する途中   太平門外を南進するとき地隙内に   かなり
   多くの中国兵の死体が集められていたのを見た。

  (歩兵第三十旅団長の手記)
   守将が逃げた後にのこされた支那兵ほど   みじめな存在はない
   のである。彼らに戦意の程がありや無しやは自明の理であるが、
   彼らにはもはや退路がなかったので死にもの狂いに抵抗したの
   である。
   敗残兵といえども尚部落山間に潜伏して狙撃をつづけるものが
   いた。   したがって抵抗するもの、従順の態度を失するものは
   容赦なく即座に殺戮した。   終日各所に銃声がきこえた。
   太平門外の   大きな外壕が   死骸でうずめられてゆく。
 
以上の証言から、「大なる壕」は、そのまま   死体処理の場と考えて
何の不審もない。東中野解釈は、あまりにも不自然で強引に過ぎる。
都合のよい推論ばかりが元になって展開される   南京虐殺否定論は、
ほとんど   読解力不足か   意図的な得歪曲   といって過言ではない。

南京虐殺事件否定派の見苦しい曲解(1)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/19 20:30 投稿番号: [37824 / 41162]
数多くの   日本軍兵士、国際機関の関係者、そして被害者たちの
証言や記録資料によって、残虐行為が   組織的に行われた事実を
伝えている。   そのすべてを信用しなくとも、少なくとも南京で
捕虜の大量殺害や   民間人に対する違法行為が   多発した事実を
うかがい知ることができ、軍の公式文書とも   整合性が取れる。
いずれも、現地における   体験に基づいて「あった」   「見た」
「体験した」   という、客観的で   具体的なものだ。

一方、南京事件を   必死で否定しようとする者の   論拠は、
「なかったはずだ」   「疑わしい」   「あるとは思えない」
といった類の、一部の論者が振り回す主観論に依拠している。
中には、自称体験者による   「なかった」   「見なかった」
という、数少ない証言を持ち出す場合もあるが、圧倒的多数の
記録を   怪しい、疑わしい、ウソ、捏造   と決め付けておいて
都合のよい証言だけを真実だと言い張るのは   厚顔無恥な話だ。

否定派には、記録資料に対する無理な   曲解が多い。   例えば
亜細亜大教授の東中野修道は著書『南京「虐殺」の徹底検証』で
第16師団長   中島今朝吾中将の日記に関して   言及している。
これは、捕虜の大量殺害を   記録している資料として有名だが
著者は、独自の解釈を加えて、虐殺はなかったと主張している。
中島中将の   12月13日付の記述は、以下のようなものだ。
 
   「大体捕虜はせぬ方針なれば   片端より之を片付くることと
   なしたる共千五千一万の群集となれば   之が武装を解除する
   ことすら出来ず   唯彼等が全く戦意を失ひ   ぞろぞろついて
   来るから安全なるものの   之が一端掻擾せば始末に困るので
   部隊をトラツクにて増派して監視と誘導に任じ   十三日夕は
   トラツクの大活動を要したりし   乍併戦勝直後のことなれば
   中々実行は敏速に出来ず斯る処置は当初より予想だにせざり
   し処なれば参謀部は大多忙を極めたり」

普通に考えれば、「捕虜にせぬ方針」で、「片端から片付け」る、
というのは、捕虜にしないで   殺してしまう、という   意味に
とるのが常識的解釈だろう。   ところが、南京否定派にかかると
「捕虜はせぬ方針」とは、「投降兵は   武装解除後に追放して
捕虜にしない方針」である   という意味に   解釈するらしい。

田中正明著   『南京事件の総括』   でも、
「この中島中将の『捕虜ハセヌ方針』というのを一般に誤解して、
南京の捕虜は   かたっぱしから殺害したかのごとく   主張するが、
決してそうではない。」   として、銃を取りあげ   釈放するという
意味だ、などと   主張している。
しかし、東中野などの   否定派は、「中島日記」   を引用する時、
意図的か否かは分からないが、次の部分を   完全に無視している。
   
   「此七八千人、之を片付くるには相当大なる壕を要し中々
   見当らず   一案としては百二百に分割したる後適当の処に
   誘きて   処理する予定」

捕虜を   追放するのに、なぜ   「大なる壕」   などが必要なのか。  
また、100人単位に分け   適当な所に誘導する必要があるのか。
否定派は   まったく説明できずに、この部分に触れようとしない。
卑劣であり、典型的な   ご都合主義   というほかない。

つまり・・・

投稿者: rugaruga12 投稿日時: 2011/12/19 17:03 投稿番号: [37823 / 41162]
>単なるおまえの真似だよ(藁

自分が真似ていると思っているのと”同レベル”と言うことだが。

まぁ、それ以前にあいつが先にやったからやり返してもいいんだ、と言う発想自体は小学生レベルですけどね。

Re: 日本軍兵士が目撃・記録した南京事件(

投稿者: unhoo 投稿日時: 2011/12/19 16:00 投稿番号: [37822 / 41162]
>日清戦役(全戦役)   3387   内地1906   戦地1481
  日露戦争(全戦役)   5234   内地3780   戦地1454
  日支事変(2年間)   5221   内地2047   戦地3147

↑日本軍は公明正大に資料を発表しているからwadatumi_voice21氏が饒舌を
振るう材料になったが、日本以外の国の軍隊が日本軍より規律がよいという
証拠はない。 wadatumi_voice21氏は白痴か自己欺瞞かで、日本の軍隊だけが
規律が悪いかのごとくほざいているのであって、彼の文を読むのは時間の浪
費だ。

Re: 夏淑琴裁判 専門家に聞きましょう

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/12/19 11:54 投稿番号: [37821 / 41162]
文書の読解力を裁判官が判断出来るのなら、国語の教員は要らなくなるよね、脳死君。

Re: 日本軍兵士が目撃・記録した南京事件(

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2011/12/19 11:53 投稿番号: [37820 / 41162]
南京を武力制圧したのは、陸海軍であり、陸軍単独では無い。

白痴のmaximirion

投稿者: shoujouji 投稿日時: 2011/12/18 23:17 投稿番号: [37819 / 41162]
ためしにおまえの真似だ。題名に相手のHNを入れて
罵倒する。おまえがレスを返せば題名が何度も繰りかえ
され、罵倒の効果が長続きする。単なるおまえの真似だよ(藁

さあ、このままレスを返してみな(藁

shoujouji の感想や主観はどうでも良い

投稿者: maximirion 投稿日時: 2011/12/18 15:09 投稿番号: [37818 / 41162]
況してや、文盲の白痴な shoujouji が納得するかどうかなどどうでもよい。
一寸どころか一部の価値もないことだ。(笑)

Re: 夏淑琴裁判 専門家に聞きましょう

投稿者: unhoo 投稿日時: 2011/12/18 03:09 投稿番号: [37817 / 41162]
>被告東中野の原資料の解釈はおよそ妥当な
ものとは言い難く,学問研究の成果というに値しないと言って過言ではない。

↑   裁判所の判決は夏淑琴についての部分のみを指しているが、貴殿は中野氏
の著書全体を指していると嘘をついている。

このトピに目を通している皆さん、shoujouji氏は嘘をついています。

Re: 夏淑琴裁判 専門家に聞きましょう

投稿者: shoujouji 投稿日時: 2011/12/17 21:53 投稿番号: [37816 / 41162]
私は低能のおまえよりは頭がいいと思っているが、
裁判官というのはやはり優秀な人が多いと思う。
医療裁判などもそうだが、全体的知識は専門家に
かなわなくても、自分の受け持った狭い範囲の
事例については徹底的に勉強しているし、それを
理解できなくては勤まらないだろう。東中野あたり
とは天と地の差だな。

Re: 夏淑琴裁判 専門家に聞きましょう

投稿者: rugaruga12 投稿日時: 2011/12/17 21:04 投稿番号: [37815 / 41162]
>当然ながら南京事件の
討論には何ら意味がないというお話だろうね。,

あなたはそれ以上も文章の読解力もないし、ましてや今までの投稿内容もいわんや、ですな。

Re: 夏淑琴裁判 専門家に聞きましょう

投稿者: shoujouji 投稿日時: 2011/12/17 19:16 投稿番号: [37814 / 41162]
>南京事件の討論には何ら意味がないと言うお話ですな。

文章の読解力もない東中野の主張や著作は,学問的成果と
いうに値しないしろものであるから,当然ながら南京事件の
討論には何ら意味がないというお話だろうね。,

Re: 夏淑琴裁判 専門家に聞きましょう

投稿者: rugaruga12 投稿日時: 2011/12/17 18:58 投稿番号: [37813 / 41162]
>文章の読解力を含む知性そのものだがね(藁

仮にそうだとしたらこの裁判により南京事件の有無は規定していない、つまり南京事件の討論には何ら意味がないと言うお話ですな。

Re: 夏淑琴裁判 専門家に聞きましょう

投稿者: rugaruga12 投稿日時: 2011/12/17 18:56 投稿番号: [37812 / 41162]
>ほう,掲示板の馬鹿ウヨは弁護士や裁判所の法学の専門家より
歴史学に詳しいと(藁

それは個々人の能力や知識の差であって間違っても畑違いの資格やあるから詳しいとか言う話ではないですが。

Re: 夏淑琴裁判 専門家に聞きましょう

投稿者: konoyo_anoyo 投稿日時: 2011/12/17 18:47 投稿番号: [37811 / 41162]
どうしょうもねえ反日特亜三国の言葉そのもの。

シナ大陸での虐殺当り前の歴史に付いては何にも言えない、これはどう言う意味なんだろうか〜?

人間として生まれて、人間として扱われない民族がシナ、チョンそのものと言う事を学ぼうともしない、人間のクズ、お前もその内の一人なんだろうぜ〜。

ま、日本人を責めて居なければ立つ瀬が無いと言うゴロツキ民族。

下らん民族だの〜!

Re: 夏淑琴裁判 専門家に聞きましょう

投稿者: shoujouji 投稿日時: 2011/12/17 18:38 投稿番号: [37810 / 41162]
どちらかというと,東中野が裁判官に否定されたのは,歴史知識
というよりは,文章の読解力を含む知性そのものだがね(藁

Re: 夏淑琴裁判 専門家に聞きましょう

投稿者: shoujouji 投稿日時: 2011/12/17 18:33 投稿番号: [37809 / 41162]
>弁護士や裁判所の法学の専門家の肩書が歴史学と言う畑違いに
何か役に立つのかと

ほう,掲示板の馬鹿ウヨは弁護士や裁判所の法学の専門家より
歴史学に詳しいと(藁

Re: 夏淑琴裁判 専門家に聞きましょう

投稿者: rugaruga12 投稿日時: 2011/12/17 14:18 投稿番号: [37808 / 41162]
>こちらの御仁に言ってやったら?

その前にまずお前に言うべくだろうな。
いや、それ以前に弁護士や裁判所の法学の専門家の肩書が歴史学と言う畑違いに何か役に立つのかと教えてくれと言うべきかな。

>>>元資料の判断が妥当かどうか裁判所が判断出来るなら、日本には学者は要らない、大学も要らない、研究者も要らない、脳死君らしいね、脳死君

専門家どうこう以前に単に畑違いだから意味がないといっているにしかとれんが。

>おまえは,○○だというなら××だ,という逆説的表現というのを知らないらしいな。お気の毒に。

裁判所が歴史学の専門家でもあると信じて疑っていない御仁言われてもねぇ。

>学者の判断が妥当かどうか他人が判断できないというなら、掲示版
の馬鹿ウヨに過ぎないおまえが、何で歴史学者の集まりである日本の歴史学会の通説に異を唱えることができるんだね?(藁

学問の内容や説には肩書は関係ありませんので。

対してあると信じ切っているどっかの御仁は論や根拠どころかやれ別の専門家である裁判所がこういった政府がああいった(実際が言っていないが)と捏造してわめくしか能がないと。

Re: 夏淑琴裁判 専門家に聞きましょう

投稿者: shoujouji 投稿日時: 2011/12/17 12:28 投稿番号: [37807 / 41162]
>学問の内容や説には肩書は関係ありませんので。

こちらの御仁に言ってやったら?

>>元資料の判断が妥当かどうか裁判所が判断出来るなら、日本には学者は要らない、
大学も要らない、研究者も要らない、脳死君らしいね、脳死君

おまえは,○○だというなら××だ,という逆説的表現というのを知らないらしいな。
お気の毒に。

>>学者の判断が妥当かどうか他人が判断できないというなら、掲示版
の馬鹿ウヨに過ぎないおまえが、何で歴史学者の集まりである日本の歴史学会
の通説に異を唱えることができるんだね?(藁

Re: 夏淑琴裁判 専門家に聞きましょう

投稿者: rugaruga12 投稿日時: 2011/12/17 11:08 投稿番号: [37806 / 41162]
>通常の学者よりはるかに
判断力があると思うがね。

思うのは勝手だがそれが絶対的かつ完璧ならば教科書の内容はコロコロ変わるのはなぜかまず教えてもらいたいものですな。

>掲示版の馬鹿ウヨに過ぎないおまえが、何で歴史学者の集まりである日本の歴史学会の通説に異を唱えることができるんだね?(藁

ここは言論と思想の自由が保証されている国で別に裁判所や国、学会の通説に意を唱えても文句がないから。

ついでに言うならば学問の内容や説には肩書は関係ありませんので。

現に史記の司馬遷も三国志の陳寿も国家公務員であっても専門の学者ではありませんし、ノーベル賞を取った田中耕一氏はサラリーマンですが。

まぁ、張り子の虎に隠れるしか能がない御仁には理解できんでしょうが。

Re: 夏淑琴裁判 専門家に聞きましょう

投稿者: shoujouji 投稿日時: 2011/12/17 10:05 投稿番号: [37805 / 41162]
>元資料の判断が妥当かどうか裁判所が判断出来るなら、日本には学者は要らない

はて、私は一流大学法学部を出て司法試験に合格した裁判官の方が、東中野より
優秀だと思っているし、そういう優秀な人間が、ある特定の歴史事実に限って
あらゆる歴史資料や歴史学者の説を調べたならば、通常の学者よりはるかに
判断力があると思うがね。

ところで、学者の判断が妥当かどうか他人が判断できないというなら、掲示版
の馬鹿ウヨに過ぎないおまえが、何で歴史学者の集まりである日本の歴史学会
の通説に異を唱えることができるんだね?(藁

日本軍兵士が目撃・記録した南京事件(5)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/17 07:20 投稿番号: [37804 / 41162]
前述したように、参謀総長が   異例の通達を出すほど、
日本軍の軍紀風紀は   頽廃していた。
開戦後2年間のみに限っての軍紀風紀に関する犯罪非違の
調査によると、日中戦争の   戦地における   犯罪非違は、
日清・日露に比べて   はるかに高率となっている。
大本営陸軍部が調査した   開戦2年後の調査によると、
軍隊内の犯罪数は   次のとおりだ。

  日清戦役(全戦役)   3387   内地1906   戦地1481
  日露戦争(全戦役)   5234   内地3780   戦地1454
  日支事変(2年間)   5221   内地2047   戦地3147
(参考:無形戦力軍紀風紀資料第一号「支那事変に於ケル犯罪非違
ヨリ視タル軍紀ノ実相並ニ之ガ振粛対策」   大本営陸軍部研究班
昭和十五年十一月)

上記の数は、憲兵隊が   取り扱ったもの   だけであり、
「実数ハ之ヨリ増加スベシ」   とされている。
そのうえで   戦地での犯罪数については、日清・日露戦争よりも
「今次事変ニ於ケル犯罪数著大ナルヲ知ルベシ」   としている。

また、非違の発生件数については、日清・日露の記録がないので
比較できないが、「今次事変」   では   3万2964名にも達し、
しかも   「刑法処分ニ処スベキモノ本人ノ功績ト犯行ノ情状トヲ
酌量シテ行政処分ニ附シタルモノ相当数アリ」   「シカモ軍紀上
相当悪性ナルモノ多数発生シツツアルニ於テオヤ」   としている。

つまり、軍法会議に付された犯罪、懲罰権者の処罰ですませた
非違の双方とも、日中戦争下で   軍紀風紀犯罪が多発している
という調査結果が   示されている。
こうした   犯罪のなかで、もっとも多かったのが   掠奪だった。
上海から南京への   追撃戦は、補給を無視しての   急進撃で、
給養は   すべて徴発に頼った。
徴発といっても、そこは敵国であり   実態は掠奪にほかならなかった。

兵士の日記には、ほとんど例外なく、毎日   無人の集落から
何を徴発したかが書かれているが、それは無統制に、兵士が
勝手におこなう   掠奪であったことを   具体的に示している。

徴発には   国際法があり、規則があった。   しかし、中国戦線で
それが守られることは   ほとんどない   という実態にあった。
次のような南京攻略戦のさいの第九師団経理部将侯の記述がある。

   徴発品の代金支払は如何にされて居つたか、軍隊は強盗でも
   山賊でもない。
   必ず代金を払って買はねばならないのである。(中略)
   後日所有者が代金の請求が出来るようにして置かねばならない
   故に徴発書はかねて印刷配付して所要の事項を記入すればよい
   ようにして(中略)ある。
   しかるに後日所有者が   代金の請求に持参したものを見れば
   其記入が甚だ出鱈目である。例へば○○部隊先鋒隊長加藤清正
   とか   退却部隊長蒋介石と書いて其品種数量を箱入丸升とか
   樽詰少量と云ふものや全く何も記入してないもの甚だしいのは
   単に馬鹿野郎と書いたものもある。   全く熱意も誠意もない。

でたらめな記入をした徴発書では、代金の支払いは   できない。
中国の人々は、食糧などの物資を   だまし盗られたことになる。
南京事件発生の要因の一つに、こうした   日本軍自体の規律低下、
風紀軍紀の頽廃が、中国人蔑視と相まって   存在していたのだ。

日本軍兵士が目撃・記録した南京事件(4)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/17 07:17 投稿番号: [37803 / 41162]
なぜ、南京においては、大規模な   虐殺行為が、組織的に
行われたのか。   その背景には、もともと   日本軍の中に
中国人に対する侮蔑の感情、差別的意識が   存在していた
という実態があったからだ   と思う。
たとえば   敗戦後の山西省残留問題を告発した「蟻の兵隊」
という本が   ある。

「蟻の兵隊」の著者は、奥村和一という   元日本兵だ。
奥村は、早稲田大学附属早稲田専門学校在学中に徴兵され、
直ちに   中国山西省に   派遣されることになる。
そこで、初年兵教育を   3か月受けるが、最後に
「刺突訓練」と称される   「肝試し」を命じられる。

それは、軍服を着ていない   中国人の   処刑であった。
しかも、処刑は   銃殺ではなく   銃剣刺殺だった。
殺人をためらう初年兵は   急所を外すため、
処刑者は   生殺し状態が長く続く   悲惨なものだった。
初年兵の「肝試し」   として行われた   中国人の殺害は、
捕虜の人道的処遇を定めた戦時法に違反する犯罪だった。
 
虐殺事件の背景には、幕僚層の国際感覚の欠如とモラル低下
だけではなく、日本軍内部の   軍紀風紀の頽廃があった。
また、戦争の拡大と   軍隊の大量動員が、軍の素質の低下を
もたらしたうえに、それにともなって   軍の規律が   ゆるみ、
軍紀風紀が乱れたことが、犯罪非行続出の   原因となった。

大量虐殺は、軍の組織的行為での   捕虜殺害や敗残兵狩りが
原因であることは勿論だが、軍紀の乱れから兵士個人による
行為によって起こった場合も多出したことが、いっそう事件
大きくした。

この点は   軍上層部でも   認めており、南京事件が国際的な
非難を浴びたのを受け、南京占領直後の38年1月4日付で
参謀総長は中支那方面軍に、次のような要望を行なっている。

   顧ミレバ皇軍ノ奮闘ハは半歳ニチカシ   其行ク所
   常ニ必ズ赫々タル戦果ヲ収メ我将兵ノ忠誠勇武ハ
   中外斉シク之ヲ絶賛シテ止マズ   皇軍ノ真価愈々
   加ルヲ知ル然レ共一度深ク軍内部ノ実相ニ及ベバ
   未ダ暇謹ノスクナカラザルモノアルヲ認ム就中
   軍紀風紀ニ於テ忌々シキ事態ノ発生近時漸ク繁ヲ見
   之ヲ信ゼザラント欲スルモ   尚疑ハザルベカラザル
   モノアリ
   惟フニ一人ノ失態モ全隊ノ真価ヲ左右シ   一隊ノ
   過誤モ遂ニ全軍ノ聖業ヲ傷ツクルニ至ラン
   (中略)
   遡テ一般ノ情特ニ迅速ナル作戦ノ推移或ハ部隊ノ
   実情等ニ考ヘ及ブ時ハ森厳ナル軍紀節制アル風紀ノ
   維持等ヲ困難ナラシムル幾多ノ素因ヲ認メ得ベシ
   従テ露見スル主要ノ犯則不軌等ヲ挙ゲテ直ニ之ヲ
   外征部隊ノ責ニ帰一スベカラザルハ克ク此ヲ知ル
   然レ共実際ノ不利不便愈々大ナルニ従テ益々以テ
   之ガ克服ノ努力ヲ望マザルヲ得ズ(後略)
   (中支那方面軍参謀長「軍紀風紀ニ関スル件通牒」)  

参謀総長から   このような要望がでたことは、異例だった。
それだけ在中国軍の軍紀風紀の頽廃が、軍中央部にとって
頭の痛い問題だったのだ。
同じ内容の要望は   北支那方面軍にも出されているが、
これは軍紀風紀の粛正が、この時期の   日本陸軍にとって、
大きな問題であったことを   示している。

日本軍兵士が目撃・記録した南京事件(3)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2011/12/17 07:16 投稿番号: [37802 / 41162]
前述で引用した   海軍将校の記録は、当時の状況を
比較的冷静な視点から観察し、事実を客観的に述べている。
そのうえで、以下のように   率直な感想が記述されている。

   私は、この二目間に   下関で見た   合計約二十台分の、
   言いかえれぱ、少なくとも合計五百人以上の中国人の
   処刑だけでも、大虐殺であった、と信じている。
   もっとも、
   どれだけの被害者があれば大虐殺であるかについては、
   人それぞれに   見解の相違が   あるかも知れないが。

   それらに加えて、玄武湖の湖上や湖岸で見た大量の死体の
   こととも考え合わせて、正確な数字は   分からなかったが、
   莫大な数の   中国人の犠牲者が   あったのではないか、
   と考えざるをえなかった。

   そうだとすれば、それは、明らかに、
   国際法上の大間題ではないかと思われた。
   が、当時の私には、そのことを突っ込んで検討する時間的な
   余裕がなかった。   その後間もなく、私自身が   作戦飛行に
   従事せねばならなかったからであった。
   (以上、奥宮正武「私の見た南京事件」より抜粋・引用)

南京事件当時   海軍大尉だった奥宮は、2日間だけで、しかも
限られた地域だけで、少なくとも   500人以上の   中国人が
殺戮された状況を目撃した。   彼は、それを大虐殺と断定する。
当時、現場において   真実に触れ得た者の証言が   ここにある。
次に、やはり現状を目撃した   陸軍兵士の記述を   引用しよう。
第16師団経理部予備主計少尉による12月14日付の日記だ。

   (中山門外にて)
   最前線の兵七名で凡そ三一〇名の正規軍を捕虜にして
   きたので見に行った。   色々な奴がいる。
   武器を取りあげ服装検査、その間に逃亡を計った奴三名は
   直ちに銃殺、間もなく   一人づつ   一丁ばかり離れた所へ
   引き出し兵隊二百人ばかりで全部突き殺す ---- -
   中に女一名あり、殺して   陰部に木片を突っこむ。
   外に二千名が逃げていると話していた。
   戦友の遺骨を胸にさげながら突き殺す兵がいた。

前者の海軍将校が目撃した処刑風景と比較すると、後者の方は
かなり   激情に駆られた   行動であるように   思える。
野蛮な戦争は、人間の心から   冷静さを奪い、理性を失わせる
という現実を   ここでも思い知らせられるが、一方で   これが
一部の   個人的な犯罪にとどまらず、組織的に行われた背景を
冷静に   探る必要があるのではないか   と考える。
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