Re: 南京虐殺の決定的証拠だとは思えない
投稿者: nmwgip 投稿日時: 2006/03/28 23:31 投稿番号: [9255 / 41162]
次は
ttp://blog.goo.ne.jp/asaikuniomi_graffiti/e/39d681a12b3a7c8ce72ef57ac95dcec5
からの引用。
> 「陸軍には捕虜収容所が事実上存在しませんでした。一部の例外(注)はありましたが陸軍で捕虜収容所を持っていたのは日露戦争まででしょう。乃木将軍が武士道を尊重する人でしたからね」
捕虜収容所は存在します。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
第三十八聯隊戦闘詳報
附表第三 戦闘詳報第一二号附表
備考
一、俘虜七、二〇〇名ハ第十中隊堯化門附近ヲ守備スヘキ命ヲ受ケ同地ニ在リシガ十四日午前八時三十分頃数千名ノ敵白旗ヲ掲ゲテ前進シ来リ午後一時武装ヲ解除シ南京ニ護送セシモノヲ示ス
(偕行社『南京戦史資料集』)
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榊原参謀は、捕虜を南京城内に収容した経緯について次のように話している。
「捕虜は相当あるのではないかと思いましたが、支給する食糧や収容場所が決定しなかったので、“取り敢えず各隊で持っておれ、移管の時機は速やかに示す”こととしました。ところが、無錫の倉庫で米約六千袋を押収したとの報告を受け、また刑務所や監獄が使用できるようになったので、入城式の前後に移管を受けた記憶があります。中央刑務所(注・第一監獄所)に収容された捕虜は約四、五千であったと思います。」
(偕行社『南京戦史』P324)
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この通り、捕虜収容所が無かったというのは事実に反しています。
また、
> 「つまりは、捕まえた現地人は敵と分かれば全て処刑していたのですよ。私もそこに立ち会いましたから間違いはありません。その殺し方も、新兵の“度胸試し”として行なわれる斬首もありました」
これも正確性を欠く伝聞です。
敵と分かれば、ではなく、便衣兵と判定されれば、です。
また、斬首ではなく、射殺または(銃剣による)刺殺ですね。
第一、立ち会ったと言っていますが、昭和十四年二月以降であれば、敗残兵の摘出も処刑も終わっていたはずですが。
> 「南京虐殺はなかったなんてバカなことを言う人がいますが、10万人を超える捕虜を抱えて陸軍はどうしたか、考えれば分かることです。
十万人を超える捕虜?
重複があると見られる各数字を単純に合計しても、五万は超えないと思いますが。
偕行社『南京戦史』においても、重複を度外視した単純集計三万八千人、重複を除いた推定値二万八千人という数字を出しています。
所詮は伝聞である所為か、信憑性は低いと判断せざるを得ませんね。
ttp://blog.goo.ne.jp/asaikuniomi_graffiti/e/39d681a12b3a7c8ce72ef57ac95dcec5
からの引用。
> 「陸軍には捕虜収容所が事実上存在しませんでした。一部の例外(注)はありましたが陸軍で捕虜収容所を持っていたのは日露戦争まででしょう。乃木将軍が武士道を尊重する人でしたからね」
捕虜収容所は存在します。
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第三十八聯隊戦闘詳報
附表第三 戦闘詳報第一二号附表
備考
一、俘虜七、二〇〇名ハ第十中隊堯化門附近ヲ守備スヘキ命ヲ受ケ同地ニ在リシガ十四日午前八時三十分頃数千名ノ敵白旗ヲ掲ゲテ前進シ来リ午後一時武装ヲ解除シ南京ニ護送セシモノヲ示ス
(偕行社『南京戦史資料集』)
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榊原参謀は、捕虜を南京城内に収容した経緯について次のように話している。
「捕虜は相当あるのではないかと思いましたが、支給する食糧や収容場所が決定しなかったので、“取り敢えず各隊で持っておれ、移管の時機は速やかに示す”こととしました。ところが、無錫の倉庫で米約六千袋を押収したとの報告を受け、また刑務所や監獄が使用できるようになったので、入城式の前後に移管を受けた記憶があります。中央刑務所(注・第一監獄所)に収容された捕虜は約四、五千であったと思います。」
(偕行社『南京戦史』P324)
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この通り、捕虜収容所が無かったというのは事実に反しています。
また、
> 「つまりは、捕まえた現地人は敵と分かれば全て処刑していたのですよ。私もそこに立ち会いましたから間違いはありません。その殺し方も、新兵の“度胸試し”として行なわれる斬首もありました」
これも正確性を欠く伝聞です。
敵と分かれば、ではなく、便衣兵と判定されれば、です。
また、斬首ではなく、射殺または(銃剣による)刺殺ですね。
第一、立ち会ったと言っていますが、昭和十四年二月以降であれば、敗残兵の摘出も処刑も終わっていたはずですが。
> 「南京虐殺はなかったなんてバカなことを言う人がいますが、10万人を超える捕虜を抱えて陸軍はどうしたか、考えれば分かることです。
十万人を超える捕虜?
重複があると見られる各数字を単純に合計しても、五万は超えないと思いますが。
偕行社『南京戦史』においても、重複を度外視した単純集計三万八千人、重複を除いた推定値二万八千人という数字を出しています。
所詮は伝聞である所為か、信憑性は低いと判断せざるを得ませんね。
これは メッセージ 9254 (nmwgip さん)への返信です.