向井弁明書を真とするなら接敵は無い
投稿者: nmwgip 投稿日時: 2006/03/07 22:15 投稿番号: [9168 / 41162]
> ですから、大隊戦闘における機関銃中隊と大隊砲の布陣は同じような位置であり、島田氏が第一線にいたのなら向井氏も第一線にいたのだという事実を指摘しているのです。
> 「向井少尉と違って」というのは、当時の日本陸軍の編成を知らないから出てくる表現なのです。
どうやら貴方は歩兵隊の野戦砲は最前線で、直接照準で砲撃していたと考えているらしい。
以下は百人斬り訴訟支援者の方のHPから引用した、向井少尉の弁明書現代文要約の一部です。
「記事には無錫―常州―丹陽―句容―南京の各地において戦闘した、向井も参加したように書いてあるが事実ではない。別紙の行動経路参照願う。」
「無錫の戦闘最終日に追及到着して砲撃戦に参加した。砲撃の位置は第一戦より常に後方で肉薄突撃などの白兵戦をしたことはない。」
「常州では戦闘は無かった。中国軍隊と住民を見なかった。」
「丹陽では冨山大隊の指揮下ではなく、第2中隊長の指揮下に入り、砲撃戦中に負傷した。迫撃砲弾で左膝頭部と右手下?部に盲貫弾片創を受け(11月末頃)、中隊とも別れ,看護班に収容された。」
「新聞では句容、常州でも戦闘に参加し、百人斬りを続行したように記載してあるが此処で戦闘は無く、丹陽以後向井は看護班で治療中だった。」
ttp://homepage3.nifty.com/kyoho-enzai/boad/contents/E0700_23.html
分かりますか?
「砲撃の位置は第一戦より常に後方で肉薄突撃などの白兵戦をしたことはない。」
貴方の想像と違って、向井少尉の隊は、友軍の頭上越しに砲撃を行っていたのです。
同じ位置に重機関銃隊がいたら、使い物になりますか?
それじゃあ味方の背中が邪魔になって射撃できません。
それとも、重機関銃で弾道射撃していたとでも?
重機関銃を野戦砲と同じポジションに配置できるのは、前面の味方が射撃の邪魔にならない、高所に陣地を構えて撃ち下す場合だけです。
迎撃戦ならともかく、一貫して敵陣を攻撃する立場であった日中戦争にそのような場面が一体どれだけあったと言うのですか。
連射性がない故に接近戦に極端に弱い砲兵隊をガードするために機関銃隊がその面的制圧力を活かして防壁になるという運用はあるでしょうが、それでは攻勢下において機関銃隊が事実上遊兵になります。
敵に対して攻勢を仕掛けているような場合、特に敗残兵に対する追撃・掃討戦のような場合において、機関銃隊を後方に下げておく理由はありません。
> 軽機関銃を携えて突撃することは普通に行われましたが、重機関銃が突撃することは不可能なんです。
まさか、「敵と近接する」が突撃・白兵戦に限定されるとでも思っているんですか?
第一線で敵と撃ち合うのも「敵と近接する」事例です。
突撃できるできないは関係ありません。
直接敵と接触する機会があるかどうかです。
島田氏の証言は、銃撃戦の末、武装を放棄したように見せかけて、捕らえてみたら実際には武器を隠匿していたケースが多数あった、だからこのケースでは、投降のサインを送ってきた敵兵がいても戦闘を続行した、という意味です。
誰が証言のあった当該戦場における体験だと言っていますか。
現に交戦中の場面で、一々武器の隠匿を確認していたはずがないでしょう。
このケースというのは、島田氏が実際に経験した過去の戦場と、この時戦った戦場の双方を指します。
そして貴方は、過去においても島田氏が中国兵の武器隠匿に遭遇したことがないと言っているのです。
しかし、そんな根拠はありません。
貴方がその根拠を出せないのが、何よりの証明です。
> 一つ勉強になったのだから、無理な説明は素直に引っ込めた方がよろしいです。
> 私は追い打ちは掛けませんので、心配しないで下さい。
またハッタリ?
最近こればかりですね、貴方は。
もしハッタリじゃないんだったら、想像じゃなくて、実際に歩兵隊の砲兵部隊が最前線で直接照準による戦闘を行った事例を挙げてみてください。
砲兵隊が最前線に出てくる事例なんて、敵歩兵がいない、敵に接近される危険性がない状況下におけるトーチカの破壊か、攻城戦における城壁・城門破壊のケースくらいしか考えられませんけどね。
砲兵は、敵に接近されたらアウトなんですから。
> 「向井少尉と違って」というのは、当時の日本陸軍の編成を知らないから出てくる表現なのです。
どうやら貴方は歩兵隊の野戦砲は最前線で、直接照準で砲撃していたと考えているらしい。
以下は百人斬り訴訟支援者の方のHPから引用した、向井少尉の弁明書現代文要約の一部です。
「記事には無錫―常州―丹陽―句容―南京の各地において戦闘した、向井も参加したように書いてあるが事実ではない。別紙の行動経路参照願う。」
「無錫の戦闘最終日に追及到着して砲撃戦に参加した。砲撃の位置は第一戦より常に後方で肉薄突撃などの白兵戦をしたことはない。」
「常州では戦闘は無かった。中国軍隊と住民を見なかった。」
「丹陽では冨山大隊の指揮下ではなく、第2中隊長の指揮下に入り、砲撃戦中に負傷した。迫撃砲弾で左膝頭部と右手下?部に盲貫弾片創を受け(11月末頃)、中隊とも別れ,看護班に収容された。」
「新聞では句容、常州でも戦闘に参加し、百人斬りを続行したように記載してあるが此処で戦闘は無く、丹陽以後向井は看護班で治療中だった。」
ttp://homepage3.nifty.com/kyoho-enzai/boad/contents/E0700_23.html
分かりますか?
「砲撃の位置は第一戦より常に後方で肉薄突撃などの白兵戦をしたことはない。」
貴方の想像と違って、向井少尉の隊は、友軍の頭上越しに砲撃を行っていたのです。
同じ位置に重機関銃隊がいたら、使い物になりますか?
それじゃあ味方の背中が邪魔になって射撃できません。
それとも、重機関銃で弾道射撃していたとでも?
重機関銃を野戦砲と同じポジションに配置できるのは、前面の味方が射撃の邪魔にならない、高所に陣地を構えて撃ち下す場合だけです。
迎撃戦ならともかく、一貫して敵陣を攻撃する立場であった日中戦争にそのような場面が一体どれだけあったと言うのですか。
連射性がない故に接近戦に極端に弱い砲兵隊をガードするために機関銃隊がその面的制圧力を活かして防壁になるという運用はあるでしょうが、それでは攻勢下において機関銃隊が事実上遊兵になります。
敵に対して攻勢を仕掛けているような場合、特に敗残兵に対する追撃・掃討戦のような場合において、機関銃隊を後方に下げておく理由はありません。
> 軽機関銃を携えて突撃することは普通に行われましたが、重機関銃が突撃することは不可能なんです。
まさか、「敵と近接する」が突撃・白兵戦に限定されるとでも思っているんですか?
第一線で敵と撃ち合うのも「敵と近接する」事例です。
突撃できるできないは関係ありません。
直接敵と接触する機会があるかどうかです。
島田氏の証言は、銃撃戦の末、武装を放棄したように見せかけて、捕らえてみたら実際には武器を隠匿していたケースが多数あった、だからこのケースでは、投降のサインを送ってきた敵兵がいても戦闘を続行した、という意味です。
誰が証言のあった当該戦場における体験だと言っていますか。
現に交戦中の場面で、一々武器の隠匿を確認していたはずがないでしょう。
このケースというのは、島田氏が実際に経験した過去の戦場と、この時戦った戦場の双方を指します。
そして貴方は、過去においても島田氏が中国兵の武器隠匿に遭遇したことがないと言っているのです。
しかし、そんな根拠はありません。
貴方がその根拠を出せないのが、何よりの証明です。
> 一つ勉強になったのだから、無理な説明は素直に引っ込めた方がよろしいです。
> 私は追い打ちは掛けませんので、心配しないで下さい。
またハッタリ?
最近こればかりですね、貴方は。
もしハッタリじゃないんだったら、想像じゃなくて、実際に歩兵隊の砲兵部隊が最前線で直接照準による戦闘を行った事例を挙げてみてください。
砲兵隊が最前線に出てくる事例なんて、敵歩兵がいない、敵に接近される危険性がない状況下におけるトーチカの破壊か、攻城戦における城壁・城門破壊のケースくらいしか考えられませんけどね。
砲兵は、敵に接近されたらアウトなんですから。
これは メッセージ 9166 (ja2047 さん)への返信です.