安全区外に市民がいたのことまでは確か
投稿者: ja2047 投稿日時: 2006/03/02 06:02 投稿番号: [9105 / 41162]
>> 私が最初から言ってるのは、増田手記は安全区外の街路に人がいないと言ってるだけで、家の中のことはこの描写からは読みとれないということなのですが・・・
>いずれにしても、No.9040の「増田手記は安全区外の街路に人がいないと言ってるだけで」という貴方の主張は事実に反するということが判明しました。
残念ですが、増田手記には「其処を引き揚げて、中山北路へ出る道中一帯には、敗残兵の捨てた兵器、弾薬、被服の類から馬や車等が街路一杯に散らかって居る。建ち並ぶ商家は、支那軍の為にすっかり持ち去られて、何一つなく、人影どころか犬ころ一匹いない死の街であった」とあるのみです。
ここには「南京大衆病院」(中央病院のことか?)を出てから、家屋内を探索したという描写がなく、街路沿いに見える光景の描写しかありません。
家屋内探索の様子が記述されていれば、そこに住民の存在を見たか、 あるいは住民はほとんどおらず、難民区の隣接地域では屋内に留まった住民は僅少であったことが明確になるのですが、その記述はありません。
>ベイツ
「ここに記録された事件は南京安全地帯内で起きたものだけであり、南京のこれ以外の場所は1月末まで事実上の無人地帯となっていたのであって、此の期間中、殆ど外国人の目撃者はなかった。」
ベイツが言おうとしているのは「安全区外については確認が充分でない」ということです。
この文章は「殆ど外国人の目撃者はなかった。」と述べているのであって、「事件が起こり得ようはずがなかった。」と言っているわけではないのは見ての通りです。
以前にも書きましたが、ここにおける「無人地帯」とは軍事上の立入禁止区域、無住の地を指す言葉であって、慣用的に用いられているに過ぎず、実際に人がいなかったことを保証するものではありません。もちろん、人がうじゃうじゃ居たわけでないでしょうけどね。
城内安全区外の住民は安全区に入った住民より少なく、安全区外は安全区よりはるかに広いのですから、人口密度は平時よりもはるかに低かったと推定されます。
それが家の中に隠れているのですから、住民の目撃が少ないのは別に不思議ではありません。
しかし、目撃例、居住の記録は実際に多数存在します。
>ラーベは(国際委員会は)日本軍の調査を元に人口の見積もりを二十五万人に変更した、というのが結論だったはずですが。
はい、ラーベは「増えた5万人は廃墟になったところ(つまり安全区外)に住んでいた人たちだ」と述べているのだから、それでよいのです。
>廃墟に住んでいた、という根拠を貴方は示せなかったでしょう。
廃墟になったら住めないから安全区に避難してきたのだというのがラーベの結論であって、廃墟になってしまってからも人が住んでいてはおかしいのだということも指摘済みです。
存在しない矛盾を無理矢理作り上げようとするその癖、何とかなりませんかね。
ここで重要なのは
1.人口20万は当初のラーベの見込みに過ぎず、ラーベはのちにこれを25万に修正している
2.ラーベの観察によればこの増えた5万は城外から帰還したのではなく、元々城内にいたのである
3.人口20万が住民の城外からの帰還により25万に増えたという説は、現地で観察していたラーベやベイツには支持されていない
ということです。
当初の安全区人口と後の安全区人口の差が正確に5万であったかどうかは、たいした意味を持ちません。
>もう一度訊きますよ。
誰が「住民に紛れて敗残兵が潜んでいたのは20連隊の担当区域外の安全区だったはずがないじゃないか」なんて言っているんですか?
言ってないのなら結構です。
私は「言った言わない」のはなしをするのは嫌いです。
あなたが言ったのは、正確にそういう言葉ではないということで了解しましょう。
「増田手記についてはオレは自説に合うことだけ信用することにする」というスタンスだということならそれでも構いません。
>いずれにしても、No.9040の「増田手記は安全区外の街路に人がいないと言ってるだけで」という貴方の主張は事実に反するということが判明しました。
残念ですが、増田手記には「其処を引き揚げて、中山北路へ出る道中一帯には、敗残兵の捨てた兵器、弾薬、被服の類から馬や車等が街路一杯に散らかって居る。建ち並ぶ商家は、支那軍の為にすっかり持ち去られて、何一つなく、人影どころか犬ころ一匹いない死の街であった」とあるのみです。
ここには「南京大衆病院」(中央病院のことか?)を出てから、家屋内を探索したという描写がなく、街路沿いに見える光景の描写しかありません。
家屋内探索の様子が記述されていれば、そこに住民の存在を見たか、 あるいは住民はほとんどおらず、難民区の隣接地域では屋内に留まった住民は僅少であったことが明確になるのですが、その記述はありません。
>ベイツ
「ここに記録された事件は南京安全地帯内で起きたものだけであり、南京のこれ以外の場所は1月末まで事実上の無人地帯となっていたのであって、此の期間中、殆ど外国人の目撃者はなかった。」
ベイツが言おうとしているのは「安全区外については確認が充分でない」ということです。
この文章は「殆ど外国人の目撃者はなかった。」と述べているのであって、「事件が起こり得ようはずがなかった。」と言っているわけではないのは見ての通りです。
以前にも書きましたが、ここにおける「無人地帯」とは軍事上の立入禁止区域、無住の地を指す言葉であって、慣用的に用いられているに過ぎず、実際に人がいなかったことを保証するものではありません。もちろん、人がうじゃうじゃ居たわけでないでしょうけどね。
城内安全区外の住民は安全区に入った住民より少なく、安全区外は安全区よりはるかに広いのですから、人口密度は平時よりもはるかに低かったと推定されます。
それが家の中に隠れているのですから、住民の目撃が少ないのは別に不思議ではありません。
しかし、目撃例、居住の記録は実際に多数存在します。
>ラーベは(国際委員会は)日本軍の調査を元に人口の見積もりを二十五万人に変更した、というのが結論だったはずですが。
はい、ラーベは「増えた5万人は廃墟になったところ(つまり安全区外)に住んでいた人たちだ」と述べているのだから、それでよいのです。
>廃墟に住んでいた、という根拠を貴方は示せなかったでしょう。
廃墟になったら住めないから安全区に避難してきたのだというのがラーベの結論であって、廃墟になってしまってからも人が住んでいてはおかしいのだということも指摘済みです。
存在しない矛盾を無理矢理作り上げようとするその癖、何とかなりませんかね。
ここで重要なのは
1.人口20万は当初のラーベの見込みに過ぎず、ラーベはのちにこれを25万に修正している
2.ラーベの観察によればこの増えた5万は城外から帰還したのではなく、元々城内にいたのである
3.人口20万が住民の城外からの帰還により25万に増えたという説は、現地で観察していたラーベやベイツには支持されていない
ということです。
当初の安全区人口と後の安全区人口の差が正確に5万であったかどうかは、たいした意味を持ちません。
>もう一度訊きますよ。
誰が「住民に紛れて敗残兵が潜んでいたのは20連隊の担当区域外の安全区だったはずがないじゃないか」なんて言っているんですか?
言ってないのなら結構です。
私は「言った言わない」のはなしをするのは嫌いです。
あなたが言ったのは、正確にそういう言葉ではないということで了解しましょう。
「増田手記についてはオレは自説に合うことだけ信用することにする」というスタンスだということならそれでも構いません。
これは メッセージ 9090 (nmwgip さん)への返信です.