Re: 日本軍による適法な処刑(b)
投稿者: nmwgip 投稿日時: 2006/02/26 12:22 投稿番号: [9050 / 41162]
> 私が最初から言ってるのは、増田手記は安全区外の街路に人がいないと言ってるだけで、家の中のことはこの描写からは読みとれないということなのですが・・・
「建並ぶ商家は支那軍のためにすっかり持去られて」
家の中のことは読み取れない?
一体何処に目を付けているんです?
> 安全区外にいくらか市民がいたという記述は随分いろいろな人の回想や手記に出てくるのはご存じの通りです。
はぁ?
それに根拠のないことは反論済みで、それに対する貴方のコメントは「第7連隊史を調べてみる」、これっきりですよ。
前々々回も、城島戦車第一中隊長の証言における「奥の方には人がいた」というのは確認された事実ではなく推測でしかないということを丁寧に説明してあげたばかりですけどね。
それに、安全区外に市民が残留していたという回想よりも、安全区外が事実上無縁であったという回想や手記の方が多いと思いますよ。
数えたことはありませんが、なにせベイツですらそう言っているくらいですからね。
> 「住民に紛れて敗残兵が潜んでいたのは20連隊の担当区域外の安全区だったはずがないじゃないか」
誰がそんな事を言っているのかな?
> > 第16師団第20連隊伍長 増田六助日記
> > 「明れば十四日、今日は国際委員会の設置している難民区へ掃蕩に行くのである。
>
> 12月14日の安全区掃討を担当したのは第9師団金沢旅団第7連隊であって、第16師団京都旅団第20連隊は中山路東の官庁街区域を担当しているはずです。
(No.8865)
これが私の当初の問題提起。
> 敗残兵を銃殺した記録が、何故安全区の掃討を担当したことの証明になるんですか。
> 第20連隊は15日〜16日と城外東方地区の掃討を担当していますが、この「敗残兵328名ヲ銃殺ス」は城外掃討の記述ではないんですか。
(No.8874)
これが第2弾。
城外掃討と混同、というのは私の間違いでした。
> これは完全に私の誤解で、328名の銃殺は12/14の城内掃討の戦果でした。
> 但し、ここには「第二次掃蕩区域ノ掃蕩ヲ実施ス」とあるだけで、安全区を掃討したとは一言も書かれていません。
・・・・・・・・・
> また、その最後は
> 「夕暗迫る頃六百人近くの敗残兵の大群を引立てて玄武門に至り其の近くで一度に銃殺したのであった。」
> と結ばれており、陣中日誌の戦果と比較して銃殺された敗残兵が二倍弱に増えています。
> これはどうも、後日ある程度時間が経過してから誇張を交えて書かれた物ではないかと思われます。
> 陣中日誌に残された記録から分かることは、小銃と拳銃で武装した敗残兵を銃殺した、ということです。
> この敗残兵が投降した、とも書かれていません。
(No.8875)
これがその次ですね。
そして前回、
> 何を言っているんだか。
> 私は安全区の難民の中にいた便衣兵を摘発した、という記述自体に疑問を呈していました。
と、これまでの経緯を説明しているのですが、一体私が何処で、「住民に紛れて敗残兵が潜んでいたのは20連隊の担当区域外の安全区だったはずがないじゃないか」と主張していると?
他人の発言を捏造して中傷するのが貴方の流儀ですか?
お粗末な手口ですね。
> 島田氏の文章って、「本来はしてはならないことだが、そのような心理状態になる理由があったのだ」
> と書いてあるのではなかったのですか?
自虐的な曲解です。
貴方が自虐史観に溺れるのは勝手ですが、他人にそれを強制されるのは迷惑です。
この文章の趣旨は、貴方のように、敗残兵を掃討する行為が交戦法規に違反している等と的外れな非難をする人もいるようだけども、実態は決して無抵抗な投降兵などでなく、貴方達の言うような平和ボケしたやり方に従っていたら命がいくつあっても足りなかった、ということですよ。
つくづく思うんですが、貴方は日本兵より中国兵の命の方が大切らしい。
「建並ぶ商家は支那軍のためにすっかり持去られて」
家の中のことは読み取れない?
一体何処に目を付けているんです?
> 安全区外にいくらか市民がいたという記述は随分いろいろな人の回想や手記に出てくるのはご存じの通りです。
はぁ?
それに根拠のないことは反論済みで、それに対する貴方のコメントは「第7連隊史を調べてみる」、これっきりですよ。
前々々回も、城島戦車第一中隊長の証言における「奥の方には人がいた」というのは確認された事実ではなく推測でしかないということを丁寧に説明してあげたばかりですけどね。
それに、安全区外に市民が残留していたという回想よりも、安全区外が事実上無縁であったという回想や手記の方が多いと思いますよ。
数えたことはありませんが、なにせベイツですらそう言っているくらいですからね。
> 「住民に紛れて敗残兵が潜んでいたのは20連隊の担当区域外の安全区だったはずがないじゃないか」
誰がそんな事を言っているのかな?
> > 第16師団第20連隊伍長 増田六助日記
> > 「明れば十四日、今日は国際委員会の設置している難民区へ掃蕩に行くのである。
>
> 12月14日の安全区掃討を担当したのは第9師団金沢旅団第7連隊であって、第16師団京都旅団第20連隊は中山路東の官庁街区域を担当しているはずです。
(No.8865)
これが私の当初の問題提起。
> 敗残兵を銃殺した記録が、何故安全区の掃討を担当したことの証明になるんですか。
> 第20連隊は15日〜16日と城外東方地区の掃討を担当していますが、この「敗残兵328名ヲ銃殺ス」は城外掃討の記述ではないんですか。
(No.8874)
これが第2弾。
城外掃討と混同、というのは私の間違いでした。
> これは完全に私の誤解で、328名の銃殺は12/14の城内掃討の戦果でした。
> 但し、ここには「第二次掃蕩区域ノ掃蕩ヲ実施ス」とあるだけで、安全区を掃討したとは一言も書かれていません。
・・・・・・・・・
> また、その最後は
> 「夕暗迫る頃六百人近くの敗残兵の大群を引立てて玄武門に至り其の近くで一度に銃殺したのであった。」
> と結ばれており、陣中日誌の戦果と比較して銃殺された敗残兵が二倍弱に増えています。
> これはどうも、後日ある程度時間が経過してから誇張を交えて書かれた物ではないかと思われます。
> 陣中日誌に残された記録から分かることは、小銃と拳銃で武装した敗残兵を銃殺した、ということです。
> この敗残兵が投降した、とも書かれていません。
(No.8875)
これがその次ですね。
そして前回、
> 何を言っているんだか。
> 私は安全区の難民の中にいた便衣兵を摘発した、という記述自体に疑問を呈していました。
と、これまでの経緯を説明しているのですが、一体私が何処で、「住民に紛れて敗残兵が潜んでいたのは20連隊の担当区域外の安全区だったはずがないじゃないか」と主張していると?
他人の発言を捏造して中傷するのが貴方の流儀ですか?
お粗末な手口ですね。
> 島田氏の文章って、「本来はしてはならないことだが、そのような心理状態になる理由があったのだ」
> と書いてあるのではなかったのですか?
自虐的な曲解です。
貴方が自虐史観に溺れるのは勝手ですが、他人にそれを強制されるのは迷惑です。
この文章の趣旨は、貴方のように、敗残兵を掃討する行為が交戦法規に違反している等と的外れな非難をする人もいるようだけども、実態は決して無抵抗な投降兵などでなく、貴方達の言うような平和ボケしたやり方に従っていたら命がいくつあっても足りなかった、ということですよ。
つくづく思うんですが、貴方は日本兵より中国兵の命の方が大切らしい。
これは メッセージ 9049 (nmwgip さん)への返信です.