Re: hattonin2000に質問、Re: 残虐行為は
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2006/02/23 20:48 投稿番号: [9015 / 41162]
>子どもの感覚としては残虐行為と南京は全く関係なく支那全土でやっていると思っていたのです。ただそのころ南京陥落の提灯行列の記憶があるだけで前後関係は良く分かりません。
前後関係が明らかにおかしいのですよ。
1937年7月、盧溝橋事件
1937年8月、上海戦始まる
1937年12月、南京陥落
この頃、授業中に大野先生がhattonin2000たちに支那人に穴を掘らせて処刑した話を聞かせた。
しかし、hattonin2000などの子供達は、このことを大野先生から聞くまでもなく、徴兵後2〜3年で支那から帰還した徴兵兵士たちの体験談から伝わって常識になっていたと言う。
南京が陥落したのは戦争が始まってから4、5ヶ月しか経っていなかったから、徴兵兵士たちはまだ誰も支那から帰還していなかったはずだ。
どう考えてもおかしな話だね。
>27年おそ生まれで、大野先生の話しは5年生だったと記憶しているのです。前後関係を調べて下さい。
前後関係を調べた結果、hattonin2000の話は出鱈目だと判りました。
それから、君が#8995で貼り付けた君(HATTORI-n)のHPの大野先生の話の下にある
>「朝鮮語禁止は事実です。小学5年の頃に朝鮮から転校してきた人とは親しい友人でした。それで朝鮮語を教えろと言ったら、びっくりして、朝鮮語を喋っていいの、朝鮮では喋ったら大変だよ。とのこと。」
というのも酷い出鱈目だ。
君(hattonin2000)が小学校5年生の時(1937年)、朝鮮の学校では「朝鮮語」の授業も行われていた。
1940年頃になると学校で「朝鮮語」の授業はなくなったが、普段の会話等はもちろん朝鮮語で行われた。
その証拠に、日本語普及率は終戦時でも朝鮮では20%だった。(台湾では70%)
ちなみに、英国によるインド統治は約200年もの長期におよんだが、1921年時点で、識字率8.2%(文盲率91.8%、英語理解率2.4%)だった。
日本は、読み書きが出来る朝鮮人が増えるように尽力したんだ。
漢字・ハングル混合文は、世界最初に福沢諭吉が発案してハングル活字を作り、井上角五郎らが1886年に初めて『漢城週報』の創刊号を発行した。
朝鮮語辞典は、朝鮮人による辞書はなかったものの、すでに19世紀末には仏と露と英によって作られていたようで、本格的な『朝鮮語辞典』は1920年に朝鮮総督府によって完成された。
朝鮮人が自らはじめて作ったのは1939年だったようだ。
いずれにせよ、君が小学校を卒業した後に「朝鮮語」の授業はなくなったが、「朝鮮語」が禁止されたことなど一度たりともない。
嘘を吐くのは、もう止めなさい。
これは メッセージ 9011 (hattonin2000 さん)への返信です.
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