Re: 根拠薄弱です
投稿者: nmwgip 投稿日時: 2006/02/22 23:01 投稿番号: [9003 / 41162]
> 防衛庁図書館ほか多数
だから具体的に挙げてみてくださいと言っているのですよ。
> ああ、具体的に挙げてください。
根拠を求めているのは私の方です。
> 幕府山事件のことなら、反乱自衛発砲説を唱えているのは山田手記だけです。
> これを支持する記録はありません。
自衛隊の公式戦史も叛乱自衛発砲説なんですがね。
栗原証言という自衛発砲説を支える証言もありますが。
栗原スケッチの注記は味方がやられたという声が上がった後の状況のことなんですけどね。
貴方も栗原証言を偽証とし、栗原スケッチ注記を証拠とするダブスタ虐殺派の一人ですか?
> 投降の意思表明があったのなら、収容を拒否して殺害するのは基本的に国際法違反です。
だからその資格がなかったということは前回説明したでしょ?
責めるなら部下を見捨てた唐生智を責めろと言いたいですね。
彼が敵対行為の停止を保証していれば日本軍が疑心暗鬼に陥ることもなかったのですから。
> >射殺命令があったとされながら実は捕虜として収容していた記録はありますが、
>
> これも具体例が不明です
根拠を求めているのは私の方です。
だがいいでしょう。
これは第38聯隊が仙鶴門鎮付近で捕虜にした7,200名のことです。
> 第16師団 歩兵第30旅団
> 歩兵第33連隊戦闘詳報 第三号附表
この戦闘に関しては、「白旗を掲げたにも拘わらず反抗した約300人ぐらいの中国軍部隊もあった」という参戦者の回想もあります。(南京戦史P321)
第33聯隊は下関に急進して敵の退路を断つという作戦行動中であり、捕虜を収容できるような状況ではありませんでした。(南京戦史P320〜P321)
つまり「俘虜」といっても実態は「全体としては抵抗を止めていない投降兵」です。
しかもその数は隷下部隊の申告を単純に加算した物ではないかと正確性が疑われています。
> 第114師団 歩兵第127旅団 第66連隊 第1大隊戦闘詳報
第66聯隊の当該戦闘詳報が改竄の疑惑が強いものとされている事実を知らない訳じゃないでしょう。
ネット上の考察を一つ挙げておきます。
ttp://f25.aaa.livedoor.jp/%7Ezflag/mirrors/kaizan/15.htm
> 陸軍省人事局長阿南惟幾少将(のち大将、終戦時陸軍大臣)は南京視察から帰って「中島師団婦人方面、殺人、不軍紀行為は、国民的道義心の廃退、戦況悲惨より来るものにして言語に絶するものあり。」(阿南惟幾 S12.12.22陸軍省局長会報におけるメモ)
> と言ってます。
第16師団が安全区の警備を受け持つようになったのは12/25からです。
12/22の段階ではまだ第9師団第7聯隊が安全区を警備していました。
事実上無人である安全区外を警備していた第16師団が一体どうやって市民に危害を加えたと言うのですか。
南京戦史資料集には中島中将の人柄について、多くの部下に尊敬された反面、松井司令官に冷笑的、司令部幕僚に批判的、元憲兵司令官にも拘わらず憲兵隊関係者の評価が低い、等を挙げています。
要するに、中島中将は本社に煙たがられる支社の実力者タイプの人間だったのです。
このあたりを考慮すれば、容易に結論は出ると思いますがね。
> だから、私は繰り返し言ってるのです。
> 日本側が詳細な調査をして残せば、あるいは30万という数字が定着することは避けられたのかもしれない、と。
逃げ口上は結構です。
結果を出して下さい。
だから具体的に挙げてみてくださいと言っているのですよ。
> ああ、具体的に挙げてください。
根拠を求めているのは私の方です。
> 幕府山事件のことなら、反乱自衛発砲説を唱えているのは山田手記だけです。
> これを支持する記録はありません。
自衛隊の公式戦史も叛乱自衛発砲説なんですがね。
栗原証言という自衛発砲説を支える証言もありますが。
栗原スケッチの注記は味方がやられたという声が上がった後の状況のことなんですけどね。
貴方も栗原証言を偽証とし、栗原スケッチ注記を証拠とするダブスタ虐殺派の一人ですか?
> 投降の意思表明があったのなら、収容を拒否して殺害するのは基本的に国際法違反です。
だからその資格がなかったということは前回説明したでしょ?
責めるなら部下を見捨てた唐生智を責めろと言いたいですね。
彼が敵対行為の停止を保証していれば日本軍が疑心暗鬼に陥ることもなかったのですから。
> >射殺命令があったとされながら実は捕虜として収容していた記録はありますが、
>
> これも具体例が不明です
根拠を求めているのは私の方です。
だがいいでしょう。
これは第38聯隊が仙鶴門鎮付近で捕虜にした7,200名のことです。
> 第16師団 歩兵第30旅団
> 歩兵第33連隊戦闘詳報 第三号附表
この戦闘に関しては、「白旗を掲げたにも拘わらず反抗した約300人ぐらいの中国軍部隊もあった」という参戦者の回想もあります。(南京戦史P321)
第33聯隊は下関に急進して敵の退路を断つという作戦行動中であり、捕虜を収容できるような状況ではありませんでした。(南京戦史P320〜P321)
つまり「俘虜」といっても実態は「全体としては抵抗を止めていない投降兵」です。
しかもその数は隷下部隊の申告を単純に加算した物ではないかと正確性が疑われています。
> 第114師団 歩兵第127旅団 第66連隊 第1大隊戦闘詳報
第66聯隊の当該戦闘詳報が改竄の疑惑が強いものとされている事実を知らない訳じゃないでしょう。
ネット上の考察を一つ挙げておきます。
ttp://f25.aaa.livedoor.jp/%7Ezflag/mirrors/kaizan/15.htm
> 陸軍省人事局長阿南惟幾少将(のち大将、終戦時陸軍大臣)は南京視察から帰って「中島師団婦人方面、殺人、不軍紀行為は、国民的道義心の廃退、戦況悲惨より来るものにして言語に絶するものあり。」(阿南惟幾 S12.12.22陸軍省局長会報におけるメモ)
> と言ってます。
第16師団が安全区の警備を受け持つようになったのは12/25からです。
12/22の段階ではまだ第9師団第7聯隊が安全区を警備していました。
事実上無人である安全区外を警備していた第16師団が一体どうやって市民に危害を加えたと言うのですか。
南京戦史資料集には中島中将の人柄について、多くの部下に尊敬された反面、松井司令官に冷笑的、司令部幕僚に批判的、元憲兵司令官にも拘わらず憲兵隊関係者の評価が低い、等を挙げています。
要するに、中島中将は本社に煙たがられる支社の実力者タイプの人間だったのです。
このあたりを考慮すれば、容易に結論は出ると思いますがね。
> だから、私は繰り返し言ってるのです。
> 日本側が詳細な調査をして残せば、あるいは30万という数字が定着することは避けられたのかもしれない、と。
逃げ口上は結構です。
結果を出して下さい。
これは メッセージ 8998 (ja2047 さん)への返信です.