南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘

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Re: 市民の服を奪うことは許可?

投稿者: ja2047 投稿日時: 2006/02/17 21:07 投稿番号: [8937 / 41162]
>当時の中国に刑法、軍法等あったのか?

そりゃあります。
完全には統一されてないのじゃないかというのは、事実なんですが、それでも一応中央政権はあったし、それが国際連盟に議席を持ってるわけです。
しかも南京はその首都だったのです。

>正確に運用されていたのか

それを言っちゃうと日本軍も相当怪しいし、他の国も完璧ではないです。


>『マオ』を読むと、各地の軍閥の長が勝手に処分(惨殺)しているよ。
>当時の共産軍も敵対する政府軍である国民党軍(各地の軍閥の集まり)も人命等なんとも思っていない。

中国というのは日本に比べてそう言うところのある国です。
今もそうです。
南京事件当時の日本軍はそういう環境に呑み込まれて、すっかりそれに慣れきってしまっていたわけで、支那派遣軍の「皇軍にあるまじき行い」は当時の軍幹部を相当嘆かせています。

元教育総監   真崎甚三郎大将の日記
(南京戦史編集委員会編『南京戦史資料集①』偕行社)
(上海派遣軍を視察してきた江藤源九郎予備役少将からの報告を聞いて)
「同君は自ら日露戦争の苦き実験あり、今回も主なる責任者の談を交えて研究せり。従って同君の意見は相当に権威あるものと云はざるべからず。
之によれば一言にして云はば軍紀風紀頽廃し、これを建て直さざれば真面目の戦闘に耐えずということに帰着せり。強盗、強姦、掠奪、聞くに忍びざるものありたり」
(真崎甚三郎『真崎甚三郎日記』(山川出版社   1987)昭和13年1月28日付より)

陸軍省人事局長阿南惟幾少将(のち大将、終戦時陸軍大臣)
(南京視察から帰って)   「中島師団婦人方面、殺人、不軍紀行為は、国民的道義心の廃退、戦況悲惨より来るものにして言語に絶するものあり。」(阿南惟幾   S12.12.22陸軍省局長会報におけるメモ)

重光葵(外交官・事件当時、駐ソ連大使)
  「しかし、駐支大使として南京に赴任(一九四二、一)して南京事件の実相を知るに及んで、我軍隊の素質、日本民族の堕落に憤りを発せざるを得なかった。
   (重光葵『続   重光葵手記』(中央公論社   1988)P366)

徳川義寛「侍従長の遺言」
松井さんは日露戦争も経験していたから、日本の捕虜の扱いが日露の頃は丁重だったことをよく知っていた。
しかし、南京では、上の言うことを下が聞かず、軍紀の抑えがきかなくなっていた。それで松井さんは後に熱海に興亜観音を造った。
松井さんは立派だったと思いますね。
  南京虐殺があったとか無かったとか論争があるようですが、当時も関係者の多くは事実を知っていたんです。
陛下が知っておられたかどうかはわかりませんが、折に触れて「日露戦争の時の軍と違う」ということはおっしゃっていました。
明治天皇のご事蹟をよく知っておられましたから。
(「侍従長の遺言」   P38〜P39)


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