Re: 南京事件の国際的認識
投稿者: nmwgip 投稿日時: 2006/01/27 23:21 投稿番号: [8687 / 41162]
レスをしないと言いながらのこのこ出てきて、日本の刑法には第38条第1項に
「罪を犯す意思がない行為は、罰しない。ただし、法律に特別の規定がある場合は、この限りでない。」
と犯意が犯罪の成立に大きく影響することが明確に規定されているにも拘わらず
> 普通はですね、
> 「有罪であるためには犯罪事実が必要である。
> 触法意識があったかどうかは、犯罪事実の有無には関係ない」
> と言うことになるわけです。
等と論点を逸らし、私が誤ったことを述べているかのような印象操作を行い、
> あなたが、国際法を持ち出しているようでいて、実はハーグ陸戦規約の
> 中身に絶対に触れようとしないことに、勘のいい人はそろそろ気づいて
> いることと思います。
と言いながら自分は決して条約の条文にもその解釈にも触れようとしない無責任な発言は後回しにするとして、別の問題発言に移るとしましょう。
ja2047氏はNo.8183の発言において
> この時期、南京における日本軍の暴行が外部に知られているのは、12月15日に
> 南京をあとにしたダーディンとスティールの記事による内容だけなのですね。
> それからしばらくは全くの情報途絶に近い状態なのです。
> だから、顧維鈞演説も、新聞記事の紹介でしかない。
> このあと、エスピーの陥落後の南京の実状報告が南京の外へ発送されたのが2月2日。
> 駐日大使ジョセフグルーが南京の大使館員に対する日本軍人の暴行に抗議したのも
> この時期になってのこと。
> ドイツ大使館のローゼン書記官が南京虐殺の報告書を本国に送ったのが2月10日、
> (このとき、マギー神父の撮影した暴行被害のフィルムが一緒に送られた)
> さらに、ラーベが南京を脱出してベルリンに到着したのは4月のこと。
> 第100回理事会決議の時点では、南京事件の報告はダーディン、スティールの記事より
> 詳細な情報はまだ把握されていなかったわけです。
と、1月下旬まで南京には他国の外交官が不在で、情報発信も事実上途絶していたかのように書いています。
その時はグルー・広田間のやり取りの記録と整合しないのでどうもおかしいとは思いつつ、彼の自信たっぷりな態度につい騙されていましたが、やはり彼の投稿が不正確だったことが判明しましたのでご報告します。
「南京安全地帯の記録」第35号文書、これはアメリカ大使館アリソン宛の文書ですが、この文書の日付は1938年1月10日です。
内容は南京に着任したアリソンへ「現状」を説明するもの。
この時点で、アメリカ大使館員は南京へ戻っています。
冨澤氏の著作によれば、1月6日アメリカ外交団3名が戻ってきたとウィルソンが書き残し、1月8日にドイツ外交官3名とイギリス大使館員2名が明日南京に戻って来るとラーベが書き残しているということです。
また、1月15日の第42号文書には、国際委員会が上海から食料を用意した旨の無線電報を受け取り、食糧確保の資金と手配を依頼する無線電報を送ったと書かれています。
このとおり、情報途絶の状態だったという事実はありません。
よくよく振り返ってみれば彼自身がNo.8245で引用しているアベンドの記事には
「日本軍の中国前首都攻撃から一月と十日経った南京の現状は、日本当局が外交官以外のいかなる外国人の南京訪問をも許可できないほど」と、外交官は南京に来ていることがほのめかされています。
南京における戦争犯罪について国際連盟の決議が無かったことに対するja2047氏の論拠は、完全に崩れたと言っていいでしょう。
「罪を犯す意思がない行為は、罰しない。ただし、法律に特別の規定がある場合は、この限りでない。」
と犯意が犯罪の成立に大きく影響することが明確に規定されているにも拘わらず
> 普通はですね、
> 「有罪であるためには犯罪事実が必要である。
> 触法意識があったかどうかは、犯罪事実の有無には関係ない」
> と言うことになるわけです。
等と論点を逸らし、私が誤ったことを述べているかのような印象操作を行い、
> あなたが、国際法を持ち出しているようでいて、実はハーグ陸戦規約の
> 中身に絶対に触れようとしないことに、勘のいい人はそろそろ気づいて
> いることと思います。
と言いながら自分は決して条約の条文にもその解釈にも触れようとしない無責任な発言は後回しにするとして、別の問題発言に移るとしましょう。
ja2047氏はNo.8183の発言において
> この時期、南京における日本軍の暴行が外部に知られているのは、12月15日に
> 南京をあとにしたダーディンとスティールの記事による内容だけなのですね。
> それからしばらくは全くの情報途絶に近い状態なのです。
> だから、顧維鈞演説も、新聞記事の紹介でしかない。
> このあと、エスピーの陥落後の南京の実状報告が南京の外へ発送されたのが2月2日。
> 駐日大使ジョセフグルーが南京の大使館員に対する日本軍人の暴行に抗議したのも
> この時期になってのこと。
> ドイツ大使館のローゼン書記官が南京虐殺の報告書を本国に送ったのが2月10日、
> (このとき、マギー神父の撮影した暴行被害のフィルムが一緒に送られた)
> さらに、ラーベが南京を脱出してベルリンに到着したのは4月のこと。
> 第100回理事会決議の時点では、南京事件の報告はダーディン、スティールの記事より
> 詳細な情報はまだ把握されていなかったわけです。
と、1月下旬まで南京には他国の外交官が不在で、情報発信も事実上途絶していたかのように書いています。
その時はグルー・広田間のやり取りの記録と整合しないのでどうもおかしいとは思いつつ、彼の自信たっぷりな態度につい騙されていましたが、やはり彼の投稿が不正確だったことが判明しましたのでご報告します。
「南京安全地帯の記録」第35号文書、これはアメリカ大使館アリソン宛の文書ですが、この文書の日付は1938年1月10日です。
内容は南京に着任したアリソンへ「現状」を説明するもの。
この時点で、アメリカ大使館員は南京へ戻っています。
冨澤氏の著作によれば、1月6日アメリカ外交団3名が戻ってきたとウィルソンが書き残し、1月8日にドイツ外交官3名とイギリス大使館員2名が明日南京に戻って来るとラーベが書き残しているということです。
また、1月15日の第42号文書には、国際委員会が上海から食料を用意した旨の無線電報を受け取り、食糧確保の資金と手配を依頼する無線電報を送ったと書かれています。
このとおり、情報途絶の状態だったという事実はありません。
よくよく振り返ってみれば彼自身がNo.8245で引用しているアベンドの記事には
「日本軍の中国前首都攻撃から一月と十日経った南京の現状は、日本当局が外交官以外のいかなる外国人の南京訪問をも許可できないほど」と、外交官は南京に来ていることがほのめかされています。
南京における戦争犯罪について国際連盟の決議が無かったことに対するja2047氏の論拠は、完全に崩れたと言っていいでしょう。
これは メッセージ 8183 (ja2047 さん)への返信です.