Re: 城内・安全区外(a)
投稿者: nmwgip 投稿日時: 2006/01/23 22:49 投稿番号: [8595 / 41162]
城内人口20万人の推定に根拠があることは間接的な証拠によって証明できます。
正確に言えば、城内人口が20万人を大きく上回っていたという仮説は、間接的な証拠によって支持されません。
日本軍占領下における南京では、餓死者の大量発生が報告されていません。
占領下における南京は完全な消費都市で、城内で食料を生産することができません。
従って、その食料は日本軍が差し押さえた備蓄食料及び上海方面から搬入される食料にほぼ完全に依存していたことが分かっています。
供給された食料は国際委員会の人口推定に従い、20万人分です。
このことは12月中の城内における市民向け食料の供給は有償・無償を問わず国際委員会が掌握していたこと、度々国際委員会が日本軍に対し20万人分の食料を要求していたことから推定できます。
もし20万人を数万人規模で超える人口が城内にあったなら、少なくとも百人単位の餓死者または栄養失調者が市民の被害報告の中に登場しなければなりません。
従って貴方が20万人を数万人規模で超える人口を城内に抱えていたと主張するなら、餓死者あるいは栄養失調者の大量発生の記録を示さなければなりません。
> 秦郁彦
> 例えば神戸の大地震の時に思ったのですが、避難住宅を用意しても、壊れた自分の家がいいからと動かない人は少なからずいた。
・・・この方は資料を発掘する手腕はあっても、それを分析する手腕は極めて疑わしいと思わざるを得ないような発言ですね。
前触れも無く発生し、二次被害についてある程度の予測がつき、自宅にいてもリスクは少ないと判断可能だった大震災時の神戸と、日本軍の攻撃が確実なものであると予想でき、前もって避難勧告が出され、しかも安全地帯が明示されていた当時の南京を同列で論じるとは・・・(12/1夜安全区設置公表、12/8唐司令官による安全区への避難勧告)
前提条件が全く違います。
大震災時神戸の事例は、一旦安全区に避難した人々が治安回復後自宅へ帰還する類似事例には使えても、安全区に非難しなかった市民が多数いるはずだという類推の根拠には全くなりません。
ダーディン・インタビューが根拠にならないことはNo.8460で論述済みですが、読みませんでしたか?
ヴォートリン日記は安全区内に、収容所に収容しきれない難民が多数いることを述べているのであり、安全区外に難民がいるとは述べていません。
それに対して、「南京安全地帯の記録」第9号文書には次の通り明記されています。
>
・・・言い換えると、帰国部隊が本市に入城した13日、私どもは市民のほぼ全員を安全地帯という一地区に集合させていたが・・・
(『「南京安全地帯の記録」完訳と研究』冨澤繁信著 展転社)
<
無論、「南京安全地帯の記録」が完全に信頼の置ける資料だとは考えていません。
寧ろ、信憑性に乏しい部分の方が多いと考えています。
しかし、この部分は南京に入城した日本軍の記録とも合致しており、信頼して構わないと考えます。
正確に言えば、城内人口が20万人を大きく上回っていたという仮説は、間接的な証拠によって支持されません。
日本軍占領下における南京では、餓死者の大量発生が報告されていません。
占領下における南京は完全な消費都市で、城内で食料を生産することができません。
従って、その食料は日本軍が差し押さえた備蓄食料及び上海方面から搬入される食料にほぼ完全に依存していたことが分かっています。
供給された食料は国際委員会の人口推定に従い、20万人分です。
このことは12月中の城内における市民向け食料の供給は有償・無償を問わず国際委員会が掌握していたこと、度々国際委員会が日本軍に対し20万人分の食料を要求していたことから推定できます。
もし20万人を数万人規模で超える人口が城内にあったなら、少なくとも百人単位の餓死者または栄養失調者が市民の被害報告の中に登場しなければなりません。
従って貴方が20万人を数万人規模で超える人口を城内に抱えていたと主張するなら、餓死者あるいは栄養失調者の大量発生の記録を示さなければなりません。
> 秦郁彦
> 例えば神戸の大地震の時に思ったのですが、避難住宅を用意しても、壊れた自分の家がいいからと動かない人は少なからずいた。
・・・この方は資料を発掘する手腕はあっても、それを分析する手腕は極めて疑わしいと思わざるを得ないような発言ですね。
前触れも無く発生し、二次被害についてある程度の予測がつき、自宅にいてもリスクは少ないと判断可能だった大震災時の神戸と、日本軍の攻撃が確実なものであると予想でき、前もって避難勧告が出され、しかも安全地帯が明示されていた当時の南京を同列で論じるとは・・・(12/1夜安全区設置公表、12/8唐司令官による安全区への避難勧告)
前提条件が全く違います。
大震災時神戸の事例は、一旦安全区に避難した人々が治安回復後自宅へ帰還する類似事例には使えても、安全区に非難しなかった市民が多数いるはずだという類推の根拠には全くなりません。
ダーディン・インタビューが根拠にならないことはNo.8460で論述済みですが、読みませんでしたか?
ヴォートリン日記は安全区内に、収容所に収容しきれない難民が多数いることを述べているのであり、安全区外に難民がいるとは述べていません。
それに対して、「南京安全地帯の記録」第9号文書には次の通り明記されています。
>
・・・言い換えると、帰国部隊が本市に入城した13日、私どもは市民のほぼ全員を安全地帯という一地区に集合させていたが・・・
(『「南京安全地帯の記録」完訳と研究』冨澤繁信著 展転社)
<
無論、「南京安全地帯の記録」が完全に信頼の置ける資料だとは考えていません。
寧ろ、信憑性に乏しい部分の方が多いと考えています。
しかし、この部分は南京に入城した日本軍の記録とも合致しており、信頼して構わないと考えます。
これは メッセージ 8533 (ja2047 さん)への返信です.