Re: 城内・安全区外
投稿者: nmwgip 投稿日時: 2006/01/20 23:29 投稿番号: [8499 / 41162]
お褒め頂いて恐縮ですが
> あなたは飲み込みが早いので助かります。
残念ながら貴方は呑み込みが遅いですな。
私が言っているのは城壁内・安全区外の廃墟から流入というラーベの推定に根拠が無いという話であって、ラーベが日記の中でどう推定しているかではありませんが。
> 『南京安全地帯の記録』第41号 福田氏への手紙
> 1938年1月14日
> ・・・我々は貴軍が、10歳以下の子供、及びいくつかの地区では老人の女性を含めないで、16万人を登録したと理解しております。すると、当市の人口は多分25万人から30万人ということになります。この住民を通常の米の配給で養うには・・・
> ジョン・H・D・ラーベ 委員長
(No.8418)
安全区の人口に関する国際委員会の、この第41号文書以前の認識は20万人で統一されています。
国際委員会は城外に疎開している南京市民を含めた良民証の発行枚数から、南京の人口を25万〜30万人と推定しているのですよ。
それ以後、25万人という人口認識は変わっていません。
> 「日本軍は安全区から出るようにとくりかえしいっているが、私は逆にどんどん人が増えているような気がする。上海路の混雑ときたら、まさに殺人的だ。」
この文章は、
(1)日本軍は安全区から元の住居へ住民を早く帰したかった。
(2)国際委員会は自治委員会に対する対抗上、住民をできるだけ自分たちの管理下に置いておきたかった。
この対立意識の反映に過ぎません。
「人がどんどん増えているような気がする」のだったら、人口認識が変わらないのは不自然でしょう?
貴方もまさに書いている通り
> 25万の見積もりとは日本軍による登録人数からの委員会の見積もりであり、
> 難民の増加と市街の破壊の因果関係はラーベによる推定でしょう。
因果関係は単なる推定で、その根拠は示されていません。
貴方の言うように、ラーベがローゼンと城壁内・安全区外を巡察している途中に難民の集団を見ていないのであれば、これはラーベの逆算的な推定です。
安全区外に難民を観測した結果ではないのです。
ラーベが見たのは、攻城戦の結果、被害を受けた家屋に過ぎません。
彼が「増えた五万人は廃墟になったところに住んでいた人たちだ。」と断定するためには、少なくとも廃墟の中に難民の集団を見ていなければなりません。
こういうのを「根拠が無い」と言うのですよ。
ラーベは、城壁内・安全区外から安全区に難民が流入していると考えたがっていただけに過ぎません。推定人口の増加を城壁内・安全区外から安全区への流入と結論付けているのは、まず結果ありき、の推論に過ぎません。
国際委員会は、安全区外は治安が悪いので元の住居への帰還が進まない(事実上の無人地帯であるなら治安が良いも悪いも無いはずですが)とは述べていますが、安全区外から難民の流入が続いているなんて書き残していません。
なお安全区外への帰還が進まなかった理由は食料の販売が安全区内と安全区外の1箇所ずつでしか行われず、他の商業機能も都市機能も安全区内にほぼ限定されていたという利便性の要素も考えなければならないでしょう。決して治安上の理由だけではありません。
それに結局のところ、1月下旬より住民の帰還は着々と進み、2月下旬には安全区は事実上消滅しています。行政機能完全崩壊からわずか3ヶ月、国民党政府からも南京市当局からも棄民された南京の治安は急速に回復したのです。
> したがって、国際安全区委員会の文書に出てくる難民の数値が
> 20万から25万に変わったことをもって、「人口が増加した」と
> いうのは誤りだと言うことなのです。
こういうのを「牽強付会」と言います。
国際委員会の人口推定数の増加が人口増加の結果ではないとする根拠は、全く示されていません。城壁内・安全区外からの流入について、ラーベ日記が根拠とならないことは既に論じたとおりです。
正しくは、人口が増加したことを否定できない、です。
南京の城門が閉じられていたことを根拠に城外からの流入がないと論じる人も見かけますが、憲兵司令官布告は「良民証を持たない者の南京城内居住は許されない」としているのですから、良民証の発行を受けた者は入城を許可されたと見るのが自然な解釈です。
それにそもそも、人口問題の要点は、増えていることではなく減っていないことです。
> あなたは飲み込みが早いので助かります。
残念ながら貴方は呑み込みが遅いですな。
私が言っているのは城壁内・安全区外の廃墟から流入というラーベの推定に根拠が無いという話であって、ラーベが日記の中でどう推定しているかではありませんが。
> 『南京安全地帯の記録』第41号 福田氏への手紙
> 1938年1月14日
> ・・・我々は貴軍が、10歳以下の子供、及びいくつかの地区では老人の女性を含めないで、16万人を登録したと理解しております。すると、当市の人口は多分25万人から30万人ということになります。この住民を通常の米の配給で養うには・・・
> ジョン・H・D・ラーベ 委員長
(No.8418)
安全区の人口に関する国際委員会の、この第41号文書以前の認識は20万人で統一されています。
国際委員会は城外に疎開している南京市民を含めた良民証の発行枚数から、南京の人口を25万〜30万人と推定しているのですよ。
それ以後、25万人という人口認識は変わっていません。
> 「日本軍は安全区から出るようにとくりかえしいっているが、私は逆にどんどん人が増えているような気がする。上海路の混雑ときたら、まさに殺人的だ。」
この文章は、
(1)日本軍は安全区から元の住居へ住民を早く帰したかった。
(2)国際委員会は自治委員会に対する対抗上、住民をできるだけ自分たちの管理下に置いておきたかった。
この対立意識の反映に過ぎません。
「人がどんどん増えているような気がする」のだったら、人口認識が変わらないのは不自然でしょう?
貴方もまさに書いている通り
> 25万の見積もりとは日本軍による登録人数からの委員会の見積もりであり、
> 難民の増加と市街の破壊の因果関係はラーベによる推定でしょう。
因果関係は単なる推定で、その根拠は示されていません。
貴方の言うように、ラーベがローゼンと城壁内・安全区外を巡察している途中に難民の集団を見ていないのであれば、これはラーベの逆算的な推定です。
安全区外に難民を観測した結果ではないのです。
ラーベが見たのは、攻城戦の結果、被害を受けた家屋に過ぎません。
彼が「増えた五万人は廃墟になったところに住んでいた人たちだ。」と断定するためには、少なくとも廃墟の中に難民の集団を見ていなければなりません。
こういうのを「根拠が無い」と言うのですよ。
ラーベは、城壁内・安全区外から安全区に難民が流入していると考えたがっていただけに過ぎません。推定人口の増加を城壁内・安全区外から安全区への流入と結論付けているのは、まず結果ありき、の推論に過ぎません。
国際委員会は、安全区外は治安が悪いので元の住居への帰還が進まない(事実上の無人地帯であるなら治安が良いも悪いも無いはずですが)とは述べていますが、安全区外から難民の流入が続いているなんて書き残していません。
なお安全区外への帰還が進まなかった理由は食料の販売が安全区内と安全区外の1箇所ずつでしか行われず、他の商業機能も都市機能も安全区内にほぼ限定されていたという利便性の要素も考えなければならないでしょう。決して治安上の理由だけではありません。
それに結局のところ、1月下旬より住民の帰還は着々と進み、2月下旬には安全区は事実上消滅しています。行政機能完全崩壊からわずか3ヶ月、国民党政府からも南京市当局からも棄民された南京の治安は急速に回復したのです。
> したがって、国際安全区委員会の文書に出てくる難民の数値が
> 20万から25万に変わったことをもって、「人口が増加した」と
> いうのは誤りだと言うことなのです。
こういうのを「牽強付会」と言います。
国際委員会の人口推定数の増加が人口増加の結果ではないとする根拠は、全く示されていません。城壁内・安全区外からの流入について、ラーベ日記が根拠とならないことは既に論じたとおりです。
正しくは、人口が増加したことを否定できない、です。
南京の城門が閉じられていたことを根拠に城外からの流入がないと論じる人も見かけますが、憲兵司令官布告は「良民証を持たない者の南京城内居住は許されない」としているのですから、良民証の発行を受けた者は入城を許可されたと見るのが自然な解釈です。
それにそもそも、人口問題の要点は、増えていることではなく減っていないことです。
これは メッセージ 8474 (ja2047 さん)への返信です.